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タンポポ笛(小説リアルショートストーリー)Vol4

こまちゃんの通夜の翌朝。

こまちゃんは、天国に行く前に会いには来てくれなかった。
なんにもしようとしなかったくせに、会いたいなんて、私の勝手すぎるお願いなんか、きかなくて当然だとも思った。
でも、やっぱりどこかで期待していた。
こまちゃんに、もう一度会いたかった。

葬儀場では、火葬される前に
棺の中に横たわるこまちゃんと最期に会うことができた。

白くて大きな百合の花を選んでポキリと折り、
長い列にまぎれて緊張しながらその瞬間を待った。
こまちゃんと何年かぶりに顔を合わせた瞬間、失礼ながらぎょっとした。
黄色に変色した肌。
こけているのにただれた頬。
くぼんだ目の下には黒いクマ。
そして深いしわがくっきりと刻まれていた。
大量の薬を服用していた副作用だ。
「すごく疲れた、苦しかった」
こまちゃんが全身でそう言っている気がした。
そして、死をもってそこから解放された安堵のような表情もかすかにあったように感じた。
もう何も聞こえず、
もの言わぬ彼に、
聞きたいこと言いたいことがじわじわと浮き出てきた。

あたしは、ズルイ。  

白い百合を、出来るだけそぅっと静かにこまちゃんの胸元に置いた。
もう一度こまちゃんを見つめ直してみる。
そのとき初めて、彼の体が驚くほど小さくなっていることに気づいた。

小雪がしんしんと降り続く中、霊柩車が静かに汽笛をならして去ってゆく。
不意に、あの日のタンポポ笛の音が耳に重なった。
心が一番近くにあったあの日、あの瞬間。
私の眼にはこまちゃんが映っていて。
こまちゃんの眼には私が映っていて。
言葉は要らなくて。
笛の音色で
肌の温度で
お互いの存在を確かめていたあの時間。

幸せだった。
あたしは、こまちゃんが大好きで。
こまちゃんもあたしのことを思ってくれて。

好きが溢れて
どうしても、触れたくなって
一度だけ、そっとほっぺたにキスをした。
そうしたら、こまちゃんは耳まで真っ赤になって
じっと、眼を見てこう言った。
「ちえちゃん、ずっと一緒だよ」

今度は私が真っ赤になる番だった。
恥ずかしくて空を見やり、ふぅーっと息を吐く。
不意にほっぺにふんわり柔らかい温もりが重なった。こまちゃんの唇だった。
それから、ぎゅうっと抱っこしてくれた。

好きな人のキスとハグには
特別な魔法があると知った。

生きていた。
こまちゃんは、たしかに生きていた。

ねぇ、こまちゃん。
あれから、幾度となくタンポポ笛を作ったよ。
こまちゃんが教えてくれた、タンポポ笛。
ねぇ、こまちゃん。
あたしこまちゃんに何にもお返ししてないよ。
一緒に飛行機雲も見れなかった。
ねぇ、こまちゃん。
ねぇ、こまちゃん。

結局、それからも、あたしの自己都合な、同時に切実な願いとは裏腹に
最後までこまちゃんは夢に出てくることはなかった。
それは、あたしを許してくれていないようで、なんだかとても大きなしこりとなってあたしの心に残り続けた。

人が一番恐れること。
あたしは、存在を忘れ去られることだと思う。

こまちゃんは、ずっと、そこにいた。
離れたところで生きていた。
存在してた。

だけど、彼が小さな病室で何年も苦しんでる間、
あたしの中に、こまちゃんはいなかった。
自分のことで忙しくしながら、その存在をすっかり忘れて
時間はどんどん過ぎて、その間にこまちゃんはどんどん弱って
死んでしまった。
寂しかったに違いない。
心細かったに違いない。
気の遠くなるような孤独と不安の中で、
こまちゃんは何を考えていたんだろう。

苦しみの中にも、幸せを感じた瞬間があっていてほしい。
生きてよかったと思う瞬間があっていてほしい。
こまちゃんは、最期に心の中で何を思っていたんだろう。

存在の忘却。
それは、生きている人間にとって最大の仕打ちだと思った。
自分が、とても恥ずかしかった。

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