アジアそして世界の将来像(番外)原爆投下の真実

8月6日は広島の原爆被災記念日だ。
沖縄と広島にも住んでいたことのある筆者は、広島、長崎、そして沖縄の人たちほどではないが、それぞれの特別な日の空気はそれ以外の人々より知っているつもりだ。
広島の地元紙で「原爆」の文字を見ない日は無かったし、沖縄の地元紙では「基地」の文字を見ない日は無かった。

諸氏は昨晩、放送された「NHKスペシャル」をご覧になっただろうか?
原爆が投下された経緯について、新事実が明らかにされた。
筆者はトルーマン大統領(当時)の意思の弱さが軍部に圧しきられて広島と長崎への原爆投下を了承した、と何かで記憶していたのだが、事実はもっと複雑だった。

トルーマンの責任は3つある。
一つは本意ではなかった一般市民への原爆投下を結果的に黙認したこと。正確には、その意は伝えたものの、広島は軍事都市であるという軍の説明を真に受け‥つまり、民間人の被災は殆どないと信じ込み、投下を認めたこと。トルーマンが広島の惨状を知ったのは、長崎に原爆が投下される半日前のことだったらしい。

2つめは、長崎へ2発目の投下を止められなかったこと。
どうやらトルーマンは自分の指示なしに2発目の投下があると思っていなかったようだ。ところが、軍部というより作戦責任者は、17発も投下する作戦を事前に示しており、トルーマンから何ら明確な指示がなかったため、この作戦は了承されたと思った‥実際は明確な指示が無いことをいいことに、しめしめと思ったに違いない。本人へのインタビューの内容からそんな様子が窺えた。トルーマンは、原爆投下作戦の資料をページ数が多いという理由できちんと読まなかったいう。
さすがに無能な大統領も、事ここに及んで3発目以降の投下にストップをかけた訳だが、時既に遅し、だ。

3つ目の責任は、事実を覆い隠して、嘘の理由を後付けででっち上げたこと。
長崎に2発目の原爆が投下された後、トルーマンは全米国民に向けてテレビを通じてメッセージを送っている。その冒頭が、原爆投下は戦争を終結させるために必要だった、というものだ。これは当初のスピーチ原稿には無かったのだそうだ。つまり大統領自らがついた嘘である。
そしてこれが今日に至るまでアメリカ人の大半が信じている「定説」となっている。
こともあろうか、生涯でただ一度、1963年に被爆者を前にして壇上から見下ろすように話をしたトルーマンは、こう言い放った。アメリカと日本双方の国民のこれ以上の犠牲を抑えるためには原爆投下は必要だった、と。

歴史にもしも、はあり得ないのは百も承知だが、もしルーズベルトが急死しなければ、どんな終戦を迎ていただろうか。
(筆者はルーズベルトの急死という事実にも何かキナ臭いものを感じているのだが、考えすぎだろうか?)

前出の原爆作戦の遂行者は、原爆投下を実行した根拠として米国議会への責任を挙げている。つまり、「莫大な予算をつぎ込ん打のだから、議会にそれだけの価値があることを証明しなければならない。このため、十分な人工規模で、通常の空襲で傷を受けておらず、地形的にも適した都市に投下する必要があった」と言うのだ。

この原爆作戦責任者もトルーマンも、既にこの世にはいない。
生存中にその責任を追求できなかったのは甚だ残念だ。
しかし、歴代の政権もこの重大な事実を覆い隠して、今日なおそれを白日のもとに曝さないのは、これもリッパな犯罪ではないだろうか。

取材、番組制作したNHKには拍手を送りたいが、
全米の人々にも、どうにかしてこの「事実」を伝えたいものだ。

(2016年8月7日記)

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