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成功への階段を駆け上ったフランク・オーシャン。そのユニークな音楽性と複雑なパーソナル・ライフを全て解き明かす。

ソングライターとしてキャリアをスタートさせた後、シンガーとして表舞台に立つことを決めたフランク・オーシャン。フリー・ダウンロード・アルバム『Nostalgia, Ultra』は思慮深くパーソナルなモダンR&Bの好盤として瞬く間にインターネット上で話題になった。そして今、自身のプロジェクトの決定権を握るポジションにいる彼は、時間をかけながらメジャー・デビューを飾るアルバム『Channel Orange』の制作を進めている。

Soul Caliber

新鋭のソウル

Frank Ocean

 幸いにも、どうやらフランク・オーシャンの喉は順調に快復しているようだ。現在、彼のニューヨークでの初公演になるはずだったライブが中止になってから数日が経っているが、受話器越しの彼の声は深くて豊かなものだった。あの寒い日曜の夜、チケットを持って並んでいたファンの落胆の原因となった扁桃腺の腫れは、どうやら引いたようである。コンサートの中止が発表された後、彼は自分のTumblrに「本当に申しわけない。またすぐに戻ってくる。約束だ」というメッセージを残していた。

 彼が届ける言葉を、ファンは一字一句大事にする。彼があまり多くを語らないアーティストだからだ。2011年2月にデビュー・アルバム『Nostalgia, Ultra』を無料で公開したとき、以下の文言が添えられていただけだった。「なあ、腕が疲れたよ」。「それならフランク、アルバムをドロップ(落と)しちゃえばいいじゃない」。そして、自身のインターネット・ハイプもピークにあったオッド・フューチャーのタイラー・ザ・クリエイターが、以下の紹介文とともにそのリンクをシェアすると、同アルバムにアクセスが殺到した。「オンナ、恋愛、そして若くしてカネを持っていることを語った、スワッグでスムーズなアルバムだ」。ロサンゼルスを拠点に活動するラッパー、プロデューサー、スケーター、グラフィティ・ライターなどからなるクルー、オッド・フューチャーは、辛辣な皮肉とエッジーでグロテスクなミュージック・ビデオで当時、話題沸騰中の存在であり、彼らが何かをリリースするたびに、あらゆるメディア、アーティスト、ファンから熱狂的な注目を集めた。それまで、所属レーベルのDef Jamから2年ほど放置されていた状態にあったフランク・オーシャンだが(2009年に彼と契約したA&Rはその後すぐに辞めてしまった。アーティストが微妙な立場に追い込まれる典型的なパターンである)、数人のカリスマ的存在が彼の作品についてツイートするだけで、プロモーションとしては十分だった。当時23歳のフランク・オーシャンは、自身の作品をインターネットにアップするやいなや、ジャンルを超越した有望な新人として多くの評論家を唸らせ、あっという間に時の人となったのである。レーベルはあわててシングルをiTunesでリリースし、アルバムのパッケージ版を正規リリースしようと試みたが、サンプリングの権利問題と、注目のピークを逃したことにより、会社が彼の突然の人気に便乗してカネを儲けることは不発に終わった。だが『Nostalgia, Ultra』をリリースするプランが中止になった代わりに、新しいアルバムのリリースの話が持ち上がった。

 音楽界の各方面から賞賛の嵐を受けるようになっても、フランク・オーシャンの口は閉ざされたままだった。知的で奥深いソングライティング、多彩なプロダクション、そして一貫したパーソナリティが魅力な『Nostalgia, Ultra』は、活気を失っていたR&Bシーンに新たな息吹をもたらした。彼はイーグルス、コールドプレイ、MGMTといったアーティストの音楽を再解釈し、子供の頃の経験について、同性結婚について、さらにCoachella、失恋、スポーツカー、野心、イスラム教、そして自分の父親といったテーマについて歌った。それまでの彼はソングライターとしての活動が主であり、ブランディ、ジョン・レジェンド、ジャスティン・ビーバーらにディープな楽曲を提供していた。十代が多いオッド・フューチャーの他のメンバーよりも歳上であり、ロサンゼルス出身ではなくルイジアナの生まれでもあった。現在フランク・オーシャンは、ビヨンセに楽曲を提供し、ジェイZとカニエ・ウェストのビッグなコラボレーション作品『Watch the Throne』に2曲フィーチャーされ、音楽シーンで最もホットなアーティストのひとりとしてその名を轟かせている。

 しかしこの若いアーティストは、まだ謎に包まれている部分が多い。ニューヨークのBowery Ballroomでのライブの直前に彼が姿をくらましたときは、計画的なものか?と勘繰ってしまったほどだ。まるで、チケットを購入し、列に並び、ライブを観る、という当たり前のことが彼には通用せず、そう簡単にフランク・オーシャンの姿を拝むことはできない、ということを意思表示しているかのようだった。彼が頭角を現してから、いくつか明らかになったことはあったが、それでも、フランク・オーシャンほど掴みところのない若手アーティストは珍しい。

ニューオーリンズで過ごした幼少期について教えてください。同市は文化や音楽の面で高く評価されている街ですが、一番古い思い出は何ですか?

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