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記号過程、システム、意味

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人間と自然、人間と機械、人間とAI 対立するふたつのもの それらはなぜ対立するふたつのものになったのか? その答えを「記号過程」という用語を手がかりに考える
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2019年7月の記事一覧

パウル・クレーの『造形思考』も、ル・コルビュジエも、そしてレヴィ=ストロースも。自然の深層の不可知のメカニズムからの写像として人工物を捉える。一つの偶然として、これらの思想が電波=無線通信の時代の後に芽吹いたこと。無から生成するパターン。技術が可視化するものが想像力を刺激する。

イメージは変身を媒介し、区別を、境界を一瞬宙吊りにする−読書メモ:港千尋著『洞窟へ』(2)

イメージの起源 港千尋氏の『洞窟へ』を引き続き読む。 イメージとはなにか?  という古くからの問いに対して、イメージとは人間がその内部にある意味を、外界のモノに「投影」したものである、とする答え方がある。これに対して港氏は、意味の投影というプロセスは、人間の方が外界に対して一方的に行うものではないとする。それは一方向ではなく双方向のフィードバックループが動き続けるプロセスである。  自分が頭のなかでイメージしていると「意識できる、想起できる」イメージは、外界の様々な様相

サングラスが「視線」を生産する −”Kim Jong Il Looking at Things”鑑賞メモ

 今日ご紹介するのはこちら、”Kim Jong Il Looking at Things”という一冊である。  かの金正日氏が見る、見る、見る。牛乳に、オリーブオイルに、鶏卵に、スルメに、コンピュータのマウスに、あらゆるものを見る。  そして、見ている金正日氏を、取り巻きのお歴々が「見る」。  その様子は写真に撮られマスメディアに載る。見ている金正日氏とその様子を見ている取り巻きの方々の様子を人民が見る。  さらに、インターネットのサイバー空間に踊りだした写真を、同国

頭の中の暗闇を身体の周囲に延長する−読書メモ:港千尋著『洞窟へ』(1)

 港千尋氏の2001年の著書『洞窟へ』を読む。  写真家である港氏が、旧石器時代に壁画が描かれた「洞窟」と、人間の頭蓋骨の中というもうひとつの「洞窟」の間を往来しながら、人間にとってのイメージの起源を問う。 ホモ・サピエンス・サピエンスとしての「持続」を、わたしたちのなかにあるもうひとつの洞窟=脳へと探ってゆく。神経細胞群淘汰を導きにし、痕跡が表象となるプロセスを三項関係の記号過程として捉えながら、もういちど「見ること」とはどのような営みであるのかを考え直す。…広い意味で