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【『新型コロナからの気づき(1)』に寄せて】「みんなが間違え」てしまった原因とは―「時代精神」が示すポスト・コロナの展望

 国際地政学研究所理事長 柳澤さんの特別寄稿『新型コロナからの気づき―社会と自分の関わりを中心に(1)不要不急とは何か』は、コロナ禍以前に今の社会のひずみの原因を見出す考察が光る論考です。その中に一つ、柳澤さんがご自身のキャリアをかけ考察された著作を連想させるフレーズがあります。それが「みんなが間違えていた」という最後の段落に登場する一節。

 それは、柳澤さんが戦後日本の安全保障政策とともにあったキャリアを見つめ直した著作『検証 官邸のイラク戦争-元防衛官僚による批判と自省』(以下、『官邸のイラク戦争』)でも登場するフレーズです。


(……)ブッシュ大統領自身が述べているように、政治指導者は、「国民をだますのなら侵攻後すぐに誤りとわかる容疑は選ばない」だろう。「嘘ではなく、全員が間違っていただけなのだ」。
 だが、これは間違いの言い訳にはならない。問われるべきは、なぜ、「全員が間違えた」のか、ということだ。
(柳澤協二『検証 官邸のイラク戦争-元防衛官僚による批判と自省』P.33岩波書店、2013年)

 『官邸のイラク戦争』は、柳澤さんが実務責任者として携わった自衛隊イラク派遣を自省とともに見つめ直し、日本の安全保障政策の根幹にある日米同盟のあり方を問いかける、まさにキャリアをかけた著作です。

 テーマとなるイラク戦争は、9.11同時多発テロに直面した米国のブッシュ政権が“テロとの戦い”を掲げて主導し、米国民が熱狂とともに支持した戦争でした。小泉首相のイニシアティブのもと、日本の首相官邸はイラク戦争を支持し、やがては自衛隊のイラク派遣というかつてないリスクを背負うミッションへと突き進みました。イラク戦争支持から自衛隊派遣まで、首相官邸を意思決定に動かしたものは何だったのか―。当初イラクが保有しているとされた大量破壊兵器が現地で発見されなかったなど想定と異なった現実は、戦争を支持した政策決定者に自らが信じた戦争の大義の再考を迫ります。

 日米がイラク戦争へ突き進んだ熱狂のプロセスを冷静に見つめ返すために、柳澤さんが手がかりとしたのは“時代精神”というアイディアでした。


「時代精神」というアイディアは、石津朋之他編『戦略原論』(日本経済新聞出版社、2010年)によっている。同書第1章では、戦略を決定する要因として、国際環境、国内要因に加え、その時代の状況によって規定された時代精神が及ぼす影響を重視すべきことを述べている。
(柳澤協二『検証 官邸のイラク戦争-元防衛官僚による批判と自省』P.39岩波書店、2013年)

 今回コロナ禍の日本を吹き荒れた“不要不急”そして“自粛”という言葉の嵐の陰には、医療体制の逼迫を招いた効率を至上のものとする時代精神が潜んでいる―それが論考の考察でした。時代精神に着目すると社会の動揺から一歩身を引いて、事態を冷静に見極めることができます。

 コロナ対策の司令塔である各国政府の対応も、その時代精神の表れと見ることができます。


(…前述引用箇所…)同時に、「国家や組織内での利害関係や人間関係といった人類の営みに固有でどちらかと言えば卑近な要因こそが現実の戦略を規定しているのではないか」とも述べる。私は、その見解に同意するが、「時代精神」とは、そうした利害関係を持った意思決定機構内部で共有される「意思調整のための規範」として作用する、と考えている。
(柳澤協二『検証 官邸のイラク戦争』P.39岩波書店、2013年)

 今、日本社会はその時代精神の変化に、外からも中からもさらされています。
 続く柳澤さんの特別寄稿では、個人のレベル、社会のレベルで考察が深まっていきます。動揺する社会で自分を保つにはどうすればよいか、民主主義の国が危機に立ち向かうにはどうすればよいか―。
 一連の論考には、ポスト・コロナの社会像を展望するための様々な知恵がちりばめられています。「新たな日常」の手がかりを探す人々にとって、今を生きるヒントとなりますように。

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