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マクロレンズのように:ワークショップ

コクリコ坂の指令。
眼の前の光景をマクロレンズを使って見た時のような描写で1200字。
一つのことに集中とスタミナと子供でもわかるような文章を心がけて。
カメラの世界に、物撮りに特化したマクロレンズとよばれる世界がある。
被写体に虫眼鏡のように近づいて、画面いっぱいに大きく写すのが得意なのがマクロレンズだ。
保坂はどちらかというと、観察するように、スキャンするように、全体から細部にどんどん入り込んで見えるような、くっきりはっきり写るが好きなので、一時期、マクロレンズをオールラウンドに何でも使う撮り方をしていた。

思い出のマクロレンズが二つある。

ライカR マクロエルマリート 60mmf2.8
シグマ マクロ 50mmf2.8 EXDG

マクロエルマリートは、このレンズが使いたいがために ライカR9 という、ライカの最期のフイルム一眼レフまで買った。
出会いは、旅するカメラに掲載されていたニューヨークのキオスクのモノクロ写真、がマクロエルマリートで撮影したと、渡部さとる師匠に聞いたからだった。
ニューヨークのストリート、キオスクで笑う店主の顔、積み上げられた新聞や雑誌の束、ガムやたばこ・・・とどんどん小さく描写が見えることが楽しい写真だ。
当時、ワークショップを受け、いろいろカメラを買っていた時代。
これから撮りたい写真のイメージに合っていたので、中野フジヤカメラで掘り出し物を見つけた。
カメラボディより先に、レンズのほうを買った気もする。
ライカのレンズとあって組み上げはしっかりしていて、半つや消しの真っ黒なボディと、部品がみっちり詰まった金属製の羊羹のような、周りの音を吸い込むような佇まい。
上からレンズをのぞくと、静かでさざ波もたたない深い水面のように見える。
表面に薄くホコリが見え、光を当てようとレンズを傾けると、太陽の匂いがして、空中に舞うホコリに気がつく。
ぐるりと周りを見渡しても、21世紀の機器にああいう、大地にしっかり根ざした存在感を感じさせるのもは少ない。
あえて言うなら、オーディオテクニカAT2020 というコンデンサーマイクかな。
わきに置く iPhoneSE も少し、大地との繋がりと20世紀のもの作りの兆しが感じられる
任天堂スイッチ、キングジムPomera、オリンパスOMD-EM1mk2、みんなプラスチックボディ。
パタパタと音がしながら、WiFiやケーブルに繋がれつつ、ホコリのように舞いそうな気がする。
ああ急須!これだ。大地にしっかり根付くマクロエルマリート感じは、鈍く光る常滑の感じ近い。
もしここに寿司屋にあるような太い黒い常滑の湯飲みがあれば、その佇まいが、マクロエルマリートの静けさと似ている気がする。
ファインダーを見ながら、ヘリコイドをぬーうともまわすと、鏡胴が伸びピントが合ってくる。
書き割りのような背景から、撮りたいモチーフが立体的に立ち上がってくる、撮影の操作をしていて楽しい職人的なレンズだった。

一方でまさにデジタルの、素早さと軽快さと無邪気さが感じられたのが、シグマ50mmマクロだった。
当時、サードパーティレンズメーカーのシグマを代表する、早い安いうまい、な看板レンズだった。
初めて買う単焦点としておすすめレンズとして、布教しまくってた。
ちょっと強め絞り気味にパンフォーカスして、かまえる。
じーじっとピントが合う。
背面液晶で確認する絵はキレッキレのシャープ。
ビルのボードサインから、すれ違う人の群れ、足もとのつぶれた空き缶まで、非常に街歩きに楽しいレンズだった。
キヤノンEOS kissデジの何番だったかな、にシグマ50mmマクロをつけて、渋谷のセンター街を撮ってた気がする。
現在のシグマの始まりを感じさせるDNAを持ったレンズで、実用的なプラスチッキーなボディに、キラリと光るマクロの個性、職人気質な気楽さと信頼感を持ったレンズだった。
いま思えば非常にネオコンサバティブな戦略的な感じ、専門職を価格破壊で自由化する新保守系のような、平成を背負っていたレンズだった。

令和のマクロレンズはなんだろう。
リコーGR3xの40mmのマクロ機能は非常に気になるところ。
当たり前にAIと協業するようになった2021年を感じさせる、マクロ機能付きコンパクトカメラと保坂は見る。

遠中近を意識して書いたけど、ちょっとマクロレンズの内容に持ってかれたかな。
実物のレンズが目の前にあれば、もう少し迫れたかもしれない。
ということで、マクロレンズのように書く、一席。
おあとがよろしいようで。

P.S.
トップの写真は最初期作品。
初代GRデジタルである。

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