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「帝国と資本のインフラストラクチャーが人新世を起爆している。」をテーマに、写真を撮って…

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「帝国と資本のインフラストラクチャーが人新世を起爆している。」をテーマに、写真を撮っています。リサーチの読書ノート、アーティストステートメント、日々の気付きをアップしています。大人の事情を書きます。Amazonのアソシエイトとして、保坂昇寿は適格販売により収入を得ています。

最近の記事

〈写真の物質性〉を根本から考えなおすことになった。

ティルマンスが「写真は三次元的オブジェ」と言ったり、シャーロット・コットンが「オリジナルに似たオブジェクトの表現。転写や翻訳ではなく、並行形式の同等のもの」と言ったり、またはデジタル写真やヴァーチャルリアリティなどに時代性を踏まえて〈写真の物質性〉が言祝がれている。 これは単純に触感、写真集の重みや写真プリントのカール、みたいなもの。 またはバルトの写真のノエマ、〈それはかつてあった〉という時間性、だと思ってた。 いやいや事は、もっと単純だったとこの本を読んで気がついた。

    • キヤノンEOS 80DとInsta360 oneを手に入れる。

      藪から棒の枕だが、いま〈四人称〉が気になる。 元はといえば、大山顕『新写真論:スマホと顔』にこのような下りがあったからだった。 この〈四人称〉が何かと思ったら、外山滋比古『第四人称』という本があり、早速、中野区の図書館で借りる。 つまり〈四人称〉とは写真家の目線ではないか? と思い始めたのが、そもそもの始まりだった。 一方でゲーム用語に〈一人称視点〉という言い方がある。 いわゆるPOVの視点、風景写真の視点だ。 一方で、風景や敵キャラと同時にキャラクターの背中が見えるのが

      • Also sprach Wolfgang:ヴォルフガングはかく語りき

        保坂です。 この文章は『美術手帖2004/12 p145-151』に掲載されている「Also sprach Wolfgang:ヴォルフガングはかく語りき」という、2004年10月16日に行われたヴォルフガング・ティルマンスのアーティスト・トークの記事です。 ティルマンスのインタビュー記事は少なく、この美術手帖の記事も二十年前ということで、なかなか読めない内容になってます。 現在の写真を考える上でも、大事な資料だと思い、少々乱暴なことは承知の上で記事を引用し公開します。 読む前

        • 村上靖彦『客観性の落とし穴』読了

          村上靖彦『客観性の落とし穴』を読み終えたのだが、うーん不満。 というのも、まぁ良い意味でいうなら期待を裏切られた良書。 悪い意味で言うならば、帯が内容を詐称してる。 一方で、ロレイン・ダストン、ピーター・ギャリソン『客観性』の読書をサボれるか?という、保坂の期待を裏切られてしまったのが不満。(^^) 村上靖彦氏は基礎精神病理学と精神分析が専門なので、ベースとして医療倫理として論がまわされている。 健康とは何か?とか、地中海を中心とした西欧という地方の文化方言に興味がある保坂と

        〈写真の物質性〉を根本から考えなおすことになった。

          大山顕『新写真論:スマホと顔』読書会用資料

          ・大山顕『新写真論:スマホと顔』 ゲンロンβ 2017/4-2019/8 に「スマホの写真論」として連載 大山顕:写真家・ライター、団地研究家。 ・日本写真協会賞学芸賞 著書『新写真論 スマホと顔』において、撮影された写真だけでなく、スマホ・SNS・AIなど写真の周りで起こりつつある出来事すべてを「写真」の内部で考えようとする論考は、現代における写真とは何かを考える上で示唆に富む。この労作に対して。 ・p308 ぼくは「『写真とは何なのか』を言語化できるのが写真家」と

          大山顕『新写真論:スマホと顔』読書会用資料

          「裸族のテラスハウス」導入完了。

          Threadsにアップしようと書き始めたのだが(だから写真がiPhone SE)、書き始めたら、ほぼ1000文字になってしまったので、方針変更。 noteにアップして、Threadsにリンクを張ることにする。 そもそもの発端は、DxO PureRAWを導入したことに始まる。 全撮影を、全PureRAW処理してたら、クラウド1TBのAdobeファイルストレージがあふれたのだ。 あふれたファイルストレージを、全部バックアップして、クラウドを整理しようと思って書き出しをしようとし

          「裸族のテラスハウス」導入完了。

          機材の話し:カメラを換えるか?

          OMシステムさんから、OM1 mk2に買い換えませんか~?キャンペーンがやってきた。 メーカーキャンペーンの魅力は、古い機種を高く下取りしてくれる上に、自分はプロサポートに入っているので、205,220JPYで購入できるところ。 ボディのみだが十数万円で新機種移行は魅力的だ。 シグマ60mm f2.8 dnスナップは驚くほど、自分の写真が下手なのでどうしようかと思う。 ずっと広角から標準で撮っていたので、望遠というスタイルに身体が驚いているみたい。 どうしても自分はピントを

          機材の話し:カメラを換えるか?

          久しぶりに機材の話し:単焦点望遠スナップという新しい作風

          いまメインSNSが完全に「Threads」になっている。 最近は写真を撮る人/撮られる人ばかりでなく、絵を描く人も増えてきてうれしい。 絵を描く人って“いたずら描き”と称して、すらすらってアップしているのが、本当にうらやましい。 文章や写真、時々映像といった、必ず編集が入る表現をしていた自分にとっては、音楽や演劇、速描きといった即興的な表現に憧れる。 写真家にとっての即興性が強いエスキースといえば、ストリートスナップだし、自撮りだし、物撮りかもしれないと思った。 最近、郡司

          久しぶりに機材の話し:単焦点望遠スナップという新しい作風

          リアルロボットとスーパーロボット

          十数年ぶりにロボットアニメなぞ、自分で進んで見たくなって、『勇気爆発バーンブレイバーン』を見てしまった。 大張正己監督である、というのも大きいのだが、実は一番、見たかったのは「リアルロボット」と「スーパーロボット」の融合というところだ。 大衆小説の芥川賞と純文学の直木賞があるように、文学を非常にざっくりと分類をすると、リアリズム小説とロマン主義に分かれる。 これをロボットアニメに当てはめると、 なぜ戦うかを問うリアルロボットもの 戦いの意味を問わないスーパーロボットもの

          リアルロボットとスーパーロボット

          篠山紀信と魚眼レンズ、American Surfacesに多自然主義

          ブルータス No.995を本の山から救い出す。 ここに故篠山紀信の最期のメディア記事がある。 「なぜ息をするように、写真を撮り続けるのか?」と問いかけているが、先日、まるで撮るものが無くなったかのように老衰で亡くなる。 - 昔の魚眼レンズスナップがTumblrにてリブログされた。 やっぱり対角魚眼レンズはいいよな、とちょっと思い始めている。 PureRAWを使うと魚眼のゆがみもとってくれるが、APS-Cにフルサイズの魚眼を使うとどうなるんだろう。 またPureRAWの歪み補正

          篠山紀信と魚眼レンズ、American Surfacesに多自然主義

          《ひとつの世界》を考える:自然と文化と共同体

          ・まくら 今回は長い、文章が長くなってしまった。 中野の丸井(沖縄物産フェア?)で買った、大東島にあるグレイスラム『COR COR』赤ラベルを一本飲みきる。 なぜ飲み切れたかといえば、飲み残しのコーヒーで割る、を最近になって発見したからだ。 西新宿のバーテンダーに次に飲むラムの銘柄を相談すると、泡盛のコーヒー割りを教えてもらう。 なんでもビギンの人が好きなので「ビギン割」といわれているそうな。そしてまぁ我が家には泡盛もあるので、早速飲む。うまし。 というわけで、この泡盛もすぐ

          《ひとつの世界》を考える:自然と文化と共同体

          僕は《額縁》のある作品が好きらしい

          僕は基本的に読んだら売ってしまう。 また欲しかったら買う。 読み切れないものも売ってしまう。 また読みたくなったときに買い直す。 ということをしているので、人生において何度も売ったり買ったりしている本がある。 ギブスン『クローム襲撃』などは最たるもので、多分、目の前を十冊以上流れている。 先日、石原千秋『読者はどこにいるのか』河出ブックス判を古本屋で買い直した。やっぱり面白く、勉強になる。 SNSなどで引用するために、Amazonで調べてみると河出文庫版がでていた。 スルーつ

          僕は《額縁》のある作品が好きらしい

          改めて《存在論》を掘る

          つかの間の読書の自由な時間は終わり、早速、二つの読書会/ゼミに向けての精読が始まる。 その始まる前にステートメントというか、問題意識を未来の自分に送る。 保坂は改めて《存在論》を掘りたい。 というのも ・ロランバルト『明るい部屋』を読み直したところ、写真に対する「存在論的な」欲求にとらえられた本であることがわかった。 それが令和のいまはなぜか、「表象」という概念をあえて定義しないまま戦略的な操作概念とする、表象文化論の読解になってしまっている。 これが保坂の存在論理解を阻ん

          改めて《存在論》を掘る

          新しいゼミに入った。

          保坂はヲタク(だった?)なので、昔からゲームをプレイするために公民館を借りたり、飲み会を主催したりしていた。 インターネットに触れると、メーリングリストを主催したり、メールマガジンに参加したりするようになる。 写真をはじめると、これまたワークショップに参加したり、主催したり、海外のグループ展に遠征などしていた。 このノートもやっていることは、ほぼ同じだと思っている。 コロナになり、Zoomの読書会に参加したり、CLubhouseで番組を主催していた、そのながれで現在も、二つの

          新しいゼミに入った。

          明示的な写真、Taking Seriously、植物図鑑

          日本はバルト『明るい部屋』以降、海外からの写真論が受容に何かひっかかりがあるのは、日本アカデミックのポスト構造主義理解に大いなる特殊事情があるんじゃないか? と、諸先輩方に質問を投げかけた。 日本語エクリチュールのラスボスたるイシューとは「日本国憲法」のはずである。これがどうなってるのか?? 保坂的には、ここを曖昧にしているから、写真論も曖昧なのじゃないかと想像したのだった。 すると《柄谷行人》という大きな壁が立ち上がってきたのだ。 正直言う、僕は写真のことだけが知りたいのに

          明示的な写真、Taking Seriously、植物図鑑

          読書と写真とThreadsが楽しい

          最初に、Threadsがたのしい。 Twitter/Xは完全に読み選、Facebookは連絡用、Instagramはエスキースを上げてる感じ。そして長文を投稿しているのが Threadsだ。 いま日々の思いを Threadsにあげ、ここ noteにまとめている感じ。 やってて思うけど、Twitter/X はやっぱり文章の世界であり、気が利いた一言を発せる人が評価される。 だからこそ《ビッグマウス》が横行する宇宙でもある。 一方で Threadsは背景として Instagram

          読書と写真とThreadsが楽しい