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写真家バンザイの2.5次元ギャラクシー

保坂です。
昔ね、ピーター“ロボコップ”ウェラー主演の『バカルーバンザイの八次元ギャラクシー』と言うのがあってだな・・・。(^^)
と東京四角階段ぽい枕でした。
先日、Clubhouse一周年でしたが、そこから長い休みをいただいております。
何かの形で再開するつもりですが、今のところ、休もうかなってかんじです。
というのも、いま写真が楽しいから。

先日の2B Channel“北桂樹「スネ夫の髪型問題」から考える現代写真”がサイコーでした。
写真のマテリアリズム=物質化の話題が少しわかった気がする。
シャーロン・コットン『写真は魔術
村上隆『スーパーフラット
東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生
が全部つながった。
そのキーワードは「2.5次元」でした。
それは NFTやメタバース、時間線/世界線/マルチバースをとりこみ、その同時代性をかんじる。
そういえば、自分は モノクロHDR写真にてサイバーパンクをやろうとしたときから、やろうとしていたことだったと、過去の自分との繋がりも確認が出来た。

ボードリヤールが、オリジナルを持たない模像「シミュラークル」を提示した。
社会学用語図鑑から引用させていただきます。


僕はシミュラークルを、現実vsフィクション、って二項対立の世界観の下で漠然と受け取っていた。
ところがトランプ以降ポストトゥルースの時代になって、現実とフィクションとは対立する概念ではなくて、「確からしさ」の程度問題だけになってしまった。
そうだよ、写真の機械の眼とか、無意識を写し出すというテーゼは、程度問題にすぎなくなってしまった。
さようならする写真も、植物図鑑も程度の差でしかないんだよ。

オリジナルか、シミュラークルか、も全ては程度差だとすると、これからの写真家の仕事は「ハイパーリアル」を撮ること、になると思う。オリジナルはどこか遠くに思うもの、あの方なら彼岸というかもしれない。
彼岸は彼岸のまま、オリジナルは存在するであろう確認できない存在のまま、シミュラークルを現実化することが「真を写す写真」になると保坂は考えてる。

これはアプロプリエーションと、何がちがうか?が大事だね。
と、ゲーム的リアリズムの誕生を読み直す。

2022/02/10 15:18

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