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BORN TO RUN "GO WEST"


 ゴングが鳴った。歓声は最初から最高潮だったと言える。
 日本格闘技界最強を決める、と言う謳い文句は伊達じゃなかった。
 隆盛と衰退、興亡を繰り返す日本格闘技界にある波。数年単位でブームにはなるものの、選手達の絶頂期は短い。だからこそ、散り際の花のように美しい格闘家たち。
 大小合わせて24もの団体が参加を表明した。そして、予選を含め147名もの選手がエントリーすると言う夢の大会。最大スポンサーであり発起人、株式会社「GATE」の代表である高崎アキフミは、この大会を「シリーズ化するつもりはない」と断言した。
 たった一度だけの花火である。
 実際、どれほどの盛り上がりを見せようと、もう2度目はないだろう。高崎が私財を投げ打って開いた大会だ。金だけの問題ではない。これほどの団体が参加し、脂の乗った選手たちが闘えるタイミングはおそらく今後20年は来ないだろう。
 時勢もあった。満ち潮と高波が重なった瞬間。今この時を置いて他にない。
 その第1試合を飾るのが、ビックネームの大激突である。

 東 健吾(あずま けんご。27歳。総合格闘技・ECLAT GYM所属)

 西 豪(にし つよし。32歳。総合格闘技。WRATH所属)

 東と西。東京と大阪。冗談のような東西対決がオープニングを飾る事になったのだ。近頃、巷を騒がせている格闘家を狙った「辻斬り」事件が、高崎の演出の一環であると言う噂もある。だが、もしそれが事実なら、イベント自体が潰されかねない。おそらく、それはないだろう。
 そして、対戦カードは昔の宝くじのように、風車版に弓道と言う方式を採用し、その映像も生放送された。仕組まれた可能性はゼロではないが、実際のマッチメイクを見る限り、格闘スタイルも有名無名もデタラメと言わざるを得ない。
 その1試合目が奇跡的にも、怪物対決となったのだ。

 東 健吾。180cm 73kg。31戦25勝。通称・ボーンクラッシャー。同じ総合格闘技スタイルでも、寝技組み技を得意とするグラップラーである。

 西 豪。177cm。77kg。35戦26勝。誰が呼んだか、「豪腕」 対するは、打撃・立ち技を得意とするストライカー。

 国内で対決が期待された二人だが、よもや夢の大会の初戦でドリームマッチが実現しようとは誰が想像できた事だろう。
 5分3ラウンド。MMA(総合格闘技)ルール。両者協議の上、オープンフィンガーグローブ着用。ノー・ジャケット(柔道着などの着用なし)で合意。
 この観客のボルテージも納得だ。
 両選手とも、得意スタイルは違えど同じ総合格闘技。そして、両選手ともにオールラウンダーではある。苦手な分野があるのではない。得意な分野があるだけだ。
 やや直立気味に構える西。やや低めに構える東。
 下馬評では東優勢である。理由は説明するまでもない。
 立っている人間を倒すのは簡単だが、寝ている相手を立たせるのは困難。立ち技と寝技。リングの中で1対1の素手と言う条件なら、寝技・組み技の方が有利なのだ。
 日本に限らず、格闘技・武術・喧嘩や実戦では、やはり華のある打撃系が好まれる。しかし、現実は甘くない。寝技・組み技・投げ技しか知らない相手ならともかく、武に心得のある人間を一撃でノックアウトさせる事は難しい。いや、柔道やレスリングしか経験のない者でも、一撃で勝敗を決める事は困難であると言わざるを得ないのだ。
 人間の顔面に対する反射神経は、恐ろしく速い。アスリートともなれば尚更だ。
 無論、クリーンヒットが入れば大男でも昏倒する。それが打撃系格闘家の一撃だ。
 しかし、不意打ちではなく、打撃が来ると明確にわかっているなら、防御や回避が間に合わないまでも、クリーンヒットだけは喰らわない。わずか1cmでいいのだ。身体を、顔を攀じる事さえ出来れば、脳震盪を起こし、意識を刈るに足る一撃にはならない。
 だからこそフェイントを織り交ぜ、コンビネーションを組み立て、相手の攻撃を読んでカウンターを狙う。
 だが、東は得意分野がグラップリングだ。その一撃を狙わなければならない西に対し、東は詰め将棋のように搦め手を使って来る。
 格闘ゲームでは体力がゼロになれば雌雄が決するルールだ。だが現実は逆である。体力が減ると言うより、ダメージが蓄積していく。ダメージが蓄積するほどに、意識は散漫になり、動きが鈍くなり、相手からの決定的な攻撃を許してしまう。
 東の側は、一撃を躱しても、ガードしても、食らってもいい。その一撃でダウンさえしなければ、自分の戦場に西を引き摺り込めるのである。
 無論、西も寝技が出来ない訳ではない。一筋縄ではいかないだろう。だが、立ち技と寝技では、寝技に優位性があると言わざるを得ないのだ。
 立ち技は、その特性上、打撃の後に必ず隙が出来る。特に、蹴りともなれば尚のことタックルの餌食だ。かと言って腰の入っていない、踏み込みの浅い打撃など下手に放てば、それもまたタックルの格好の的になる。
 だが、打撃で最も警戒しなければならないのは、膝。
 タックルに入った瞬間に膝蹴りを合わせられると、待っているのは地獄だ。自ら体重をかけて、岩のように硬い相手の膝に突っ込んで行くのと変わらない。これにさえ警戒していれば、一撃でK.O.される確率は激減する。
 お互いに総合格闘技の使い手だ。立ち上がりは静かになる。そう思った瞬間、
 パシッとも、ベチィとも、ゴッとも聞こえる西のローキックが炸裂していた。少なからず体重が掛かっていた東の左脛である。だが、東も瞬間的にシフトウェイトし、脚を浮かせていた。
 すかさず左ジャブと右ストレートを繰り出す西。様子見などない。判定勝ちなど狙わない。西は確実に東を狩るつもりだ。
 しかし、東もステップバックで躱しつつ、攻勢に出た。回転してのバックブロー。だが、これは見せ掛けだ。本命は、妙に腰の入った、それでいて両足が浮いているローリング・ソバット。
 いや、違う。東が、西相手にこんな大振りの技を使うとは思えない。第一に、距離が近過ぎる。まさかの、ヒップアタックかも知れない。否。それも違う。
 蹴り足だと思った東の右脚は西の胴体に絡みついていた。軸足はいつの間にか西の右脚に引っ掛けられている。更に、東の左手が、西の左足首を払っていた。ほんの一瞬、2人が宙に浮く。何が起きたのか、2人は既にグラウンドに入っていた。
 東が仕掛けたのは、飛びつき蟹挟みの変形。
 相手が西だとわかっていたからこそ、用意していた技なのかも知れない。顔面への打撃を避けつつ、体当たりするなら、下半身をぶつけると言う方法がある。
 裏拳を打つように距離を詰めつつ、蹴りに見せかけて、腰をぶつけるように脚を絡め、残った手で脚を払う。打ち合わずに得意分野へと持ち込むクレバーな方法だ。
 豪胆と狡猾。まさに表と裏だ。
 そのまま脚を取りに行く東。だが、身を起こし、脚を縮めたかと思った瞬間に東の顔面を蹴る西。素早い判断だ。しかし、脚を掴まれている事と、接地した姿勢からでは有効な打撃とは言い難い。
 すぐさま左腕で東の脚を固定すると、右の拳で脛を殴りつける。これも、密着状態で大きなダメージにはならないだろう。だが、オープンフィンガーグローブ着用でも、接地状態でも、密着状態でも、西の剛腕は生きていた。幾度となく殴りつける西に、東の動きが鈍っているように見える。
 隙を見て身を捩り、腰を引いて後ろに逃げ、立ち上がろうとする西。
 しかし、東もまた、罠を仕掛けていた。東の左足首が、西の右膕に引っ掛けられていたのである。
 その瞬間、毒蛇のようにもう一方の脚が絡み合う。
 西が関節技を恐れて逃げれば、東のヒールホールドが完成しかねない。
 そう思った時、西は東に覆いかぶさるようにして、パウンド攻撃を繰り出す。
 東も両脚を西の胴や脚に巻き付けて、防御姿勢を取る。マウントポジションで西の拳を喰らう事は致命的だが、西もまた、危険地帯を走っているのだ。
 相手に密着した、しかも脚を差し込まれている状態では、打撃のタイミングを読まれる、崩される。それだけではない。腕をキャッチされれば三角絞めなどに移行される恐れがある。
 一見すれば西の優勢に見えるが、実際には見た目ほど追い詰めていないのだろう。
 緊迫した揉み合いが続く。
 膠着状態の後、西が左手で東の左手首を掴み、ブロックを不活性化させた。右の拳が、東の顔面を襲う。1発、2発、3発。いくらタイミングをずらせても、ダメージがないはずはない。
 もう2、3発入れば東も耐えられないだろゔ。そう思った瞬間、東の脚がぬるりと、西の左腕を挟み込んでいた。
 腕ひしぎ逆十字。
 不完全な状態ではあるものの、西の左腕は東に捕らえられていた。
 逃げるエビのように、身体を起こして後退する西。しかし、東の四肢という蔓は、西の左腕を放さなかった。
 西の腕にぶら下がるようにして、身体を弓なりに反らし、極めに行く東。
 関節こそ極まっていないが、腕はほぼ自由を奪われている。いくら西が豪腕と言えども、東の全身の筋肉に勝てるほどではない。
 西に残された選択肢は多くないだろう。左腕を奪い返すには、立って踏ん張るか、倒れて俯せになるか、仰向けに倒れるか。何らかのアクションで攻勢に出る隙を作るしかない。
 だが、俯せになれば、状況からしてそのまま裏十字を決められかねないポジション。仰向けになると反撃のタイミングは少ないだろう。
 残るは、豪腕を利用してどうにか現状を打破するしかない。この間、両者にどんな逡巡があったかはわからない。
 西が、身体を起こした。東の肉体がはっきりと浮く。単純な筋肉による奪回を選んだのである。おそらくは、腕にしがみつく東をマットに叩きつけるつもりだ。
 東の肉体が浮き上がった。叩きつけても、まだ充分なダメージを与えられる高さではない。
 振り子のように、腕を振るう西。あと10センチか、いや、5センチか。もう少しだけ高さがあれば、逆転の手立てはあっただろう。だが、膠着状態の、しかも東の優勢だ。隙を伺っていたのは東もまた、同じなのである。
 おそらくは絶妙な体重移動を仕掛けたのだ。
 西の身体が、仰向けに倒れた。
 明らかな腕ひしぎ逆十字の姿勢になっていた。
 西の肉体で、自由を奪われているのは、左腕のみである。しかし、残された右腕にも、両脚にも、逆転の策はない。
 決着した。西に行えるのは、右手で東の脚をタップして、敗北を認める事だけ。誰もがそう思ったのだ。
 しかし、西に幸福の意思はなかった。このまま左腕が犠牲になるとしても、西はタップする様子を見せなかったのである。ひょっとしたら、見た目よりは腕ひしぎが入りきっていないのかも知れない。だが、腕相撲と同じだ。一度でも外側に角度が入ってしまったら、有利不利が決定的になる。
 入りきっていないとしても、全身vs左腕だ。姿勢的にも踏ん張りの利く状態ではない。
 ギリギリという筋肉の音が聞こえそうなほどに、じりじりと腕ひしぎに角度が入る。
 あと何秒保つのか。逆転の手立てはない。早くタップしろ。おそらく、観客も、東もそう思った。ラウンド終了までには、まだ2分近くある。それまで持ち堪えられはしないだろう。
 たった1秒が、10秒にも感じられる時間の流れ。東はその間にひたすら、西のタップを望んだと言う。
 「折るぞ」と「早くタップしろ」を何十回も念じたと言う。
 そして、その時は訪れた。
 一瞬、観客の嬌声が止んだように感じた。
 みぢっ、という小さな、そして確実な不快音が会場に響いたような気さえする。おそらくは、その見た目で、人間の本能が自分の肉体に起きたと錯覚したのだろう。
 折れた。いや、折った。
 正確には、靭帯の損傷である。骨が折れた訳ではない。しかし、その鈍く濡れた靭帯の損傷音は、勝利の乱破となって東の耳に、肉体に届いた。
 東が、腕ひしぎを緩め、身体を起こし、右手を高らかに上げて勝利をアピールしようとする、

 そのはずだった。

 バネのように何かが跳ねた。
 弧を描いて、塊が、東の顔面に突き刺さっていた。
 西の右拳である。
 東が腕を緩めるのと、どちらが早かったか。折られた瞬間に、西は全身の筋肉で、弾けるが如く東の顔面に拳を食らわせていた。
 東曰く、一撃目では、まだ意識はあったと言う。だが、何が起きたのかを理解していなかった。
 折ってしまった、と言う後悔と、勝ったと言う安堵の2つが、東の思考と判断を鈍らせたのだ。冷静に対処していれば、大振りのパンチなど躱せた。少なくとも、二撃目以降は。
 だが、一撃目で混乱した。何故、西が狂ったように暴れているのか理解できなかったのだ。
 三撃目、四撃目。どの辺りで意識が途切れたのか。覚えていないと言う。
 西はただ、ゴングが鳴るより先に殴る事だけを考えていた。折った瞬間、必ず手を緩めると確信していたのだ。
 レフェリーの制止が速いか。ゴングが鳴るのが速いか。
 間に合え。そう思って殴ったと言う。
 実際、ゴングが鳴ったのは西の連撃の後である。
 正確に言えば、レフェリーの判断が遅かったと言うべきかも知れない。折れた瞬間に止めなければならなかっただろう。
 しかし、西は折れた瞬間に跳ね上がって殴ったのだ。
 連打されるゴング。
 勝敗は、1R4 3分42秒。K.O.による西の勝利。
 そして、西は左腕の負傷でトーナメント進出を断念。西の強い推薦もあり、審議の末、東が2回戦進出のチケットを手にした。
 西は後のインタビューに、「東が折らなかったら、負けていた」と歯を見せて笑った。
 逆に東は、「あそこで折らなかったら、負けていた」と苦笑いで答えた。
 大会の初戦は、とんでもない熱を帯びて、誰も想像しなかった、最高の結果に終わったのだ。

 ※ この短編小説は、すべて無料で読めます。お気に召した方は投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先には実際の関節技を食らった瞬間の感想しか書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。