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現世界グルメ「菓子パン」


 混ぜるな危険。洗剤ではよく見かける注意書きだが、食べ物には食い合わせがあると言う。食べ合わせ、合食禁、食合禁などとも言われる。
 うなぎと梅干し、天ぷらとスイカ、鮎と牛蒡などが有名だろうか。
 ほぼあらゆる食品には、薬品と同様に薬効がある。つまり、Aの食品とBの食品の持つお互いの作用が反応し、単体では問題なくとも、合わさると人体に悪影響を及ぼす、と言うもの。
 だが、現実には「食い合わせ」など、ほとんど存在しないのである。
 食品の薬効が強いと言えども、所詮は食品。成分だけを抽出した薬とは効き目が違うのだ。
 成分的に「合わせない方がいい」と言うレベルのものはあれども、同時に食べると毒になる程の物は、ほぼ存在しないと言えるだろう。食い合わせには「天ぷらとスイカ」のように、水と油で消化に悪いというぐらいのものがその大半を占める。科学的根拠のないものがほとんどだ。とは言え、現代人と違い、ただの下痢でも命に関わる時代のこと。同様には考えられない。
 また「食い合わせ」には、AとBの薬効を掛け合わせると危険、という意味の他に、旬が違うものは危険(季節外れは食中毒の危険度が上がる)とか、産地が違うものは危険(保存・輸送技術の問題で食材が傷む)と言った教訓も含まれている模様。
 ただし、合わせる相手が「薬」の場合は、薬効を下げたり、思わぬ副作用を引き起こすものもあるので注意が必要だ。
 とは言え、コレとコレを合わせると危険、なんて言う食べ物に出くわす事は現実的に皆無と言えるだろう。
 むしろ料理とは、美食とは、食材同士を混ぜ合わせる事でさらなる高みを目指すものである。
 つまり、それは同時に「合わせない方がいい食材・料理」の存在を認めることでもあるのだ。
 端的な例で言うと、赤ワインと非加熱の海産物。
 幾つかの例外がないとは言わないが、そのほとんどは「寂れた漁村」の「嫌な磯の香り」になってしまい、とても良い組み合わせとは言えない。
 その、砂浜で放置されて腐って乾いた磯の香りが好きなんだよ、と言われたら否定はしないが、好みが分かれるクセのある香りと違い、おおよその人は顔をしかめる事だろう。
 片方、あるいは両方に手を加えるとその感想は大きく変わってくる。それこそ、赤ワインとの相性が悪いイカでさえ、赤ワインを加えた「沖漬け」にすると悪くない味わいになるのな。
 また、使用量の問題もあると言えるだろう。極端な話、デザートに大量の塩を混ぜると食えたものではないが、ほんの少量の塩は、むしろ味をぼやけさせない効果がある。
 では、もう少し大きな範囲での組み合わせはどうだろう。
 例えば、日本では反対派の方が勢力が強いであろう、「主食」+「主食」という組み合わせはどうだろうか。
 まあ、白いプレーンなうどんをおかずに、白いご飯をのはやはり、なかなか厳しいものがある。別に、タコ焼きやお好み焼きをおかずに、白いご飯を食べろと言われても困らない方であるが、これらは「ソース」と「卵」と「具」をおかずに白米を食べている感覚でしかない。
 他にも、慣れるまでは違和感しか感じなかったが、慣れたら平気になった組み合わせなんてのも世にはたくさん転がっているものである。
 和食とコーヒーなんてのは良い例だと思う。実際、味の組み合わせ的にマッチしているとは言い難いが、食中ではなく、甘味を挟んで食後のコーヒーにしてしまえば、和食でも中華でもさほど気にはならなかったりする。
 そう。人間は「調理」という「文化」を手に入れたのだ。料理に限らず、工夫や加工で「あるもの」を「最適化」していく生き物なのである。
 よって、絶望的に組み合わせが悪い食べ物なんてのは、そうそう存在するものではないのだ。
 ここでようやく今回のテーマに繋がる訳だが、議題は「菓子パン」である。
 まず「菓子パン」を歴史的に紐解いていきたいが、菓子パンの歴史はおそらく1874年の「あんぱん」の誕生が起源となる訳だ。
 いや、それは日本の菓子パンの話で、世界的にはもっと古い、という反論が来そうだが、世界的に見て、「菓子パンは存在しない」のである。
 そう。菓子パンの発祥は日本である、と言っても過言ではないのだ。
 それどころか、世界的に見ても「惣菜パン」そのものが存在していないのである。
 そんな馬鹿な、と思う人は多いだろうが、菓子パンや惣菜パンは日本が考案した物なのだ。
 あんぱんは、まだまだパンに馴染みのない日本人にパンを売るため、木村屋が開発した菓子パンである。
 当時の日本は舶来の食品に馴染みがなく、和の食材を加える事によってようやく売れるようになった。惣菜パンも同じだ。
 おかずで白米を食う文化の日本人に、料理の副菜としてのパンという立ち位置は理解されなかったのである。
 そこで、和菓子の餅部分をパンに変えたのが菓子パンだ。
 惣菜パンも、丼飯と同じように、具とパンを同時提供する方法に至ったのである。
 つまり、菓子パンも惣菜パンも、日本人がパンに馴染む為に作り出された新しい料理だったのだ。
 ヨーロッパを主とする海外には、その両方はほとんど存在しない。レーズンをはじめとするフルーツやナッツなどを混ぜ込んだパンは存在するものの、菓子パンと呼べそうなものは少ないのだ。主にバターやチーズ、ジャムを塗って食べる。
 惣菜パンも同様だ。ベーコンなどを混ぜ込んだパンはあるが、比較的プレーンで、パンだけを食べて完結するようには出来ていない。簡単な話、惣菜パンに近いものは、サンドイッチやオープンサンド、ホットドッグのように「パンを使った料理」というジャンルに分類される。
 スコーンやベーグルもクリームやジャムを挟んで完成するスタイル。
 最も近しいものは「ピザ」だが、これをパンに分類するとしても、何でも具材にして載せてしまうスタイルは、やはり日本が生み出した独自のものだと言える。
 つまり、米を食べる為におかずが存在する日本と、肉を食う為にパンが存在する海外との文化の差が如実に出ている訳だ。
 では、美食を語る上で、滅多に菓子パンがテーマにならないのは何故か。
 言いにくい事だが、言いよどんでも話は進まない。ハッキリ言おう。

 菓子パンは美味しくないからである。

 念のために言っておくが、全ての菓子パンが美味しくない訳ではない。実際、美味しいものは幾らでもある。しかし、菓子パンは美食を語る上で、その舞台にさえ上げてもらえない。
 理由は簡単だ。

 ケーキと言う上位互換が存在しているからだ。

 西洋人が磨き上げて来た技術の詰め込まれたデザートに、日本が日本人向けにパンを開発した150年である。簡単に勝てようはずはない。
 それに、気付いている者もいる事だろう。基本的に「高級菓子パンは存在していない」のである。
 これは日本人が無意識的に菓子パンをケーキより下だと見下している証左であろう。
 中には「高級クリームパン」のような看板を掲げている店もあるし、その中には実際に美味い店もある。更にその中には、値段に負けないだけのクォリティを持つ店もあるのだ。
 しかし、それは一部の例外に過ぎないし、話題になるのは物珍しさが後押ししていると言えるだろう。
 お気付きだろうか。ケーキと菓子パンで、払える金額の差が出てしまっている事実に。同じ高額を支払うなら、ほとんどの人間がシュークリームを選び、クリームパンは選ばない。
 悲しいかな。
 茶菓子としてなら、クッキーやビスケットに勝てない。
 デザートとしてはケーキに勝てないのだ。
 食事のお供としては、スコーンやベーグルに勝てない。それが菓子パンの真実なのだ。
 スマートフォンの普及前、それに近しい機能を備えていた日本の携帯電話は、後にガラパコスケータイ、即ちガラケーと呼ばれるようになる。
 日本の菓子パンや惣菜もまた、ガラパコス的特殊進化を遂げた。残念ながらガラケーは競争に負け、絶滅への道を歩む事になる。
 しかし、菓子パンや惣菜パンはどうだろう。本格的な西洋パンが登場するようになって20年以上は経過している。つまり、いわゆる「本物のパン」に対抗しうる何かを、すでに身に付けつつあるのではないだろうか。
 実際、スマホに駆逐されたガラケーだが、指先によるフリック操作を除けば、機能的に負けていた訳でもない。むしろ、操作を除けば、スマホがガラケーに与えた影響は大きいと言える。
 同様に、菓子パンは「本格的なパンに勝る何か」を持っている可能性はあるのだ。
 明確なものは3つある。
 前述した「値段」がその筆頭だろう。
 逆に言えば、安いからこそ買ってもらえると言う利点はある。
 第2に、手軽さであろう。
 弁当箱を洗う必要がなければ、箸も用意しなくていい。コンビニ弁当ほどのゴミも出ない。温める必要もない。しかも、簡単に糖分やカロリーを摂取できる。しかも弁当やデザートほど高くないのだから。
 第3の理由は、ソウルフードだから。
 いつぞやの伊勢うどんの時にも書いたが、ソウルフードってのはどうしようもない。それを食って育ったんだから、どうしても忘れられない味なのである。
 美味いか不味いかは別の問題で、もうその味を欲しているのだ。ここまで来るとそれはもはや理屈ではない。日本人のほとんどが米なしで生きていくのを拒むであろう。それは日本人が米を食って育っているからである。
 そして同様に、菓子パンを食わずに育った日本人はいないと言っても過言ではない。親としても、駄菓子を与えるよりは安心だろうし。
 そう言う意味で、ケーキは菓子パンの上位互換かも知れないが、菓子パンは駄菓子の上位互換と言えるだろう。
 確かに菓子パンは「美食」のテーブルに座る事を許されない料理かも知れない。これがその位置を保ちつつ、あり続けるのもいい。
 また、ファストフードやジャンクフードの類であった寿司が、高級食に成り上がったように、美食のテーブルに並べられる菓子パンが生まれていくのも、また1つの道であろう。
 ところで、今回のテーマに菓子パンを選んだのには理由がある。
 先日、知人と話していた時に、見かけなくなった「菓子パン」があった事を告げると、若い世代は誰もその存在を知らなかったからである。
 つまり、消えて久しいと言う事だ。
 名前はわからない。記憶を辿る限り、フルーツサンド的な名前だったように思う。
 いわゆるコッペパン(細長タイプ)の上面に縦方向の切れ目を入れ、ホットドッグ状にする。
 その切れ目にホイップクリーム(植物性)を流し込み、缶詰ミカンを2つほど、中央にドレンチェリー(チェリーの砂糖漬け)をあしらった物だ。
 まだまだ生のフルーツが高級だった1980年代までは確かに存在していたのだが、いつの間にか見なくなった。
 当時は大手パン屋よりも、街場のパン屋で頻繁に見かけた気がする。
 最も近いもので「スペシャルサンド」がどうにか現存しているが、これも風前の灯のよう(限定発売)である。
 見た目通りの味しかしない。だが、郷愁にかられて口にしたくなってしまうのだ。まだ食べられる場所があるなら、もう一度味わいたいものである。

 ※ この記事はすべて無料で読めますが、菓子パン好きもそうでない人も、投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先にはもうひとつの「消えた菓子パン」の話しか書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。