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【出産】長男の出産とNICUに通う日々からの成長

長男の発達障害が発覚したのは3歳になった頃でしたが、赤ちゃんの頃から発達に不安がありました。
発達障害に関わらず、長男には生まれたときから心配と不安の連続でした。

36wの早産

長男は1ヶ月ほどの早産で産まれました。
35wの終わりに切迫早産で入院し、ずっと陣痛のような痛みが続いていました。
病院の先生からは「正産期の37wまで耐えて!」と言われていましたが、24時間、不定期にやってくる下腹部痛で寝れずご飯もまともに食べられず、入院から3日後に本陣痛、破水で出産することになりました。

しかし、出産時の推定体重が2,800くらいだったので、早産ではあるけど同室は普通にできるんじゃないかなーと言われていました。

痛みで暴れ、陣痛室から分娩室へ行く途中に点滴が抜けてしまい、病院の壁に血が飛び散ったのを覚えていますごめんなさい。

長男は想定体重よりも少し低い2,630gで生まれてきました。
少しだけ抱っこをし、私は会陰切開の処置をしてもらいました。
処置が終わったあと、

「赤ちゃんは少し呼吸が上手にできていなかったからNICUに居ます。会われますか?」

と言われました。
初産だったので、「呼吸…!?」となり、不安で不安で仕方なかったです。
会陰縫合のあともめちゃくちゃ痛くて立つことも座ることもできず…ゆっくりゆっくりと一つ上の階にあるNICUまで歩きました。

そこに居たのは、酸素の濃度が調節されている保育器の中でたくさんの管が繫がれている長男でした。

「肺気胸」と言われました。
肺に穴が空いていて、うまく呼吸ができていなかったそうです。
しかし、数日で自然と治るから同室もすぐだよと言われ、病室へ一人戻りました。、

長男を出産したのは居住している地域で一番大きな総合病院で、そこは四人部屋で原則母子同室でした。

私以外の3人はどうやら経産婦で赤ちゃんとも同室できていました。

他の赤ちゃんの声で目が覚める日々
授乳室で一人搾乳する日々
搾乳を一人歩いてNICUまで届ける日々

ほんとにつらかった。
毎日、数時間だけNICUに面会をしに行っていましたが、生後2日で高熱を出し、一緒に退院するのは無理だと言われました。
高熱が続き絶食となった長男には、もう搾乳すら届けることがなくなりました。

出産の実感は、会陰縫合と後陣痛の痛み、そして不便な入院生活だけでした。

産後7日で私一人退院し、入院前と何も変わらない生活に戻りましたが、そこから毎日搾乳を届け、同時に面会をする日々が始まりました。

高熱は下がり体調は良くなったものの、今度は黄疸が酷くて個室で全方向からビームを浴びて治療を受けていました。
その間は窓越しに眺めるだけの面会。
退院の予定は生後2週間経ってもまだ決まりません。

黄疸がよくなってからは沐浴をしたり授乳をしたり…NICUで少しずつ育児の練習をしました。
しかし、退院の予定はまだ決まりません。
それは、長男の体重が一向に増えなかったからでした。
母乳とミルクの混合でしたが、体重が増えるどころか減っていました。
体重が50g増えた日には先生もみんなで大喜びでした。

生後1ヶ月程度で退院できるまで体重が増え、念願のお家での育児が始まりました。

早産だったので、誕生日から数えて検診を受けると一人だけ小さかったりできることが少なかったりして辛い気持ちになるかもしれないから、本来の予定日に合わせて1ヶ月後に生まれた子と一緒に今後検診を受けていってもいいですよ

とNICUでお世話になった先生から言われつつ、とりあえず退院後一週間、そして生後3ヶ月と病院で成長を見てもらいました。

心配と裏腹にぐんぐん大きくなり、誕生日で数えても大丈夫だね(笑)と言われるほどになりました。
それから市で行われている定期検診は同じ月生まれの子と受けていくことになりました。

0歳の頃の印象は、とにかく鼻水がよくでる、熱をよく出すというもので、肺気胸だったからなのか気管支が少し弱かったです。

生後5ヶ月で保育園へ入園し、月2で熱を出していました。
そして10ヶ月のときに下の記事でも触れた熱性けいれんが起こりました。

ざっくりと成長を振り返ってみると、
首が座ったのは約6ヶ月
腰が座ったのは約8ヶ月
つかまり立ちは約1歳0ヶ月
歩き出したのは約1歳3ヶ月
でした。

もう首が座った頃から発達の心配してました。
(さすがに心配性だけど)

早産から、あんなに小さい小さい言われてましたが、今では保育園でトップクラスの身長。

5歳11ヶ月現在で、身長117cm 体重23kg

発達障害があり特に社会性に不安が強いですが、すくすくと成長し、心配や不安が年々解消されてます。

子どもの生きる力ってすごい。

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