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LIFE SIFT(ライフシフト) 大学を定年退職後も働き続けるために-北九州市立大学 国際環境工学部 情報メディア工学科山崎進准教授インタビュー

この記事は「北九州のすごい人たちを紹介したい」と2018年に運営していたメディアの記事をg.o.a.tからnoteに移行したもので、インタビュー当時2018年時点での情報です。

ZACKY先生こと 山崎進准教授にインタビュー

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  • 北九州市立大学国際環境工学部 情報メディア工学科 准教授

学生たちから「ZACKY先生」と愛称で呼ばれる山崎准教授。「学生たちの『わかった!』という顔は,本当に嬉しくてたまらなかった。」と教育を心から楽しむ教育者でありながら、プログラミング言語Elixir(エリクサー)の研究の第一人者でもあります。

「第一人者と言っても、僕は定年退職後も働き続ける必要があるんですよ」と、「LIFE SHIT」という本に先生が衝撃を受けた話からインタビューは始まりました。

- なぜ公立大学の准教授でElixirの第一人者が定年退職後も働き続ける必要があるのでしょうか?

退職後の仕事で悩んでいた1〜2年前に読んで衝撃を受けたLIFE SHIFT(ライフシフト)という本があります。
あの本は三つの世代を書いていて、その真ん中の世代がちょうど僕の世代なんです。ど真ん中、Y世代とか。
そこは覚えていないのですが、一番主役で書かれている1970年代前後に生まれた「第二次ベビーブーマー」という世代。
その世代は結論としては「一生同じ仕事では食っては成り立たない」それではペイしないのです。
ライフステージをいくつも変えないと生き残れない、一回転職するだけでは足りません。
分野を2回ぐらい変えるのを繰り返さないとペイしない。
僕自身が色々な事情で、退職後あまりお金が恵まれないという状況があったのと、研究の内容の二つの問題があったので退職後もずっと働き続けることになるなと。
定年退職までは北九大にいるつもりですが、北九大にいる限りは必ず定年退職があるから、どこかで大学から切り離されます。
自立しないといけません。
それに耐えられるようにしないといけないということが、僕のテーマです。

- 研究の内容にどんな問題があったのでしょうか。

今のプログラミング言語Elixir(エリクサー)を研究する以前に取り組んでいたテーマはプログラミング教育に関するテーマでしたが限界を感じていました。
学生のデータを取るだけでも時間がかかります。
授業をしてデータを膨大に取得して改良する。
分析にも時間がかかりますし、本当に効果があったことを立証するために更にデータを取らないといけない。

データ取得の手間と、もう一つ倫理上の問題もあります。
「学生」を扱うので失敗できません。
無理なことを強いたり、彼らに不利益を被るようなこともできません。

研究にしようとした時は「倫理委員会」にかける必要があり、審議に触れたりすることもあるので実験計画を事前に出して事前に通さないといけない、というのが最近の流れです。
それをしないと研究として成立しないから、ものすごく事前に計画立てないといけません。
でも僕は苦手ですし、時間がかかります。
承認を得るのに1ヶ月かかったり、とてもじゃないけどスピード感が合いません。

別の理由でそれまで教育に関して助成金を取ろうとして色々動いたこともありますが、全然取れませんでした。
下世話な言い方したら「教育はお金にならない」。
助成金は取りにくいし、論文の業績も出しにくいし、色々手続きも難しい。
これを研究としてやり続けるのは無理があると思っていました。

- 学生から人気が高い研究室と聞いています。惜しいですね

もちろんライフワークとして教育には主体的に関わろうと思っています
学生をちゃんと一人前に育てる、社会人をより良い道に導く
それはずっとやっていこうと思っていますが、研究とは切り離したほうがいいと、問題意識を持っていました。
研究者として「教育」を研究として成立させるには難しいですから。
加えて難しいのが「教育」はうちの学科のメインストリームではないことです。
学内の研究のポジションが低くなってしまいます。
その四つの理由ですね。
これをずっと大学でやっていくのは無理があると。

- 大学で「教育」の研究を続けることは現実的ではないと判断。今の研究に変えたきっかけはありましたか。

いずれ大学から定年によって必ず切り離されますから。
今みたいに大量の若者、学生と出会う機会は失われてしまいますし、教育で身を立てようと思ってもクチがなくなります。
大学の非常勤の先生になったり、会社の研修の講師になる方法はありますが
、定年後も柱になるような働き方には到底ならないでしょう。
これが五つ目の判断理由です。
教育で自分で事業を起このは費用の問題で考えていません。
それでずっと研究テーマをこれからどうしようと考えていたとき「ライフシフト」を読んで「ここでシフトしないとダメなんだ」と思いました。
ちょうどそんな問題意識に立った時に、自分の新たな研究に大きな影響を与えてくれた森さんと出会いました。

- 新たな研究に影響を与えてくれた人とはどんな出会いでしたか。

森さんは福岡のカラビナテクノロジー株式会社という会社のCTO 常務取締役です。
僕が遊びで作っていたプログラムが楽しくなって没頭していた頃に出会いました。
意気投合し、Elixir(エリクサー)を推してくれました。
現在私が研究している言語ですが、その時は別の言語に関心があり「ふーん」という感じでした笑
その後森さんからAIについての講演を依頼され、彼が当時運営していたコミュニティ「福岡×人工知能」で講演しました。
それから森さんとElixirで共同研究をすることになりました。
共同研究のかたわら、FAIS(フェイス)ー公益財団法人北九州産業学術研究推進機構にElixirでAIのライブラリを作ると申請を出したら意外にもすんなり通って。
このテーマに手応えを感じました。
学生時代にプログラミング言語処理系やOS、そういうテーマを研究していたこともあり、そのころを思い出してものすごくワクワクしましたね。
学生の頃に最初に選んだテーマというのはライフワークにつながるテーマを持っていて、夢中になり具合が他と半端なく違う。
Elixirを研究してから深夜未明に大学に車を走らせている僕を見て、「このテーマが好きなんだね」と妻が言ってくれました。


- Elixirを研究し始めてから変化がありましたか。

共同研究の申し込みで「わが社の課題を人工知能解決してほしい」という引き合いが増えていました。
大学に永原先生という人工知能の専門家の先生が来てくれて色々人工知能について教わって「こういうものなのか」と手応えを感じましたね。
永原先生に学んだことを生かして共同研究に少しでも生かしたらとても喜ばれる。これはいいなと。
Elixirを使うと人工知能のスピードが3倍ぐらいになるだろうと実測値に基づく見込みがあります。
AIはこれから10年は発展するだろうから、一生の仕事としてElixirという新しい処理系を充実させてAIを含む色々な分野に使えるようにしていき、社会インフラを整備していくことをテーマにしていったらどうだろうかと。
このように研究テーマはいくらでも思いつきますし、Elixirなんて世界的にやってる研究者がほとんどいません
打ったら世界レベルの研究成果が何でも出せるような状況です。
これは教育というテーマに比べたら遥かに研究成果を出しやすい。
こちらにシフトチェンジしようと思いました。
教育をメインにしてお金を稼ぎ、地域の課題を解決するというのは息の長い話であるし、お金はかかっても得にくい。
そうではなく地域課題を解決するElixirのプログラムを作っていくようなスタンスにして、そこで実際に社会実装したときの課題をフィードバックする。
地域課題の解決には技術的な課題があるから、技術的な課題を解決する技術を開発するように Elixir を発展させたら稼げそうだとシフトチェンジしました。


- Elixir研究の楽しさとは?

大学の仕事に関してはElixir以外でこれほど没頭することはありませんでした。
プライベートの時間を大事にしてたから。
仕事終わってご飯食べて子供と遊んでいた。
それが暇さえあればプログラミングしてるし、大学来てるし、寝る間も惜しんでやってるし。
その変化に妻は気づきましたね。
体壊さないかだけが心配と言われてます。
子供の頃に没頭したゲームプログラミングと同じですね。
プログラミングは小学校高学年からハマっていました。
習い事もいっぱいしたし、友達とも沢山遊びましたが親にはパソコンほど心底求めてねだってきたものはなかったと言われました。
僕は最初ファミコンを欲しがったそうですが、「ファミコンだと遊ぶだけだから、パソコンにうまく軌道修正した」と。
キャッチフレーズを親が作ったんです。
「君遊ぶ人、僕作る人」って。
僕の原体験です。
学生時代にもプログラミングで世界を望もうとした。
それと同じような気持ちでもう一回見たい。

- 仕事のための研究としてではなく「教育」はライフワークと仰っていましたが、教育のジャンルでしたいことがあるのでしょうか?

僕のように昔ワクワクした体験、そこにぴったりはまるとライフワークになるかもしれない。
みんな、そういうかけらを持っていると思います。
それを引き出してあげたいですね。
学生だけでなく、社会人にも。
以前コワーキングスペースで「朝ゼミ」を開催していました。
運営者の方がそこを立ち上げたばかりで、彼を応援したかったから「何かやりましょうか」と持ちかけてですね。
保育園へ子供を車で送ってから大学に行く途中に立ち寄って朝ゼミです。
もう少し早くしたかったけど、時間の都合で朝の8時15分からスタート。
そしたら働きに行く前の主婦の方々が受講生になってくれました。
それでみんなで何しようかって、やった活動っていうのが「ライフワークを探す」「天職を探す」ゼミ。
僕はストレングスファインダーを診断に使っているので、受講生に本を購入してもらい自己診断してもらいました。
自分の強みをどう生かせばよいのか。
どんな風に天職を見つけるのか判断していきました。3ヶ月ぐらいかけて。
そこでもいろいろな出会いがあ理、手応えと言いますか、需要があると思いましたね。
社会人にとって「ここは本当の居場所じゃない」と思いながら働き続けてしまうこと。そこをなんとかしてもらいたいという思いがありました。


子供の頃の原点である「プログラミング」ではなく「教育」をライフワークとまで仰るのはなぜでしょうか。

人のライフワークを引き出すことを自分のライフワークとしたのはソニックガーデンの倉貫さんがきっかけです。

僕が倉貫さんに熱烈なラブコールを送って、鹿児島のイベントにお招きしました。
その後チャットで「僕は起業したいです」と話をしたら、倉貫さんから「今度話しましょうか」と。
しばらくしてお会いできて、教育の企業の話を倉貫さんに喋っていたら彼が「メンターになりましょう」と言ってくれました。
その後チャットベースでメンタリングしてもらうことができました。
倉貫さんが最初に僕に言ったのは「価値観をあげましょう」でした。
僕は9つあげました。
自分の価値観がはっきりして、その次に自分のミッション、そしてその延長線上にどんなビジョンがあるか分かってきました。
最終的に僕は「起業しない」選択をしたけど、人生価値観とビジョンとミッションは残りました。
これによって僕の人生がすごく変わったと思っています。
それまでの僕を表すのは座右の銘「一所懸命やれば必ず道は開ける。ただしとんでもんない回り道かもしれない」です。
一所懸命だからエネルギー溢れる。
でも倉貫さんによって僕も自分にとって大切な三つの価値がわかって一定の方向に積み上げることができるようになったおかげで成果が上がるようになりました。
自分の価値観を発信していくとそんな仕事ばかりすることになりました。
周りから「山崎はこういうことやりたいんだね、じゃあやって」と仕事が来るようになりました。

発信した人に一番情報が集まります。
起業しなくても、だんだん人生が変わりました
そんな体験を得たので、もしそれが20代、30代に出会えたらと思うわけですよ。
僕は40代でしたから。
もっと早かったら10年、20年の時間が生まれる。

ある意味僕は以前と比べると教育者として幅は広がりました。
色々な体験をしたから、色々なことを知っている。
いかんせん回り道してしまったので、この先残された寿命を考えるとそんなに高いレベルにはいけません。
そう考えると、やっぱりもっと早いうちに「自分の本当のやりたいこと」を見つけてあげた方がいいなと思いましたね。
僕のライフワークであるPersonal Vision Co-Creater (パーソナル・ビジョン・コー・クリエーター)。
「コー」が問題、一緒に見つける
ドラえもんみたいにはいどうぞ、じゃない、夢を一緒に作っていこうって。
デザイナーじゃなくてクリエイター、デザイナーだと緻密に作り上げるようだけど、クリエイターは「ゼロから創り出そう」です。
僕はもともと戦略思考の人間ではない。
今のことしか考えられないんです。
過去も知らない、未来も考えない。
だけどそうやって未来が考えられるようになった。
倉貫さんのおかげで、ぶれなくなりました。

インタビュアー:高橋建二 , 松村 友和
インタビュアー・撮影・編集:かやはらあやこ

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