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スピ・自己啓発アレルギー

タイトルのようなアレルギーの方を見聞きすると、
「へー、そっか。がんばれ。」
という何とも形容しがたい感想になってしまう。

それと同時に、
もったいないなぁ。とも思ったりする。

このような人たちは「もう一歩外に出てソレを言っている自分を観察する」ということを試してみればいいのだろうけども、
なんせその行為自体がいわゆる〝自己啓発〟とか〝スピリチュアル〟な行為なため、
上手いこと『外面は内面を表す』を体現しちゃっているのだ。

更に、その状態は分離状態であり同化しているので
バリバリッっと視点を剥がさないと
ニュートラルな視点には飛べない。

人は何かを否定している時、
マインドのどこかでは同時に肯定もしている。

「ない」と言えるのは「ある」を知っているからであり、それら二つに行ったり来たり振り回されている間は、その土俵からは降りられない。


因みに、現実は思考だけが作ってはいない。
現実に〝なる〟という表現も正しくない。

私たちは意図したものに感情と行動を掛け合わせることで、「観ている」だけなのだ。

例えば、何かを否定しているなら
それを否定するという事で生まれる感情を
味わいたいと決めているのだ。

例えば、スピリチュアルや自己啓発を否定しているなら、否定している時に得られているものが必ずあるはずである。

否定している私。によって、自分の事をどう扱っているのか。
スピリチュアルを謳う人たちと自分を比べて、
自分は彼らよりマトモだと思いたいのかもしれない。

コレを読んでくれているアナタがどうかは分からないが、私は以前、「エセスピリチュアルや自己啓発をしている人たち」を軽蔑していた。
あーあ、どっぷりおかしな雰囲気に浸かってら。
なんて思っていた。

彼らが何かを発信しているのを見るたび、
「いやいや、そりゃ違うって!」
なんて否定していた。

私は彼らとは違う、とも思っていた。

でも、ある時気付いたんです。
「何でそんなに反応するのか?」と。

だって、興味がないなら
反応しないはず。

すると、土俵から降りられたんです。

何故降りられたのか?
何に気づいたのか?

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