見出し画像

ひとりごと 20230131

写真にしろ文章にしろ、何か出力していないと駄目らしい。

といって最近は、撮影結果の満足度が目に見えて減っていて、軽く撮りに行く程度では不完全燃焼感が強い。何となくわかっていた事ではあるが、どうも頭で考えて撮る、ということにあまり向いていないらしい。

かといって今更考えず撮るという感覚にも戻れずにいる。半ば自動的に、欲しい写真に必要な要素を選択するようになってしまった。

結果、一般的な観点からみてほとんど及第点の写真は撮れる(撮れていると思う)が、写真の方向性は悪い意味で固まってしまっているような気がしている。平たく言えば、見返してもつまらない。

意識的に設定から頭を離すという意味で、構図と露出以外はカメラ任せにするのもひとつかな、とは思っている。幸いなことに、手元のカメラは自分で細かく設定を弄るよりは確実に、良い結果を返してくれる。

現像に至っては、もう面倒になってしまって、ほとんどすることがなくなってしまった。楽しいのは撮影とその結果を見返す時だけで、まぁそれはある意味で健全なのかなと思う。
問題はその撮影の部分に感じる楽しさが弱くなっているところなのだが。

だからしばらく写真を撮りたくない、とは不思議なことにならないのだが、なかなかどうして苦しいのは確かである。なんとかせねばならない。

文章にして書き出してみたら何か変わるかと思って筆をとった訳だが、まぁなんの意味も無さそうというか、写真の不満は写真で解決するしかねぇって事のようで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?