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歳を重ねることではっきりと見えてくるもの

やりたいことってなんだろうか。

40代はずっとそんなことを考えて、リストを作ったりもしながら自分の人生を充実させようと必死になっていました。

今振り返ると、このリストは
・他人からどう見られるか
・足りないものを埋めるため

この2つが最優先になっていました。

本当のやりたいことは、頭であれこれ考えたものではなく「これ楽しい」「あれやってみたい」というシンプルな気持ちから生まれるものです。

そのシンプルな気持ちを見つけるために、まずは「他人からどう見られるかから離れる」「日常生活を丁寧に過ごす」に尽きると心からそう思っています。

「他人からどう見られるか、から離れる」については、他の記事でもたびたび触れているので今回は2つめの「日常生活を丁寧に過ごす」にスポットをあててみたいと思います。

この「日常生活を丁寧に過ごす」って簡単なようで難しいですよね。丁寧に過ごすというのは決して「冒険をしないこと」ではありません。自分が何を好むか、何を楽しいと思うかは冒険しないと見つけられませんよね。

日常生活のルーティンが大切ということはわかっているものの、どうしても単に同じことを繰り返しがち。もちろん初めはこれでOKですが、同じことを単調に繰り返す良い習慣がついたら、ほんの少し「いつもと違うこと」に挑戦してみましょう。

日々の会う人、行くお店、食べるもの、が同じという安心は大事な要素ですから、快適な環境を変えることを敬遠しがちです。でも、安心、安全をベースにしながらも新しい環境、体験を好んで選んでみると、新たな発見や楽しさが見つかるはずです。

ただ、自分の好きなこと、楽しいことが見つかったとしても常に快適、とはなりませんよね。面白くないこと、腹の立つことも同じようにやってきます。

自分の身に起こることは、ただ偶然の連続であってポジティブもネガティブもあるのです。自分でコントロールできることは「どう捉えるか」だけ。

物事には執着しない、こうしなければと思い詰めない、耐え忍ぶ時も必要ですが流れに逆らわないほうがずっと楽です。

これが「シンプルに自分の好むことを見つけ、楽しむことを継続させるポイント」です。

余談ですが、私自身「絶対マズイ状況」にはならないように必死になってきましたが、50代前半に次々と出会ってしまいました。

でも、「絶対マズイ状況」そのものが最悪な出来事ではなく、そのことに対する恐怖や思い悩んだことが最も辛い「絶対マズイ状況」でした。

今となってみると、この出来事のお陰で、必要なことと必要のないことがはっきりと見えたり、その最悪な状況でさえもなんとかやれたという自信は大きな財産になりました。

「絶対マズイ状況」を乗り越えられたのは、他人からの目を気にせず自分の好きなことを日常に自然と取り入れることが出来ていたからだと思っています。

プライド、見栄、地位など他人にどう見られているかは、無意味、無駄を実感しています。

自分に必要ないものを捨てる、あるいは、関わらないこと、身軽で気楽で機嫌が良いのが一番

歳を重ねると、このことが実にはっきりと見えてくるものです。

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