私の魂の成長の話 11

人が病気になるのは【魂からのメッセージ】だと私は思っている。

では、何故私は【ナルコレプシー】というちょっと面倒くさい病気になったのか?

そこにどんなメッセージがあるのか?がずっと分からないでいた。

子供の頃の私は物心ついた頃には、『私は橋の下で拾われて来た子かもしれない…つまり、愛されていない子なんじゃないか?』という不安を抱えていた。

どうしてそう思ったか、明確ではないが多分従兄弟のお兄ちゃんが冗談でそんな事を私に吹き込んだ気がする。(違ってたらお兄ちゃんゴメン)


ただ、それを聞かされて、
「そんな事ないモーン!」
と強く跳ね返す事も
「(両親に)そんな事ないよね?」
とサラッと聞くことも出来なかった。
気弱で臆病な性質を持って産まれてしまった為、ジッと不安を抱えながら誰に相談する事もできずにいた。

それに加えて、両親の行動が本当にそうなんじゃないかと思わされたのだ。

母と娘vsで書いたように、母はとても過干渉で、(それに加えてヒステリック気味)いつも顔色を伺っていた。

その一方で、父は子供に無関心の塊だった。(様に感じた。)
残念ながら、父から褒められた記憶も無ければ、叱られた記憶もない。

子育てに関しては母99%:父1%
だったよね。というのは下の弟と一致している意見だ。

子供ながらにこの人は私に興味がないのだ…。と認識していった様に思う。

私自身が心理学を学び、年を重ねた今でこそ、父は自分が持つ愛をどう表現したらいいのか?分からない人だったんだと理解する事は出来るが、幼い私にはそんな事を理解する
キャパは無く、無関心な父を前に感じたのは寂しさ以外の何物でも無い。

そんな環境で育った私が、自分の存在価値を見失うのは容易いことだった。

その上、自分の事を表現する方法を知らない父を見て、私自身も自分を表現する。という事が分からないまま成長していった。私自身の中には色んな事を感じて蠢く感情があったのに。

そんな私を世間一般の人たちは大人しくて優しい子。という認識をもつようになるのだった。

そして、その大人しくて優しいといレッテルは時に便利でもあった。
我儘を言わない。というのは周りの大人にとって扱いやすい子で、我慢して偉いね〜。と褒められる。ということが起こる様になったのだから。

我慢すれば、私の主張を出さなければ、私は愛される。(認められる)という事を覚えたのだ。でもそれは、本当の私の声を聴く。という事をしない。もっと言えば、私が私自身を無視する行為であったのだ。

これをし続けることで、このあとあんな事やこんな事に苦しむなんて、想像もしなかったけれど。