ナラタージュの亡霊

某Xでフォローしていたが、撮影したことも話したこともあまりない人が被写体をやめるという投稿をしていた。
色々痴情のもつれあって、幸せのために今彼くんと話して、そういった活動をやめようという決断に至ったようだ。

私はその決断が間違いだとか、痴情のもつれについて自体にどうのこうの言うつもりはさらさら無い。当事者同士の問題で、私は無関係だ。それに週刊誌ネタのようなプライベートの話には興味がない。
しかし、ひとつ思うことがある。

その話の中で、色んな人に人格否定されて、私には生きている意味がないとかいつ死のうかということを考えた、という下りがある。
日本人は特に、身体は健康だが精神は不健康であるというバランスの悪い民族だと思う。世の中には不衛生な場所でも貧乏でも幸せに生きている人がたくさんいるが、日本人のほとんどは健康的に生かされているだけで、精神面では死んでいるような、仮死状態のような人が本当に多い。
Xでも、やれ死にたいだとか、生きている価値がないだとか、病んでるだとか、一種の生存本能的にアピールする人が非常に多い。
そしてそのムードは伝染していると感じる。

人間は習慣的に見るものや接するものと相互作用して、本能レベルでまねっこをしあいながら和を保とうとする。つまり、みんな病んでるなら自分も病まなければ突出してしまう。ひいては、強者でもない自分は弱者側にならなければ、優しくされない注目されない損をしてしまうというふうに考えてしまう。

これが個人レベルでは対処としては仕方がないにしろ、そのムードの一端をそれぞれが担っているわけで、責任がないわけではない。
ただ、ここでは責任や罪や権利といった概念は横において話そうと思う。

要は、どうして健康優良児が自死しなくてはならないのか?ということだ。

私だって人にはただでさえ嫌われ疎まれ、人格や思想を理解されず、それでも生きてきたが、死にたいとは思ったことがなかった。これは私の共感性の無さが良い面に働いたということでもあると思う。
共感性のあるタイプの人は、だれかに嫌われたり、悪口を言われるだけで、自分はグループの窓際族だと、リストラが近いと思うと、本能的に「私を追放したら私死んじゃいますよ!私弱いからすぐ死にますよ!」という背水の陣的なアピールで同情を買うように動く。

これが私の考える病みアピールの立脚点だ。普通に考えれば、自分の無能さや弱さをアピールするのはマイナス点でしかない。しかし、そこを情で訴えてなんか得をして楽になりたいという気持ちがそこにはうっすら横たわっている。
無能だから特に私を置く利点もないけど、だからってこんな弱い私を殺すのは酷いですよね?というつまりはヒモ、寄生状態を目指しているよう感じる。

そのレベルだったら、死ぬ死ぬ詐欺で図太く生きるのだろうと思う。それもひとつの生き方なのだろうと、私はそのライフスタイルを否定しない。
しかし、その中には本当に自殺をしてしまう人たちも少なからずいるのだ。

自殺をする人のほとんどは、理性的な状態ではないと思う。
冷静に、さて死ぬか…という人もいるにいると思うが、哲学死をここでは取り上げない。その話は別の機会に。

さて、本来は生物の本能は自殺をすることを禁じている。しかし、それがアンロックされる禁断の呪文があるのだ。

『自殺が目的化する』ことである。

人間は本能の目標達成のための補助として計算機能が存在している。
これが "理性" だ。"精神" と呼んでもいい。あるいは "自我" でも。

例えば、お腹が空いたから、あの高い木にある果物を取りたい。理性が木の棒で落とすなどといった具合で連携して、目標を達成する。

では自殺についてはどういったプロセスを辿ってアンロックされるかということだ。
生存本能は生命としての幸福を最優先する。死んでは元も子もないというのは人間の理論だ。本能には通用しない。

自殺ということが幸福の追求や痛みの回避としてインプットされれば、それが目的化してしまうということだ。人の思い込みによって。
もちろん、視野狭窄に陥った末の倒錯なのだが。

これは随分スられた意見かもしれないが、自殺を報道し、それを悼むことによって、自殺者は増えるだろう。

こんなにみんなが悲しんでくれる。自分について思ってくれている。
自分について思ってくれる人が多ければ、自分の生命は保証されるはず。
だから自分も自殺しよう。

と、こういった感じだ。

機転が利かないにも程がないか?


日本人の特性は、島国独特の同調圧力というか同民族意識が強いことにある。その中で生き残るには、いまの特性に進化して当たり前だ。

しかし、きちんと理性でメタレベルで考えてほしい。


これより神、別称 "あなた" に かしこみかしこみもまおす……

あなたが余計なことさえしなければ、あなたは多分だけどそこそこ生きることができます。
あなたを多分だけど誰も殺そうとなんてしません。
なのにあなたが一番、あなたを殺す確率が高い。
死にたくないから死ななければならない。

そんなふうに考えてしまうのはなぜですか?
そうさせているのはなんですか?

あなたは生まれてきたのだから 生まれた限りはあなたはエライのだ。
誰がなんと言おうと、エライ。

なにもしなくても、大層なことしなくたって、生きているだけで価値があることは宇宙が保証してくれている。
なぜなら、価値がなければ宇宙はあなたの存在をそもそも認めないからだ。

あなたには、遥かかなた、そしてすぐ近くに、いつどこにでも存在する大スポンサーがついている。
それは守護霊なんかより、確からしい証明なのです。

あなたが今、欲しているのは多分自己消失ではありません。
自己消失であるという解を二重線で消して、途中式を見直してください。
きっとどこかに誤解があります。探して。

そして、生存に必要だと思わされていた、詐欺師や催眠術師のために自己破産する必要がないのだと気づきましょう。
どんな評価をされても、それはドラマの登場人物としてのあなたの役柄へのレビューです。あなた自身ではありません。

クランクアップし、あなたがあなたに戻る時、生きる必要すらない。

あんたには宇宙がついてるよ。

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