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vol.1 「人は変われる」と信じられる場をつくる~井東敬子さん~

1982年、ここ富士宮市(旧:静岡県芝川町)の小さな里山にホールアース自然学校(以下:ホールアース)が誕生してから2022年で40年を迎えた。「家畜動物とのかかわり」と「自然体験」の場・機会を提供する動物農場として、廣瀬敏通(愛称:アッパー)・麗子が始めた自然学校は、今では農業・狩猟・地域振興・生物多様性保全・人材育成等、幅広い分野でお仕事をさせていただくまでになった。

40年だから、何か特別というわけでもないが、節目を迎えた今改めて、あらゆる時代のうねりを経てもなお、自然学校が社会に求められることがあるとすれば、それはなんだろうかと、問う機会にしたい。



卒業生を訪ねて

ホールアース自然学校は「自然が先生です。」とよく説明する。私たちは、その自然が教えてくれることを、対象者にわかりやすく“通訳”することを仕事としている。
つまり、言い換えれば、先生の教えを一番もらっているのは、私たちなのだ。自然学校という場で一番学びを得ているのは、私たちだよなぁと思うことは少なくない。そうやって、学びを得た先輩たちは、やがて様々な理由で、この学校を“卒業”していく。ここで得た経験が、その後の人生にも影響し、生業を起こす上で土台となっていることも多い。今でこそ、転職は当たり前の時代だが、ホールアースは、昔からそれが普通だった。人が辞めていくことは新陳代謝だからいいことだと、アッパーは言っていた。ここで学び、自分の道を、軸を見つけ、卒業し独り立ちする。ここから卒業していった先輩方は、全国各地へ、そして時に海外へ、新たな拠点で道を切り開いていく。そんな先輩方の中で、今でもつながっている方々に、改めて「ホールアースの経験が今にどう活きているのか」そこから「今の自然学校が社会の中でどんな役割を担えるのか」その可能性を探ってみたいと思い、大武・寒河江・小野の3人で卒業生にインタビューする企画を立てた。


まず、トップバッターは井東敬子さん。「敬子ねぇねぇ」という愛称で、今でも時々仕事で関わらせてもらうことがある。現在は山形県鶴岡市と神奈川県横浜市の2拠点で活動をされており、主に「鶴岡ナリワイプロジェクト」といって、自分が好きなことと地域の課題や困りごとを掛け合わせ、月3万円のビジネスをテーマにした起業講座を行っており、今年で8年目になる。また、20代に旅行会社で働いた経験を活かし、外国人向けのインバウンド旅行業を手掛ける他、自然ガイドや地域の観光ガイドの方々へ向けた伝え方や安全管理の講習会、ファシリテーター等の4つの柱で活動をされている。ホールアースを卒業したのは10年以上前。ホールアースでの経験は、どのように今の仕事につながっているのだろうか。まずは、元々都心の旅行会社で10年近く働いていた井東さんが、どのようにしてホールアースと出会ったのか聞いてみた。

ホールアースの若手スタッフも交えてお話を伺った(最下段に井東さん)


都心のOLが惹かれた、ホールアース自然学校

「私が旅行会社で団体旅行の企画を担当している時に、ホールアースの当時の代表だったアッパーが、修学旅行の営業に来てたんですよ。そしたら彼はオフィスでバードコール(鳥のさえずりを真似して音を鳴らせる道具)を鳴らすんです。『キコキコキコ』って鳴らして、他の職員はみんな唖然としていました。『なんだ、この人』と思って、すごく印象に残っていました。その出来事があって、旅行会社を辞めようと思った時にアッパーのことを思い出したんです。旅行会社時代に電話かけると、いつも電話の奥でヤギかヒツジが鳴いていて、あそこに行けば何もできない私でも動物に餌やりくらいできるだろうと思って連絡しました。」
 
ホールアースは当時は今よりたくさんの動物を飼っていた。都心のオフィスで働いていた井東さんにとって、電話口から聞こえてくる動物たちの声は、驚きと共に印象に残っていた。ところが、アッパーに連絡をし、雇ってもらえないか聞いてみると、当時28歳の井東さんは断られてしまった。当時のホールアースに就職するのは20代前半が多く、年齢が合わなかったのだ。それから井東さんは山形に戻り国際協力のNGOで働き始めたが、転機は2~3年後に訪れた。

「環境省が富士山麓にビジターセンターを作ることになり、その人員のためにお呼びがかかったんです。ただ、当時は面接というシステムがなかった。だから面接も何もなくて、来てくださいと言われて行くことなった。私はOLだったんで、『キャンプとかやったことないし、自然ガイドとかできないから、私は事務所にずっといる仕事をさせてください』と約束しました。そのはずだったのに、修学旅行のシーズンが近づいたら、樹海の道を覚えろと言われて大変だった。笑うしかなかったです。毎日、布団かぶって泣いていました。」


泣きたくなるような日々を乗り越えられた理由わけ

事務仕事のつもりで入社したものの、半ば強制的に自然ガイドをするように求められた井東さん。「できません」と言っても、「井東さんはできる」とアッパーに根拠のないことを言われ、戸惑いつつも、明日の身を守るのに必死で仕事を覚えた。旅行会社の時よりも給料がかなり減り、さらに布団の中で泣きたくなるような日々を過ごしていたのに、4年間続けられたのはどのようなモチベーションがあったのだろうか。
 
「自分の中で物語化しているので、事実とやや異なる可能性がありますが、やはり樹海でガイドをしている中で、中学生たちの成長を目にしたことが4年間続けられた理由の一つだと思います。初対面の中学生たちにひどいことを言われたこともありましたが、そんな子や、ディズニーランドに行くために綺麗な格好している子たちが、洞窟の中でドロドロになるのに、『楽しかった』って言って、帰りにはゴミを拾っていくんです。たった数時間で人の心を変える、自然の力はすごいなって思いました。」

“体験を通して、人は変わる”ということを目の当たりにした井東さん。それは、他人だけではなく、自分自身の変化からもそう感じるようになった。
 
「研修会で講義をしなきゃいけないという状況がたくさんあったんです。まだガイドとしての経験が浅くても、テキストも自分で書かなきゃいけなかった。それでも、やってみると参加者がどんどん変わってくんですよ。体験学習法ってすごいと感心しました。そんなことをやってるうちに自分もどんどん変わっていきました。それまでは『私そんなことできません』って言って、全部やらなかった。だからできなかった。クライミングしろとか、ニワトリを屠畜しろとか、そんな世界でした。でも、『できません』というのも面倒くさいくらいの状態に追い込まれたら人間は変わるしかない。自分も気づいたら変わったんですよ。」

誰しも、年を重ねるごとに自分の特性を理解していくものだが、一方で苦手なものは苦手なままで、「自分にはできない」と思いがちではないだろうか。その思い込みが解かれるだけで、自分の可能性は広がっていくと、井東さんは、がむしゃらな毎日の中で確実に手ごたえを感じていた。そして、スキルを習得していくうちに、「自分はできる」という自信もついてきた。また、それまでは特別自然が好きだとも思っていなかった井東さんが、いつのまにか自然の力に魅了されていき、考え方の軸にも自然の理をあてはめるようになっていった。


考え方のものさしは、自然

「人は変えようとしなくても変われるっていうふうにも、常に思っている。植物が太陽の方に向かっていくように、明るい方、明るい方に人間は成長してくんだと思います。何か迷ったら自然が先生だから、そこからヒントをもらうようにする。例えば生物多様性に当てはめると、普通の会議とかをやると、多様性ないなと思ってしまう。自分の中の物差しが自然になっているんです。風の流れがなくて停滞しているなど、ものさしが自然になっている。」
 
前職とは全く異なる環境の中で、まさしく植物のようにたくましく日々を乗り越えてこられた井東さん。自然体験は万能であり、そこから生き延びる術を体得できるという。そして、その時の経験は、そっくりそのまま今の仕事に活かせている。
 
「私がさっき言っていた鶴岡ナリワイプロジェクトは、起業講座として行われていますが、実際に起業の仕方などは教えていません。自分は40歳で起業したけど、起業を教わったことはない。ただ体験学習法やっただけなんです。ファシリテートして、みんなのやりたいことを出させて、じゃあ、やってみようってお客さん集めて、イベントをやる。最初からうまくいく人はほんの一握り。領収書忘れたとか、頼んでたスタッフの子供が熱出してきてくれないとか、そのような失敗から何を学べるのかを問いかけ、解決策を見つけ出して、再びイベントに挑戦することを繰り返し、ガイドの養成と同じやり方でやっていました。講座の最後には自然と参加者同士が仲良くなり、ほとんどの人が起業します。そこまで行けば、ファシリテーターが抜けても参加者は自然とチームになり、継続的に活動を続けることができます。これはすべて、私たちが行っているガイドの養成講座の応用です。私たちは、参加者たちに必要な情報を提供し、彼らが自分たちでやり遂げることができるよう、サポートしているだけです。全部、自然体験のやり方をパクリまくり。自然体験はすごい応用が利くので、今いっぱい苦労してください。」


大変な中でも自分主催の事業を行うことの大切さ

しかし、いくら自然学校のやり方が応用が利くとはいえ、独立してすぐに仕事を得るのは難しい。最初からやりたいことを事業にできたのだろうか。
 
「同時並行ですね。依頼してもらえなければ結局、仕事はない。来た仕事は1万円からでも全部受けていた。アッパーは、仕事は断るなって言ってたんだよ。当時、キャンプをする団体なのに、お祭りで鍋料理を作れって言われてやったこともあった。そういうのも染み込んでる。だから、私は来た仕事先全部受けたんです。あと、ホールアースにいた時、修学旅行だけで稼げていたから、スタッフが30人くらいいても主催事業をやらなくなったんですよ。もう主催事業の広報をする時間もないし、企画する時間もない。でも、その時にアッパーからは、『主催事業は絶対にやらなきゃいけない』って言われました。その団体が、どういう団体かわかるためにも、やらなきゃいけないということでした。
もう、ほんっとに忙しかったからみんなやりたくなかったんだけど、ただ受け仕事ばっかりやってると、やっぱり自分たちが何のために自然学校をやっているのかわからなくなっちゃうんですよね。だから、自分で主催してやる事業と、依頼されてやる事業、私はバランスが大切だと思うんです。」


自分が本当に好きなことがわかっている人はそんなに多くはない

そして、次第に仕事を取捨選択していく中で、できるだけ自分のエネルギーを社会貢献に使いたいと思い、今の鶴岡ナリワイプロジェクトがある。どの世代であっても、「自分のやりたいことはなんだ?」と問うことはあるだろう。井東さんの鶴岡ナリワイプロジェクトには、総勢80名ほどが参加されてきたが、参加者の方々はやりたいことがわかっている人ばかりなのだろうか。
 
「ナリワイは、自分が好きでたまらないことで、身近な人のささいな困りごとを解決しようとするものなんですが、そもそも、自分の好きなことがわかっている人は2割程度しかいないと思います。」

鶴岡ナリワイプロジェクトの参加者と共に(最前列の中心が井東さん)


「まずは、“自分が本当に好きでやっている”と思えて、自然とエネルギーが湧くものを探すことが大切です。探せない場合は、その探し方を教える必要があります。また、困りごとはみなさん意外と出てくるのですが、漠然としていることが多いです。例えば、お金がないと言う場合、どのくらいあれば困らなくなるのかを聞くと、金額を答えられないことが多いです。大体は『大体3万円くらいあれば』と言いますが、それで何をするのかを分解していくことで、本当の欲求が見えてくることがあります。その欲求と自分が本当に好きでやっていることを組み合わせると、新しいアイデアが生まれます。自覚していない場合は、参加者同士でフィードバックを行うことで、気づきを引き出す大切さを伝えたりします。」


後になって気づいた、大切なこと

「社会人になる前は自己肯定感が低かった」という井東さん。そんな言葉を信じられないほど、今は「できるかできないかは、やってみなけりゃわからない」「人は変われる」と信じて活動を続けている。井東さんの話を聞いていると、「なんだか自分もできるかも」と思わせてくれるエネルギーを感じる。最後に、今のホールアースのスタッフに向け、メッセージをいただいた。
 
「その時は気づかないで、後になって気づくっていうことがあると思うんです。それが私の場合、”あの時ホールアースで一緒に働いていた同僚と過ごした時間は、奇跡だった”ということです。他の組織に入ったときに、同じような価値観で前向きにいる人たちなんて、なかなかいないんですよ。だから、そんな人と出会えたら、それだけで人生めっけもんだと思うんですよ。今いる人たちを信用して、もっとバーンって自分を出してもいいと思う。ホールアースらしさとかって言葉も出たけど、私がいた当時、その時にいる人たちが個性をさく裂させたらホールアースになってた
んだよね。だから遠慮しないで。失敗したって周りがフォローしてくれるから。私は今、自分が失敗したら自分で最後までしっかり対応しなくてはいけないけど、皆さんは組織が大きいし、仲間がフォローしてくれる。ちょっと背伸びするくらいじゃないと、やっぱり成長ってあんまりしないと思うから。やってダメだったらダメだったってことがわかったわけじゃん。それを独立してからやるの結構きついですよ。今さく裂すれば、ますます何か面白い感じになっていくと思います。なので、さく裂してください。みんな、『行けー!』って感じですね。」
 
 
自然が教えてくれることは、きっとシンプルなのだ。自分が成長できないとすれば、自分がいる環境が合わないのかもしれない。または、光や栄養が足りないのかもしれない。または、成長していないように見えて、実は成長のスピードが遅いだけなのかもしれない。視野が人間社会だけになってしまうと、失敗を恐れて行動できなくなることもあるが、自然の中では失敗など関係ない。自信がなくても、まずは行動に小さくても行動に移していくこと。そしてその体験から「人は変われる」と信じられるようになること。その舞台に、自然や自然学校がなりうるのだということを確信させてもらえる時間となった。


最後に井東さんからエールをもらい、記念写真

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