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伝説のAV女優、松坂季実子について

1980年代後半から1990年代初頭にかけて人気を博したAV女優・松坂季実子
大妻女子大学短期大学部在学中スカウトされ、1989年にAV監督・村西とおる率いるダイヤモンド映像よりデビューした。芸名は、当時のいい女の代表格と評された女優、松坂慶子の「松坂」と池上季実子の「季実子」を組み合わせたもの。

ダイヤモンド映像時代の村西とおる

ダイヤモンド映像では、桜樹ルイら10名以上の専属女優を抱え、目黒区青葉台・代々木上原に構えた本社でスタッフと女優が共同生活を送る。専属女優の中でも松坂季実子の作品はとくに人気を集め、このころ村西の年商は100億円超に達したとされている。

現役時代の松坂季実子

本来、「巨乳」とは太っている女性、ぽっちゃり、デブなどの意味に近く女性を比喩するような言葉であったが、松坂季実子の登場によって「豊満なバストを持っている女性」という肯定的な意味に変化したと言われている。実際に彼女も思春期の頃より長らくの間、好奇の目で見られることが多い、大きなバストがコンプレックスだったとのことだが「AVに出た事で長所だと思えるようになった」と後に雑誌のインタビューに答えたことがある。

松坂季実子が出演した作品の一部シーン

アダルトビデオの活動と並行してテレビ番組でも活躍した。テレビでは主にゲストで出演することが多かったが、インターネットやSNSが無かった時代において男性視聴者向けにアダルトビデオ、AV女優の知名度上昇や宣伝に貢献し、人気を集めた。1991年、突如業界から引退。プライベートな問題が背景にあったと報じられ、その後、OLとして通勤中の様子が「フライデー」誌に本人のコメント付きで掲載されたほか、大手広告代理店に派遣社員として勤めている様子が報じられるなど、度々去就が伝えられたが現在は私人となっているため、詳細は不明とされている。

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