おばあちゃんと話すときに思うこと。

ギルドハウス十日町には、毎日のように近所のおばあちゃんがやってきます。そう書くと、うちの住人はもちろんのこと、なかには一度来ただけの人すらも、「ああ、あのTさんね」と思い起こすことでしょう。そのくらい、Tさんはうちの日常の一部になっています。

Tさんは、もうすぐ80歳で、いつも「歳とると難儀だ」「目が見えねえ」「耳鳴りがする」「手ぇいてえ」「これ(薬)何錠のむんだねえ?」「いつも悪いねえ」などと、けっこうネガティヴな言葉を連発するんです。

だけど。ピンポーン!と呼び鈴が鳴り、返事をする間もなく玄関が開いて「Mちゃ〜ん(住人の名前)」という声がすると、「あ!Tさんだ!」と住人たちがテンションを上げて反応するので、みんなTさんが好きなんだなあ、と感じます。

「2〜3日くらい来ない日があると心配しちゃいます」

自分も同感。茶の間にあがってきたTさんに住人がそう話すと、Tさんは「ありがとうねえ」と豪快に笑います。

そうそう。おばあちゃんってシワが多いでしょ。笑うと表情がとても豊かに変わるように見えると思うんです。特権ですね。だから、こちらもつられて笑顔になります。それで話すのが楽しいのだろうか。逆に「みじょげだ(かわいそうだ)」的な話では、その哀しそうな表情にこちらもつられてしんみりとなっちゃいます。

昔話、知恵袋、地元の食材の調理法など、そんな話もありがたいですね。移住者にとっては貴重です。地域への愛着がわきます。聞き書き、という取り組みを聞いたことがありますが、いまのうちにご高齢の人の話を記録して継承するのは大切なことだと思います。

いつだったか、教えてもらった「キャラブキ」という佃煮を何日も苦労して作って、それをご近所におすそ分けしたとき、「おお良い塩梅だ」なんて褒められたときは嬉しかったですね。

まあ、それはさておき、とにかく自分はおばあちゃんとおしゃべりするのが嫌いではないようです。前に書いた実家の話でもそうでしたが、自分の10代はほとんど祖母に育てられたようなものだし、ギルドハウス十日町に来た人が「おばあちゃんちみたい!」と楽しそうに過ごすのを見て嬉しく思うのも、なんとなく通ずるものを感じます。

うちには、Tさんほど頻繁ではないけれど、ほかにも個性豊かなおばあちゃんたちがやって来ます。ほんと、いろんなことがありました。おいおいと、そのエピソードを書くかもしれません。なんだかんだ、みんな優しくて元気なんだなあ。

これからも、都会では失われつつある中山間地域の支えあいの生活を支えていたおばあちゃんたちとの時間を大切にしたいと思います。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。