高校時代



高校時代の事、正直私の高校時代はいい思い出があまりない。


楽しかった事もあったはあったけど、それを思い出すとセットで思い出したくもない出来事がついてくるから長年記憶に蓋をしていた事もあり学生生活で一番間近な日々だったのに思いだせる事が少ない。



3年間同じだったクラス担任の先生を思い出すとその先生との部活動の時のトラブルを思い出す。


運動部に入った事を思い出すとその時は仲良かった友達とのその後の関係悪化の出来事を思い出す。


高校一番の思い出の修学旅行もその後絶交状態にまでなった友達が同じグループだったからその子を思い出す。


日常生活も友達関係のゴタゴタがあり…




そんな私の数少ない良かったと純粋に思い出せる思い出…というか私の心境や考え方の変化の出来事なんだけど勉強が楽しいと思えるようになった事だ。



勿論学校の授業を受けたいか、受けたくないかと言われたらそりゃあ勉強するより遊んでいたかったけど。



勉強する事が苦手だった私が『勉強が楽しい、自分の知らない事を知る事が楽しい』とそう思うきっかけになったのは高校2年の生物の授業だった。




高2の初め、最初の授業があった日に校内に咲く桜の花(🌸←この状態の桜)を皆で取りに行くぞと先生に言われ、教室を出て皆でキレイな状態で咲いている桜を探しに行った事をよく覚えている。




ちょっとここで話が脱線しますが、私はその頃高1の終わり頃から上手くいっていなかった友達関係のせいで高2の初めは孤立していた。


高1の頃、私には2人の友達、AとBがいた。



その内のAが別のクラスだった友達Cと大の仲良しだったみたいで、同じクラスだから学校にいる時はAと一緒に行動している私に対してCが嫉妬をし始め、中学時代私はCとも友達だったのに避けられるようになった。



するともうひとりの友達Bが高1の終わり頃から、別クラスの地味系グループの中でも中心的な立ち位置でもあったCに気に入られたいがために、私を避けてハブるようになり、Aもそっちのグループに行きたそうだったので、そんな子達にいつまでも金魚のフンのように付いていくのも馬鹿馬鹿しくて高2になってから私は一人で行動していた。



同時期、その私を裏切った子達が集まっているグループはもうひとりグループ内の子をハブっていた。


私と同じく高1の終わり頃からグループの子達からハブられて陰口を言われたり(多分私も言われていただろうけど)噂ではその子の悪口を言いあうライングループが出来てたりと…きっと私より辛い境遇にいた子だった。


この子とならわかりあえそうだなと思ってはいたけど中々話すきっかけがなく、お互い高2の初日からクラス内でそれぞれ一人でいた。


桜を取り教室へ帰る途中でその子に初めて話しかけられて、友達になれたきっかけになったのもあり、私にとって最初の生物の授業はその後の私の学校生活を変えてくれた出来事でもあった。






話は戻りまして、その生物の先生であった年配の男の先生がする授業や話が私は好きだった。

(なのに先生の名前は忘れてしまった…のでここでは仮でA先生とします)


A先生はいつも淡々とした口調で授業をしていた。


真面目でおちゃらけた事を言う先生ではなかったので中にはその先生の授業をつまらないと思っていた子もいただろうけど、何故か私はA先生の授業がいつも楽しみでならなかった。


授業中にする授業内容から脱線する話も私にはとても興味深い内容で、最前列の席だった私は先生の顔をじっと見て聞き入っていた。


と言っても話の内容を全部は覚えていないけど、一番覚えているのが


『ハエの赤ちゃんって何か知ってるか?』


というA先生からの生徒への授業とは関係の無い話の質問に他の皆は黙って目を反らしていた、私は知ってるけど手を挙げる勇気はなかったからじっと先生を見て

『私、知ってます!』と眼力でアピールし、そんな私に気づいた先生が


『知ってるか?』と聞いてくれて


私はやっと『ウジです!』と言えたという出来事をなぜかよく覚えてる。


その後も何か授業で先生が投げかける質問に私は積極的に答えるようになり授業が楽しいと思えるようになった。


あと覚えてる授業内容とは関係ない話は石鹸の話。


『石鹸ってあるだろ?実はあれ手の表面のタンパク質を溶かしてるんだぞ』


と手を洗う仕草をしながら先生が教えてくれた。


私はそんな事知らなかったので声には出さなかったけど衝撃を受けた。



それまで17年間生きてきて毎日使っていながらも知らなかった事…というか私が無知だったのかもしれないが、そういった些細な事だけど思わず『なるほど〜』となるような知識をA先生は教えてくれた。



そんなA先生の生物の授業も集中して聞いていたからか、私は高2のたしか期末テストで小学生の頃の算数のテスト(かけ算割り算とか)の時以来の高得点を取る事ができた。


それからテストでいい成績を取る事への喜びを知り、私は他の教科のテストでもいい成績を取りたいと授業で分からない所があればなるべく先生に聞くようになった。




テスト前の期間、私はこの日はこの教科とあの教科の勉強をやるとしっかり決めて黙々と勉強した。


そしていつの間にか私は物凄く暗記ができるようになり、高2の学年末のテストではそれまで約80人中20位から30位をうろついていた私は一気に4位になりクラス内では1位になった。


私の通う高校はおバカ高校だったからそもそもあまり皆頭は良くなかったけど、そんな高校内にも第一志望校に落ちたのか、明らかにおバカではない中学時代は私より頭が良かった子達さえも私は追い抜いていた。



そして高2の終わり頃か高3の初め頃かどっちかは忘れたけど、定年退職されるA先生へ離任式前に生徒達から先生への手紙を書く機会があった。

私はA先生への感謝の言葉と先生の授業がいつもあっという間に感じるくらい私には面白くて興味深かったですという事を書いた。



離任式後、廊下で他のクラスメイト達と体育館から職員室へ戻る退職されるA先生や他の先生方を拍手で見送った際に



『おう、元気でな〜』



と手を振り返すだけじゃなく私に声をかけて下さり、とても嬉しかった。


できれば3年生でもA先生の授業を受けたかったな…あんなに私にとって魅力的な授業をしてくれた先生は他にはいなかった。



高3になり私は定期テストでとうとう学年で1位になる事ができた、それも1年に5回ある内2回も。




通知表の成績にも学年順位が記載されており、私は学年1位の成績で高校を卒業できた。



私に勉強する事の楽しさを教えて下さったA先生にはとても感謝しています。


ーーー




それともう一人、高校時代お世話になった先生がいる。


私と同じ苗字だったその先生はスキンヘッドで強面、体育教師だから体がムキムキ。

でもその外見とは裏腹にとても優しくて気さくな先生だった。


同じ苗字だからか、何かと私の事を気にかけてくれて別のクラスの担任だったのに私の友達関係の事などを心配してくれた。



高2のある日、友達がインフルエンザで休んでいる一週間くらいの間、私はまた一人で学校生活を送っていた。



でも不思議と寂しいとか一人が辛いとかそういう事は思わず、むしろ一人になるのが嫌だからと普段特に仲良くもない子達にその時だけ金魚のフンのように引っ付くのは絶対したくないと思っていたのもあって私はあえて一人でいたのだが、そんな私の様子を見かけた先生が



『また一人でいるのか?大丈夫か?』


と私が前に1人でいた事を何故か知っててくれていて、心配して声をかけてきてくれたのを覚えている。




高3の時、体育の卓球の授業中また私が友達関係のゴタゴタで訳あってひとりでいると『俺と卓球をしよう』と気遣って先生が声をかけてくれて卓球をしながら私が高校を卒業したら当時付き合っていた今の旦那と結婚する事を話したりもした。



私は今まで同じ苗字の人に会った事が無かったからか、先生に妙に親近感があって親戚のような感覚で何でも話せれた。



ーーー



学校の行事で一切嫌な思いをせずに過ごせたのは体育祭。


走る事はまだ辛うじて好きだったのでリレーや個人の100m走に進んで立候補して参加し、入賞して賞状を貰う事もできた。


ーーー





高校時代を振り返って




日々の日常や学校の行事では特に悔いるような出来事もなく後悔なく(というか後悔するような出来事もない)過ごせたけど、とにかく人間関係に悩み続けた高校生活でした。



楽しかった思い出もその行事で一緒に過ごした一部の友達とのその後の関係の悪化のせいで純粋に楽しかったと思い出せるものではなくなってしまいました。



でもあの高校で三年間過ごしたおかげで、それまでどこか他力本願でナヨナヨしていた自分から自分の意思をしっかり持って考えて行動できる人間になれた気がします。


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