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マーラーとベーゼンドルファー(4)

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クラウディア(仮)はもちろんだが、辰夫(仮)が娘に向ける思いの丈は「溺愛」という名に相応しいものだった。娘を籠絡するプレイボーイに関する情報の公開については慎重を極めなければならない。

と、今なら冷静に語ることもできるのだけれど、当時25歳の若者が貫禄の詰め合わせみたいな壮年男性の目力と覇気に耐えることなどできるだろうか。結局はクラウディア(仮)のときと同じように「あっ、そ、そうなんですねー。知らなかったですー。ななな、なんか美男美女でお似合いじゃないですか。えへへ」と世界一下手な薄ら笑いをするより他の手立てはなかった。

どうやら同僚の両親は年頃が近く、幾度か実際に会ったことのある僕と娘が交際してくれたら、と思っていた節がある。同僚もそれには気づいていたようだが彼女はタカハシのことが大好きだったし、僕は面食いだったものの彼女のような欧米系の顔立ちは好みではなかった。美しさを認めることと好みは違うのだ。

夜中に突然呼び出されてもタクシーでマンションに駆けつけたり、2時間待ちぼうけを喰らわされた挙句デートをドタキャンされたりと小学生でも理解できるくらい都合のいい女だった同僚だが、彼女の恋は長くは続かなかった。タカハシが結婚したのだ。いちおう本命の位置付けだった女性に徹底的に追い込まれ、華やかで爛れた独身生活にピリオドを打つことになったらしい。

当初は悲しみに暮れていた同僚だったが、僕が社長の横暴とそれに媚びへつらう取り巻き達に嫌気が差して会社を辞めるころには平静を取り戻していた。最後に招かれたホームパーティでは娘の傍から離れてしまう僕に辰夫(仮)とクラウディア(仮)は何度も感謝と慰留の意を伝えてくれた。しかしその時の僕は疲弊しきっていた。とにかく仕事から離れて静かに暮らしたかった。そのとき同僚と母が連弾でひいたラフマニノフと何十回目かだった「交響曲第5番嬰ハ短調」はなぜだか今でも頭に響く。

同僚とは2年前に約20年ぶりに再会した。僕が会社を辞めた2年後に商社勤めの男性と結婚。長い海外生活を送りながら16歳と11歳の息子を育てている。1年前にまた日本を離れる由の連絡があった。

一人称を自分の名前で呼んでいたのが「わたし」になり、両親をパパママと呼んでいたのが「お父さんお母さん」になっていた。もちろんそんな些細なことよりも大きな変化が彼女にはあったのだろう。「商社勤めの妻なんてどこの国に行ったってカゴの中でおままごとやってるようなもの」と自嘲気味に話す彼女に恋に恋焦がれる乙女の面影はもうなかった。

クラウディア(仮)は数年前に亡くなったそうだ。大切にしていたベーゼンドルファーは存命中に調律をして母校に贈与したらしい。

辰夫(仮)は妻を亡くした後に用賀の邸宅を引き払い、伊豆の高級高齢者施設で暮らしているそうだ。施設の個室では大音量で音楽が聴けないとぼやいているらしい。「セイリュウくん、伊豆に遊びに行ってあげたら?」彼女は悪戯っぽく言った。

冗談じゃない。行ったら最後、マーラーを浴びるほど聴かされて帰って来れなくなる。

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