見出し画像

マーラーとベーゼンドルファー(3)

連作です。1はこちら  2はこちら

タカハシのことは知っていた。同僚が夢中になっている10歳くらい年上の男だ。僕たちの会社とは別の1社を挟んで協力関係にある会社の人間だった。顔立ちは取り立てて美しいわけではなかったが小顔でスタイルが良く、色白で180センチ超の長身だった。今で言うところの塩顔男子だろう。かまいたちの濱家と坂口健太郎を3:1の割合でブレンドしてみてほしい。

僕の仕事はたくさんの人と会うので自然と多くの情報が耳に入ってくる。同僚本人は付き合っている、もしくは限りなく付き合っているのに近い状態と思っているようだが、おそらく同僚はタカハシの数多くいる遊び相手の1人だ。

タカハシはかなりモテていて女性関係は派手を通り越して乱れていた。独身ではあるようなので倫理的には何ら問題はないが同僚が弄ばれているのを見ているのは忍びない。もちろん前のめりにならぬよう何度も同僚を諭したけれど、こういう説得が簡単に奏功するのであればこの世に恋愛は存在しないだろう。 

しかし僕の持っている情報をクラウディア(仮)に伝えたところで心配を増幅させるだけだ。「ええっ、タカハシさんと付き合ってるんですか?!しらなかったなぁ。えへー」とアホみたいな顔をしてやり過ごすしかなかった。

辰夫(仮)はオーディオが趣味でプロユースの防音能力を備えたオーディオルームを地下に設えていた。僕はオーディオはケンウッドとパイオニアくらいしか知らなかったが、初めて案内されたときにメインスピーカーがシーメンス製であることに気づき「へぇー、シーメンスって補聴器だけじゃなくてスピーカーもつくってるんですね」と指摘したことが辰夫(仮)の琴線に触れたらしい。

「山田くんは面白いね。シーメンスは音響機器全般を手掛けるドイツのメーカーなんだよ。補聴器はその中のほんの1つで…」どうも押さなくていいスイッチを押してしまったようだ。辰夫(仮)のオーディオトークが止まらない。

「山田くんに是非聴いてもらいたいなぁ。何が聴きたい?」

B'zかサザンオールスターズが聴きたいとは口が裂けても言える雰囲気ではなかったのでお任せしますと言ったら辰夫(仮)はホルストとマーラーのレコードを出してきた。

ホルストは「惑星」、マーラーは「巨人」が代表作だったのは何かで読んだような気がするが、ここでまた半端な発言をするとシーメンスの二の舞になる。マーラーは名前だけなら聞いたことがありますと恐る恐る伝えると辰夫(仮)は嬉しそうにターンテーブルへマーラーのレコードを乗せた。

それからは訪ねるごとにマーラーを聴かされることになった。マーラーやホルストは1900年前後の近現代の作曲家だ。メロディーラインは聴きやすく楽曲の展開はドラマティックでクラッシックに造詣の無い僕でもわりと聴くことができた。しかしクラッシックは曲が長い。一度始まると1時間はマーラーを聴き続けることになる。そして終わると辰夫(仮)の熱量多めのトーク。25歳の若者には少々辛い時間だ。なぜだ、オレはなぜ恋人でもない人間の父親とこんなことをしているんだ。

どのクラッシック作曲家もそうだが「同じ曲だけど演奏するオーケストラが違う。指揮者が違う」というレコードがたくさんあるのだ。クラッシック愛好家ならその違いもわかり楽しめるのだろう。でも僕からすると「交響曲第5番嬰ハ短調」と「交響曲第1番ニ長調 」を交互に何度も聴かせられるのは軽めの拷問といっても過言ではない。

レコードの再生が終わり、またもや熱い解説が始まるのかと思ったら違った。辰夫(仮)はなんだか思い詰めた表情をしている。これから愛の告白か金の無心をされそうなくらいの緊張感だ。辰夫(仮)が口を開いた。

「娘が付き合っているタカハシさんはどんな人なんだろう?」

4につづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?