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何故ただ生きるという選択肢すらも取り上げようとするのだろうか?

ただ生きる
何も考えずに
美味しいものを食べて美味しいと感じれる
嬉しいことがあれば両腕を上げて喜べる
悲しい事があれば声いっぱいに泣ける
綺麗なものを見ればうっとりしてしまう
恋に落ちれば只管落ちていける

そんな人間として
人間として産まれた
当たり前の行為ですら
何故奪われてしまうのだろうか?
何も取り分け裕福でなくてもいい
何もなせなくてもいい
ただそこにいれて、ただ今の感情を感じ
ただ只管何もない一日を消化して
それが本気で生きてるっていいなぁ
それが幸せでだなと感じてはいけないみたいに

何故只管奪われなくてはいけないのか?

朝が来て夜が来て
酷い寒さにも暖かい温もりがあって
その温もりを感じれた
ああ今日も嬉しかったな
楽しかったな

それだけでいいじゃないのか?

今日の夕暮れ時
慣れ親しんだ地元を車で走った
沢山の思い出
それがあの時と同じ様に見えた
交わした言葉も、あの時の表情も
そこには沢山残ってるんだよ。
物も景色も空気も匂いも音も
あのときのままずっと変わることがなく
そこに残されている。

寒さに身を縮め歩く人々
自転車を漕ぐ学生たち
コンビニの店先で肉まんを食べる人
楽しそうな会話を交わす幸せそうな人
手を取り合って支え合い歩く老夫婦
寒い中一生懸命釣り竿を釣るお父さんたち
友達とショッピング、ランチを楽しむお母さん
その一瞬一瞬が幸せではないのか?

奪ってはいけないし
奪われてはいけない
誰にもそんな権利はないし
そんなことをさせてはいけない。

僕たちは産まれて来たんだ
奪われるためにではなく
そこに存在するためだけに

それ以上もそれ以下もクソもない

僕たちにはその権利がある
生きるといった権利が

ただそこに存在する意味が

沢山人たちの表情を今日は見た
いろんな表情たち
でも皆その一瞬を懸命に生きている
今のこの時を、そして明日という未来のために


それが明日も
明後日も
来週も
来月も
来年も
続いていくだけなのに…

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