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沢山の木々たちから学ぶ生き方のコツとは?

大小様々な個性的な木々が好きで
丁度こんな田舎に住んでるんだから、僕は外に出て沢山の木々たちを眺めていました。
多くの葉が枯れ落ちて、枝だけになりながらもどーんと立ち尽くすその姿にただただ圧倒されてしまいました。
遥かに背が高い木や、背の低い木、半分に朽ちた木、切り株になった木。普段めったに木をじっくりと眺めていないせいかこんなに沢山の個性的な木が沢山あることに少し驚きました。

ふと音がして道路に目を向けると
大きな荷物を積んだトレーラーが走り去っていきました。
荷台にはそれは立派なきれいにカットされた木々たち
これから彼らは多くの人達の為に形を変えて、家具や、楽器などに変わっていくのだろうなと思いました。
その時にふとこんな考えが頭に湧いて来たのです。

僕たち人間もこの木々たちと同じなのでは?と

僕たちは産まれすくすくと成長していきました
木の種が落ちて芽を出して成長していくのと同じ様に

やがて成長すると、僕たちは選択肢を迫られます。
何者になるべきなのだろうか?何かをなすべきなのか?と
木々が伐採されて、家具になるのか、家になるのかと選択を迫られるかのように。
そして人は何かになるために、必死に磨こうとするのです

ですが多くの木々たちは本来、家具になるために生まれたわけでも、楽器になるために生まれたわけではなく
木は木としての役割が決められてからそれをただ全うするためだけに生まれてきました。

何かになるべきだというのは人が決めていることなのです

木は木として地球の為に存在し、地球を守っています
人ももしかすると木々の様に生きているだけでも十分に貢献出来ているのではと考えました。

確かに生まれながらにして家具になるために生まれて来る者もいます。幼き頃から家具になるために教育を受けて
本人もそれを応える様に努力を努めます。
そんな優秀な木は人々の目に止まり買われて行くのですが
世の中を見渡してみても、そんな優秀な者というのは中々に稀で、多くは普通の人生を全うすることになります。

そんな自分の人生を卑下し
あの優秀な木に自分がもしなれたのならば、さぞ自分の人生とは有意義で素晴らしいものになったはずなんだと考えると思います。
ただ本来僕たちも自然に生えている木々たちと置き換えて考えるのならば、なにも優秀で付加価値がたっぷりとある木である必要性などないのではないかと思うんです。

ある時、僕は大きな杉の木を庭に所有する方の家に招かれました。遠目からでもわかるとても立派な杉の木です。

誰が見ても立派な木は圧倒的な存在感を放っていて
僕はつい見とれてしまいましたが
その隣にいびつな形をした木が一本そびえ立っていました

この間から枝が生え
木は2つに分断されて通常の木からすれば異様な形の木でした。

「これはなんという木ですか?」

僕が尋ねると

「これも立派な杉の木だ」
「皆は大きな杉の木を見て、美しいと答えるが、僕からすればこちらの木のほうが好きなんだよ」

彼はまるで我が子を見るかのようにその杉の木を眺めて
大切そうに木の肌を撫でました。

僕も次第にその杉の木に目を奪われて
木の持つ凄まじい生命力に圧倒されていました

どんな形で生まれた木であっても
しっかりと木としての役割を全うする
誰に頼まれたわけでも、望まれたわけでもなく
僕たちを見守り支えてくれている大事な気なんだよ
と彼は教えてくれたのです。

丁度その帰り道
ふとした拍子に足をくじいてしまい
まともに歩けなくなったので、丁度目についた切り株に腰掛けて暫く休むことにしたのです。
そして付近に丁度背丈の良い、しっかりとした木の枝を見つけ僕は杖代わりにして家路に到着することが出来ました

何か立派な副産物になれなかったこの木の枝も切り株も
僕をしっかりと支えてくれて助けてくれたのです。

そんな出来事を思い出して
家の近所に佇むけして大きくはないが、より掛かるには十分な大きさの杉の木に背中を預けて
その木の肌に耳をつけてみたんです。
人間の様な魂の鼓動は感じる事が出来ませんが
圧倒的な生命のパワーが僕の耳に伝わってきました

「そうやって何十年も佇んで、僕の知らない世界を見てきて、いいことも悪いことも見てきたのだろう?」

「冬の日も、夏の日も、雨の日も、嵐の時も」

「そこにいて沢山の生命のパワー受けてきたんだ」

「そうやって長い間地球の為に貢献してくれてありがとう」

と話しかけて見ると

「僕たちよりも短い年月生き、僕たちよりも沢山の経験をし、それでも生きようと、前に進もうと、健気に一生懸命生きている貴方がた人間の方が素晴らしい存在なのだよ」

と答えを返してくれた様な感覚を感じたのです。

そんな優しく強い言葉にはっとしました。

そうだ僕たちは生かされている以上、その優しさにしっかりと答えをなければならない。
例え立派だとは言えない近所の杉の木は、僕たち一人一人の行動を見守り、支え、守り抜いてくれている
ならば、僕たちはそれにしっかりと答えて
ただ人間としての役割を全うしていくだけで良いのだと

誰に感謝されなくてもいい
誰に見られていなくてもいい
その形がなく、実態のない愛というものは
人だけでなく、この地球すべてを包み込み
地球自体の波動全てを底上げしてくれるのです。

もし貴方が人生に迷い
露頭に迷い
生きる自信を無くしかけた時に
目についた木々を眺めてみて下さい
時には体を投げ出して腰掛けて見るのもいいです
木をよじ登って、普段見ることが出来ない角度から世界を眺めて見るのもいいかもしれませんね。

その大地のエネルギーも、生命のエネルギーも
僕たちの身体に流れる波動と同調して
貴方の心を洗い、寄り添い、一つになってくれるでしょう

そうやって身を任せてみてみると
生きているっていいなぁ、素晴しいのかもしれないな
と感じることが出来ると思います

僕はまたあの杉の木を見に行きたくなりました
あのいびつで、個性的で、特徴的な杉の木
大事に大事に手入れされて、愛されていたあの杉の木
今度はあの木を見てどんな風に感じるのだろうか?
どう思うのだろうか

あの木にまた出会える日が楽しみでありません!

それではまた🫰

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