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僕は常に物事の本質を知りたがる変人だと理解している。その本質を知れない事は非常につまらないそう考えている。

なぜこの世の中には善があり悪が存在するのだろう。
なぜ人は産まれ、死にゆくのだろう?
そんな事は多くの人は一度は考えることなのですが
僕はもっと深い意味でそれを知りたいと考える人間なのだ。それだから人が敢えて好まないような激しい音楽を好んでいるわけなんだけど。

特に最近気になっている課題とは「死」だ。
ただ初めに断っておきますが、何も憧れを抱いているわけでもないし、かと言って人が死ぬ所を見たいわけでは決してありません。そんな悪趣味な人間ではないと断っておきますwそうでなきゃただの異常者ですのでww

人間の永遠のテーマである「死」とは?
そもそも死というものは何なのだろうか?人はなぜ死を恐れるのだろうか?人は死ぬことで何処へ行くのだろうか?
そのテーマに直面しているだけで、1日が過ぎていく程に考えさせられるんです。物事を考えてしまうと、どこまでも追求したくなる。まぁある意味僕の趣味のようなものなのですがwそんな事を考えては、調べては、ああでもないこうでもない言っている変人なのですよww
まぁ世間一般的に言えば良くは思われないでしょうがねw

かと言って特別学があるわけでもないし
ただのそこらの一般人でしかないし、学力なんてのも下から数えた方が早いレベルです。ただ僕は昔っから知りたいという欲はずば抜けて高かった気がしています。
現に親からはあまりにも僕が質問攻めするわけだから、鬱陶しいとも思われていたでしょうね。
とてもじゃないけど、これはこういうものだからで終わらされるとイラッと来ていたんですよww
それ答えじゃなくね?みたいなww

考えて考えてどういうことなのだろうってしている時間はとても幸福であり、その問題に直面出来るこそが喜びなのかもしれないと最近は理解が出来たのですが
やはり物心ついた時くらいは、恥ずかしさ、後ろめたさが勝ったので、敢えてそれは隠し通していたつもりでした。
やはり人と違うという概念は時には僕を非常に苦しめたのは真実ですからね。そのせいで対人恐怖症を患ったとも言える原因でもあるんですよね。

物事はこうだ、という結論があり。
なるほどそういう決まりなのか?と理解するだけでは駄目で、物事を多方面から眺めたくなる。それこそ360℃全ての方向から見つめることで、光も影も感じられるのだと僕はその期間中に学べた気がするんですよ。
人々が美しいと眺めているものであっても、その裏側までが美しいとは限らない。
その表裏があるからこそ、それが美しいと感じられるのではないのだろうか?というのが僕の考え。

その最たるものというのが死というテーマだったんです。
死というものは美談にもできるし、悲劇にもなる。
何かの身代わりになって散ったのならば英雄として崇められるし、不幸な事故に遭って亡くなれば、それは悲劇になる。その側面があるのが死というもので、亡くなった人間からすれば一つの方向へ向かっていくという。非常に生死というものはシンプルにできているのだが、多くの人間は明確に死というものを理解できないし、説明が出来ない。
非常にミステリアスな課題なのだと僕は思っている。
死というものが軽いものであるならば、人々は死を恐れないだろうし、それが酷く過酷なものであれば、人々は死ほど怖いものはないだろう?
それだけ理解が出来ないものであるために、多くの物語り等では多種多様な表現をし、人々の心を揺さぶり続けているんだと思う。

ただ人生としての一つのイベントに過ぎない死に見えたとしてもそれを誰も理解が出来ない。
その死というものは何なのだろう?というテーマに着目していると、理解をしようとすればするほどに理解が出来なくなるというわけ。まぁ何故に僕はそんなものにここまで知ろうとするのか?わからないけども、ただの好奇心から来るものなのだろうか?

ただまぁ誰かが亡くなって悲しんでいる姿はハッキリといっていいものではない。誰かにとって最愛の人を無くす痛みなど計り知れない事であるからね。
知りたいという欲と、それを面白がるには絶対にイコールしない。ただ知りたいというだけ。知ってどうするのかも僕にはわからないけど、目の前にルービックキューブが置いてあれば解いてみたい。ただそれだけの好奇心なのかもしれないな…。

なんだか自分はおかしいのだろうか?とも思えてくる。
ただ只管1日中それは何故なのか?考える日もあるくらいだからww

うーんやっぱり僕はよっぽどの変人なのだろうな

それだけははっきりとわかるw

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