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少しずつだけど考え方に変化が起きてきた

1年前の僕と今の僕
なんの変わりもないように見えて確実に変わって来ている
。そう実感するのは何かピンと来たものがあったからだ。

自分が大きく変わる
例えば生活習慣や思考や行動。
それらが変わると自分の中で新たなデータがアップデートされていく。上書きされた古いデータは完全に消えてはおらず、心のなかに残されていく。
そうすると今までの自分の行動と今現在の行動を見比べ
自分の過去の行動に対してそれが滑稽に思えて来る。

「なんで自分はあんなものが好きだったのだろう」
「なんであんなものにしがみついていたのだろう」

そういった気持ちがふつふつと湧いてきて
もう二度とそんな事をするものか、そんなものを取り入れるものかと少し意固地になってしまう。
それだけならまだしも他人の行動にまで気になっていき、終いにはその行動が許せなくなる。

例えば大掛かりなダイエットに成功をし、スリムな体系を手に入れることが出来たのだが、自分の記憶の中に残る太っていた時代というものが抜けきれず。
逆に暴飲暴食を繰り返している人に対して罪悪感を覚えるようになる。

「なぜあの人は痩せようと考えないのだろう?自分はあれだけ苦しい思いをしたのにも関わらず…」

その思いが大きくなるのつれて
世の中で起きること、大衆の行動や思考
そういった事細かな事にも気がついてそれを正そうとしてしまう。

ただそれが悪いのではなくて
成長後身体に残った古いデータというものを、少しずつ循環して取り除いて行くことによって
晴れて次のステップに完全移行することが出来るのだろう?と最近になって気がついた。


過去の自分は多少なりとも古い体質や古いしきたり等に反発をしていたのかもしれない。自分は明らかに変化があるのだが、それがあ完全に移行できていないため、思考は変わって来ているのだが受け入れきれていない。
それがイライラに変わったり、世の中の体制に対して反抗的になったりしていた。

それが最近になって少しづつ角が取れてき始めた気がしている。それがあってもよい、人がいいと思って行動している事に口を出す事は意味がない、世の中がいつまでもこうであってもそれはその時起こるべきして起こっているだけだ。それがふと自分の中で受け入れようとし、それはそれだと受け流している。
そしてきっと僕が経験し学んだものというものが、また誰かの道を照らす。それはあからさまに当てずけがましいものではなく、より自然によりソフトに僕の行動が僕の言動がその人々の行動に変化が起きてくれればそれで良いと思えるようになった。

〇〇を変えてやる!!〇〇はおかしい!!
それに対する怒りや不満のエネルギーは凄まじい
そしてその思考が世の中をいい方向へと導いてくれる。
そうしてこの世の中は常に進化をし存続してきた。

だからこそ僕はその傾向を眺めていたい。
どんな世の中の闇でさえ時に人々の成長に必要不可欠であるのならば、それを許容するという事はある意味試されているのだろう?と思う。

そうきっと僕たちは試されているんだと思う。

目の前のテーブルに置かれた多くの物事を
人々は好きなだけ拾うことが出来るし、それを使うことも自由。そして人々はそれを扱い多くの経験をする。
そして最後にはその物事をそっとテーブルに戻して、僕たちは元の世界へと戻っていく。それが世の中の法則なのだろう?と思えてならない。

どんな事が起きようとも
どんなものが見えようとも
それを変えようと努力をしない
それを馬鹿にしたりはしない
ただ只管そういうものだと受け入れる
それが僕たちの最大の宿題であり、この世に生を受けた大きな課題なのである。

僕はこの1年を通して外面的な変化はなかったにせよ
内側では大きく違っている。
小さな変化は少しずつ大きくなれるはず
少しずつ焦らずに進んでいこうと思う

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