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目上の大人に対して、言いたいことが言えない

子供の頃に受けた影響は、大人になっても実は根深く心に残っていることがある。

例えば、「子供の頃に虐待を受けた経験」は、大人になってから今度は虐待をする立場になってしまったり、「男は泣くもんじゃない」という躾は大人になってからも簡単に泣かせてはくれない十字架になってたりする。

このように、子供の頃に受けた親や学校の先生の教育や、育った環境の影響は実は深くその子の人生に刻まれていたりする。

僕にも子供の頃の影響が未だに残っている。

僕にとってそれは「大人を怒らせたらいけない」ということだった。

大人の言うことは絶対。歯向かうことなど到底許されたものではない。それが小学生の頃に受けた教育だった。



当時、両親が共働きだったぼくは小学校1年生から学童保育に通うことになった。学校が終わってから親のお迎えが来るまでのだいたい15:30〜19:00という時間を学童保育で過ごしたのだが、その学童保育の教育方針がなかなかに強烈だったのである。

いくつか紹介しよう。

忘れ物にとにかく厳しい(忘れると連帯責任にもなる)
学力が可視化され、競争的な仕組み(学童で課されるワークの進み具合は細かくチェックされ、皆が見える形式で貼り出される)
徹底した団体行動(細かく組まれたプログラムに基づいてダンスや歌の練習が必修化)

他にもいくつか挙げられるが、こんなところでも僕が過ごした学童について少しはお分かりいただけるだろう。叱られることは日常茶飯事で、よく泣いていた。大人が目をじっと見つめてきて、詰め寄られる感覚は未だに脳裏に焼き付いている。当時から、叱られたりすると、ぼくは頭が真っ白になってしまう。自分の言い分を考える余裕がなくなってしまう。


これが今の僕にとって大きな影響を与えている。歳の離れた目上の相手に対して、自分の言いたいことや自分の言い分を直接伝えることが苦手なのだ。声が震えたり、手が震えたりする。それは相手を怒らせるかもしれないというリスクを伴うことに起因している。自分が在籍していた学童保育の児童全員が、同じように、目上の相手に自分の意見を伝えることが苦手であるとは思わないが、少なくとも僕は苦手になってしまった。

トラブルや軋轢を起こさないという面においてはいいかもしれないが、結局自分の権利や主張を伝えないことで、自分がその場に居づらくなってしまうことがある。ある意味、自分を守れないということ。相手の言うことを聞くことしかできなくなってしまうのだ。

果たしてこれは良い教育だったのかと思う時がある。



僕には思い当たるところ、「恩師」がいない。

ぼくのためにたくさんの時間や労力を割いて下さった大人の方はいても、僕にとって「この人が恩師だ」と思う人がいないのだ。それについて、ゼミの友人に尋ねたことがある。

「どうしたら恩師ってできるの?」


「うーん...



それは、自分が思っていることを、嫌われる覚悟で、その目上の相手に言うことだと思う。」


とその友人は答えてくれた。

未だにこの言葉は僕の頭に残っている。それだけ、自分自身ハッとした言葉だったのだろう。彼は自分の伝えたいことを言うことで、時に相手から好意を持たれないこともあったが、結果として恩師ができたと語ってくれた。しかし自分は、大人に怒られないように相手の顔色を伺いながら、反論することなく言いたいことを飲み込んできた。それが受けてきた教育であり、ぼくの無意識に溶け込んでいる足枷なのである。

ようやく、文字でなら伝えることができ始めているものの、直接という場面だとどうしても自分の意見を主張することが難しい。



これから社会に出ていく上でたくさんの理不尽が待っているだろう。それは文化や習慣、マナーなど社会的規範とされるものだったり、コミュニティに根ざしたルールやしきたりといった伝統的なものだったりする。


心の声を聞くと、ぼくは自分の意見を主張したがっていることに気づく。「大人を怒らせてはいけない」という小さい頃に受けた教育を、ぼくはいつまで引きずるつもりなのだろう。どこかで変わっていかなくてはならない。そのタイミングは近いのかもしれない。

人には誰しも「譲れないこだわり」がある。この譲れないこだわりを持つことはぼくはステキなことだと思う。その人の人間性を象徴しているし、それだけ熱いものがあるということだから。ただ、この「譲れないこだわり」が衝突を生んでしまった時、皆さんはどうするだろう。

特に目上の方との間で。


譲れないものを守った先に自分がいたら、自分が大切にしたい人がいたら。



Wataru

(追記)
なんだかお固い文章を書きましたが、ここまで読んでもらってありがとうございます。ただの頭の整理みたいなもんですが、やはり言語化は気持ちがいいものです。思考がクリアになるというか、なんというか。

ぼくは将来、教員というキャリアを下りて、学童保育を経営したいと思っています(いつになるかは分かりませんが)。ぼくが学童保育で受けてきた教育とは全く異なるアプローチで、子どもの成長を支えたいからです。ある種の反面教師的な感じかもしれません。その頃には僕にも恩師がいるといいですね。

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