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【時評】ヨルシカをコピーすること、僕らの時代に終わりがあること──ヨルシカ、あるいは郊外のコピーバンドについて

 つい先日、個人的な縁で大学の軽音楽部(サークル、ではないらしい)の卒業公演を聴きに行った。どことなく寂しさを漂わせる街の、繁華街にほど近い場所にある地下のライブハウス。出ていたバンドはほぼすべてがいわゆるコピーバンドであり、卒業後も音楽を続ける、という志向のあるひとびとではなかったように思う。

 その中に一つ、ヨルシカをコピーしているバンドがあった。

 ヨルシカ。2019年前後に圧倒的な支持を得た「夜行性」が一つ。

 YOASOBI、ずっと真夜中でいいのに、そしてヨルシカ。DTM的な出自を持ち、ネットカルチャーとの高い親和性を内包しつつも、それらはそれぞれが、異なる音楽性を持っていた。だから直截的に、それらを深いレベルにおいて、包括的に語るのはそれなりに困難だ。例えば武久真士氏の論考『セカイは日常の中に──「夜のセカイ系」と音に浸る僕たち』(『青春ヘラver.8「シティダーク/アンダーグラウンドレトロ」』所収)は、ノイズキャンセリングイヤホンなどの今日的なメディアと、いくつかのフレーズ、リリック(歌詞)の分析を通じて「夜行性」を一つの論説へと統合していたが、それはバンド論である以上に「夜のセカイ系」というタームと、それが表現するメディア論的視座についての論説であったように思う。

 その中でヨルシカはとりわけ「感傷性」の高いバンドとして取り上げられていた。それによれば、しばしば文学作品を援用し詞(詩)的世界を構築するヨルシカはしかし、その文学からある種の暴力性や荒々しさを抜き去り、感傷性によって読み替えてしまうという。シングルとしてリリースされ、のちにアルバム《幻燈》に収録された《又三郎》は、無論宮沢賢治の『風の又三郎』をモチーフとしているのだが、「異人」である三郎という主体を通じて、文化的な軋轢や断絶を主題とする同文学作品を取り込む過程において、ヨルシカは「社会を壊すヒーローとしての役割」を仮託する。大澤信亮を引きながら、武久氏はそのまなざし、その読み替えが、三郎との間にディスコミュニケーションを生んだ「その他」の子どもたちの、ある種暴力的なそれと同質のものであったと指摘する。

 ヨルシカを語るうえで、この「感傷性」はたしかに重要なタームとして機能するだろう。しかしそれに拮抗するものとしてやはり「暴力性」はある。とはいえ、それは先に引いたような宮沢賢治的な暴力性ではない。それはそれ自体独自の、こう言ってよければ今日的な暴力のかたちである。そして、それを最も先鋭的なかたちで表出させたのが、アルバム《盗作》だったように思う。

 メロディー・リリックの剽窃や引用をある種のスタイルとして取り込み、一つの批評的契機とする本作はしかし、その主題からはやや遊離したところに暴力性を横溢させていた。このアルバムにおける、物語る主体は、「死んだ目で爆弾片手に街を歩」くのだし(そのフレーズが登場する《爆弾魔》は再録だが)、放り投げたギターはぽっきりと折れてしまう(《思想犯》)。全世界に対する怨念のようなもの、実存の深いところにわだかっていながら、観念的・全体的な世界へと向けられた怒りや報復心のようなもの。しばしば、ヨルシカはそうした情感を作品の中で表出させてきた。

 無論、アルバムは先に触れたような「感傷性」の高い曲も取り扱っている。そして最後の曲である《花に亡霊》は、とりわけその色が強いものだった。そこに暴力性は希薄だ。それはアルバム全体に一つのずれを──相剋を生み出す。

 感傷性(=センチメンタリズム)と暴力性の葛藤、あるいは相剋。ヨルシカの創作はそこから析出される。そしてそれを装飾する手段として、ヨルシカは「盗作」というモチーフを選んだ。絶えざる引用、絶えざる「言語や暗喩の横滑りの中」に「自分を含むこの世界を金属バットでぶん殴るような、ある種の殺伐とした批評性」(杉田俊介、「2022すばるクリティーク賞発表 選考座談会」『すばる』2022年2月号)を横溢させることを。

 だからヨルシカをコピーするということは、それ自体一種の批評的アプローチであると言うことができる。

 コピーバンド、というありかた。「自分の」表現を持たないアマチュアによって担われるそれは「カバー」には決してなりえない。それはあくまでも「コピー」であり、ともすればオリジナル・意味内容を喪失した空疎なシミュラークルに堕してしまう危険を常にはらむものである。それは同時に、露悪的に言えば「盗作」に──「盗作」という言葉が抱え込む、軽蔑的なニュアンスを差し向けられかねないものに──堕してしまう危険でもある。

 だからヨルシカがコピーされると聞いたとき、僕の中に湧き上がってきたのは仄暗い興奮だった。アルバム《盗作》における《盗作》をやり、自分たちのありかたに自己言及するのではないか。あるいは、ウェルメイドな側面ばかりが注目されがちだったヨルシカの音楽をラディカルに振り返り、内破することを狙っているのではないか。あるいは、世界全てを突き崩さんとするリリックを「卒業」の終末性に絡めて高々と歌い上げるのではないか。あるいは、あるいは──。

 しかし結果として、そうした期待のすべては裏切られた。否、裏切り、というのはいささか感傷的に過ぎる表現だろう。そこにあったのは、その言葉が意味するような、浮薄なだけのものではなかった。仄暗いだけのものではなかった。それはまったく別様の批評的アプローチだった。

 開幕、そのバンドは《斜陽》をコピーした。感傷性の高い、太宰治『斜陽』を直截的に取り込んだ一曲。ここにおいて、僕はアルバム《盗作》を徹底して無視する方策を立てているのでないか、と訝った。

 それは続く《夜紛い》の演奏中も変わらなかった。《夜紛い》はアルバム《だから僕は音楽をやめた》に収録されていた一曲だ。このアルバムもある種の暴力性や喪失を歌うもので、初期ヨルシカの重要な作品の一つだが、とはいえ、そのバンドの女性ボーカルの歌唱も相まって(初期suisのような、高音をヴィヴィッドに響かせる類のものだった)それはどことなく感傷的に聞こえた。感傷と喪失。このコピーバンドがヨルシカに見出し、再現しようとしているのはそこなのではないか。そんなことを考えているうちに曲は次のものに移ったのだが、これも《花人局》で、束の間頭をよぎった主題に沿うようなものだった。とはいえこれはアルバム《盗作》収録の一曲である。

 そして次は《春泥棒》だった。《盗作》から《創作》へ(無論最初はシングルでリリースされた曲だが)。そうしたヨルシカの転回(もともと計画していたものだったらしいが)をベタに取り込む選曲。ここで僕は、その意図や趣向の輪郭の大まかなところを類推し始めていた。

 その選曲はおおむね満遍なく、ヨルシカの主要な曲を押さえていた。そしてそれは、2010年代(テン年代)から2020年代へ、という移行を、直截的に指し示してもいたはずだ。だから僕はここで、最後の曲もまた、そうした「移行」を主題とするものなのだと類推した。

 練習期間のことを考えれば《晴る》はありえないから、《又三郎》や《アルジャーノン》あたりの(情報が多く、比較的習得が容易そうな)、新しい曲をコピーすることで最後の曲とするのではないか。この時の僕はそう考えていた。

 しかしそうはならなかった。最後の曲は《五月は花緑青の窓辺から》だったのだ。

 ここにおいて僕は圧倒された。それが《だから僕は音楽を辞めた》において、それなりにマイナーな方の曲だったこともあるだろう。しかしそれ以上に僕が圧倒されたのは、その曲の持つ高い批評性と、それを見出したそのコピーバンドのまなざしだった。

思い出せ!
思い出せない と頭が叫んだ
ならばこの痛みが魂だ
それでも それでも聞こえないというなら

ヨルシカ《五月は花緑青の窓辺から》

 2019年にリリースされたこの曲を、アルバムを、音楽を「思い出せ」と叫ぶこと。テン年代の終わりにあって、「移行」ではなく「想起」を主題とすること。いま・ここにおいてそれを歌うこと──。

 曲はこう続く。

愛想笑いの他に何も出来ない
君と夏を二人過ごした想い出を
笑われたって黙っている
笑うなよ 僕らの価値は自明だ
例うならばこれは魂だ

同上

 無論、バンドという存在様式は本質的に「きみとぼく」といった閉塞した二者関係を許容しない。そして大学生のコピーバンドにおいてそれは、同時に、その種の幻想が成り立ちえた「あのころ」がもはや存在しないということ、過ぎ去った日の夢であったことを意味してもいる。

 だから「卒業」に際して取りうる選択はそう多くない。感傷的な追憶の中に留まるか、無根拠で残酷な未来の中に落下するか。

 しかしこの選曲はそうした選択を無化していた。思い出せ、思い出せと曲は続く。コピーは進行する。すべてが引用の中で、すべてが再現の中で、その間隙から、切れ目から、切実なものを歌いつぐこと。何もかもが過ぎ去っていく中で、ある時代の忘却に争うこと。そのバンドが選んでいたのはそれだった。

 テン年代は終わった。いま・ここは2020年代で、それももう4年が経過している。あらゆるものが無根拠で浮薄な加速によって彼方へと追いやられていく中で、個人的なもの、経験的なものだけが交換不可能の、唯一絶対のものとして言祝がれる時代が、いま・ここにある。

 だからここにおける「思い出せ」もまた、そうした実存の──それは徹底して今日的なありかたに変質してはいるけれども──秩序へと回収されてしまう言葉なのかもしれないし、そのことにはそれなりに価値があるのかもしれない。

 しかしその想起がもしも、より広く、そして少しだけ実存の「外部」へと開かれたものであったとしたら。ヨルシカが広く、強く響いていた、ある時代の終わり、ある年代の終わりという共同的なものへと開かれているとしたら。

 その時こそ、それについて考えるときこそ、われわれ・・・・はテン年代と本当の意味で向き合えるのかもしれない。

 


 


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