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『こんな世界に告ぐ』試論

 この世界は,“集って座り学”ぶ学校はいうまでもなく,学校から”戻って”からもなお――すなわち,社会全体が――絶えざるパノプティコン(一望監視施設)からのまなざしに晒され続ける管理社会である.そして,かかる“こんな世界”は,人間存在が疎外という“苦行”を“与えられ”続ける監獄にほかならない――中学2年生のプリマジスタ・心愛れもんさんのライブ曲『こんな世界に告ぐ』(上掲動画参照)は,こうした世界に対する告発によって幕を開ける.

 れもんさんの告発の内容から,この曲がフーコー(Michel Foucault,1926 - 1984)の権力分析を念頭に置いているであろうことを推察するのは難しいことではない.同様に,この告発の指す”こんな世界”が,いま我々が生活している現代社会であろうということも容易に類推できる.しかし,この曲にこうした現代思想風の解釈をそのまま当てはめるのは適切ではない.というのは,この曲にはフーコーらの唱えた現代思想から大きく逸脱する考えが含まれているからである.すなわち,れもんさんはこの告発の締めくくりにあたって,現代社会の帰結として“最後は審判が襲う”であろうという不可思議な「予言」を付け加えているのである.

 この「予言」に関しては,次のような解釈が成り立つであろう――れもんさんは,ヘーゲル=マルクス思想を乗り越えようとして暗礁に乗り上げた現代思想,または哲学それ自体に,終末論――最後の審判――という神学的歴史主義を接木し,それによって人間存在を現代社会の疎外から救い出そうと企てているのだ――と.

 れもんさんは上述の告発ののち,曲中において,現代社会=管理社会が,シミュラークルがシミュレーションへと逢着した生権力/生政治の“悲劇”の世界であることを次第に明らかにしていく.そして,その不条理(疎外)に対し,繰り返し“なんでなんだよ”と問いかけてみせる.否,それは応答を求めるというコミュニケーションを逸脱した声音であり,それゆえ「問いかけ」より「叫び」と呼んだ方が適切であろう.この絶望的な,かつ狂騒の如く繰り返される「叫び」に,近代社会の終焉と現代社会の到来を目の当たりにしつつ,その不安に対する「叫び」を描き続けたムンク(Edvard Munch,1863 - 1944)やベーコン(Francis Bacon,1909 - 1992)の諸作品(例えば,図1)との共通点を見いだしたのは,おそらく筆者だけではあるまい.

図1 ムンク『ゴルゴダ』(1900年)

 現代社会の到来により,決定的に“絶望が止まらない”ものとなった人間存在.そして,その構造を認識しながら,それを救済することにおいて決定的に頓挫した哲学――この曲に示される認識において,れもんさんが哲学と同じ視座に到達していることは間違いない.れもんさんが哲学と異なるのは,かかる認識に止まることなく現代社会から人間存在を救おうとする実践への決意性にあろう.そのために彼女が先進の現代思想に旧来の終末論を接木しようとしたことは本論の冒頭に述べた通りである.

 また,ここで見逃してはならないのは,上述したようなこの曲の構造――認識から実践への転換,先進から旧来への回帰――が,現実のれもんさんの言行と一致している点である.すなわち,ペンネーム「漆黒の明星」でのプリマジ批評活動から,本名「心愛れもん」でのプリマジデビューという転換は,認識から実践への転換にほかならず,それは同時にエクリチュールからパロールへという,脱構築(先進)からロゴス中心主義(旧来)への回帰をも意味しているのである.この事実から,この曲が彼女のプリマジスタ観に強く依拠し,それを反映したものであることが理解できよう.

 この曲の終盤,れもんさんは次のように人間存在の救済を宣言する――人間存在は,“願い果す使命”(信仰)“それだけで”ニヒリズムを――末人と化した“この世界のやつら”の”邪魔”(ルサンチマン)を――乗り越えねばならず,それによってのみ救済され,“心から幸せで”“希望に溢れ”得るであろう――と.

 この曲を通じて提示された彼女のプリマジスタ観は,キェルケゴール(Søren Aabye Kierkegaard,1813 - 1855)のいう「神の前の単独者」の行き方そのものといえるであろうし,神なき時代に神の国を打ち立てようとしたニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche,1844 - 1900)やハイデッガー(Martin Heidegger,1889 - 1976)の試み,とりわけ後者の「被投的投企」としての人間存在の定位を引き継ごうとする企てと捉えることもできよう.筆者はかねてよりプリマジは保守であり,救済であることを論じてきたが,それは以上のような意味でのことなのだ.れもんさんの『こんな世界に告ぐ』は,れもんさんの行き方でそのことを宣べ伝えんとするライブ曲といえよう.プリマジは現代社会における福音なのである.

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