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白馬は本格的な冬に向かって、一歩ずつ進んでいます。

現在、実家を旅館業(簡易宿泊所)としてオープンさせようと、今、色々と準備を行なっています。

なぜ私が旅館業をやってみようと思ったのか、少し書いてみたいと思います。

私の実家は、築50年を超える家になります。

通常で有れば、家は30年くらいでガタが来るのですが、この家はびくともしていません。

それには理由があります。

この家は、祖父が建てた家で、柱には白馬産の杉を使い、祖父、父、叔父2人が作りあげた完全手作りの家なのです。

私の家系は代々手先が器用な家系らしく、2人の叔父は東京で大工として修行を積み、今まで多くの家を建ててきました。

その叔父2人と、祖父、父が力を合わせてこの家を作ったのです。

この家はかなり大きな家なのですが、その理由は、祖父が、6人の子供の家族全員を家に泊めたかったからなのです。

部屋数は、1階5部屋(10畳、10畳、8畳、6畳、4.5畳)、2階4部屋(9畳、8畳、8畳、8畳)の合計9部屋もあります。

それ以外に、キッチン、洗面所、お風呂、トイレ2箇所があるのです。

そして、家の柱は、私の家の山の杉の木を使っています。(以前、我が家は林業を営んでいましたし、現在も山を所有しています)

当時山の木をどうやって柱にしたのかですが、以下のような事をして柱にしました。

(1)夏に杉の木を切ります。
 これで冬までの間に、木を乾燥させていきます。

(2)冬になり雪が積もったら、ソリに木を乗せ、雪の上を滑らせながら木を麓までおろします。

(3)その杉を、千葉の木材加工をする場所まで運び、柱にしてもらいました。(なぜ千葉まで木材を運んだのですが、千葉の親戚が、材木問屋を営んでおり、製材設備があったのです)

こんな感じで柱が出来上がりました。

この家を建てたのは、私が小学校1年の時でした。

色々な思い出が詰まった家なので、なんとか活用出来ないかずっと考えてきました。

1990年代はスキーの大ブームが押し寄せ、とんでもなく多くの人が白馬を訪れていました。

当時、スキー場から麓に降りてくるまで、車で5時間以上かかったこともありました。

スキー場から徒歩で山を降りた方が早かったくらいでした。

そんな時期だったこともあり、私は社会人になった頃から、長野オリンピックが開催された1998年くらいまで、友人を実家に連れてきてスキーを楽しむということを12年程やっていたのです。

金曜の夜に集合し、中央高速を走り抜け、甲府~松本~白馬という感じで、車で移動していました。

一人の友人は、調布の競馬場のそばを走る時に必ずユーミンの曲をかけていたものです。

そんなこともあって、再び白馬に友人を招いて白馬を思い切り満喫できたら楽しだろうなと思ったのです。

泊まり込みで夜中まで話し込んだり、大貧民で盛り上がったあの思い出が今でも鮮明に甦ります。

そんな事を考えていたところ、旅館業に繋がって行ったのです。

そんな実家ですが、家の周りには多くの湧き水があります。

水が家の下を通過するので、家は湿気との戦いでした。

今は、床にコンクリートを打っているので、家が湿気ることもあまりなくなりましたが、油断は出来ません。

湧き水が出る場所なので、家の周りには、養殖のいけすもあります。

今、流行りの信州サーモンを養殖しています。

なので、家の周りには鳥が沢山やってきます。

家にいながらバードウォッチもできちゃいます。(^^)


こんな経緯で、旅館をやろうと思ったのでした。


今日も、良い一日でありますように。\(^o^)/

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