記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

2023年 最高の相棒に出逢えた歓び−音楽劇『ダ・ポンテ』プレビュー公演感想2/2 (第二幕)

この記事は、"2023年 最高の相棒に出逢えた歓び−音楽劇『ダ・ポンテ』プレビュー公演感想1/2 (第一幕)"の続きです


このnoteは本編のあらすじ、演出に言及(=ネタバレ)します

 第一幕に続き、この場面のここに泣いた、このシーンはうけた/ツボった、と具体的な台詞や演出に言及しながら反芻して書いていくので、これからご覧になる方で先入観を持ちたくない方は、以降はどうか読むのをお控えください。
 記憶を頼りに、なので、「そのシーンが出てくるのはもっと先だよ」やら、「そこ厳密には台詞違うよ」、やら少なからず出てくると思うので、そこはどうか心の中で補正してください。。

M14 ようこそウィーンへ

 第一幕でのニューヨークと同じメロディを、リズムと楽器を変えてこちらでも。
 『フィガロの結婚』の成功で一躍売れっ子劇作家/作曲家となったダ・ポンテとモーツァルト。「有名人ってのは辛いねぇ。おちおち買い物もできやしない。」と一旦は迷惑ぶってみるものの、"最高ーーー♪気持ちいいねぇぇぇこの感じ!!!"と嬉しさを隠さず笑顔満開で喜ぶダ・ポンテ先生が可愛い…!!うんうん、ずっと望んでいた人々からの賞賛だもんね!
 笑顔でやって来たサリエリ先生が仕事を依頼し、ダ・ポンテに指を心配されるくだり。2回観たうち2回とも私含めて客席大爆笑で、「指大丈夫ですか?」としれっと尋ねる海宝さんの間の良さもさることながら、明らかにあわあわおろおろし、なんならくるっとその場で一回転しちゃうばっちさんサリエリ先生が可愛いわ面白いわ可笑しいわで大変だった(笑)!!いっそあざといほどの可愛さなんだけど、本気100%感というか、取り繕うこともなく心底「どうしよう(>_<)」とあせあせしている空気が溢れてて、なんかこう、ねじ曲がるとか僻むとかとは無縁の(って点が、これまた過去重なってきた他作品でのサリエリ像と違って興味深くて好き)憎めないオーラだだもれで、好きだわ〜〜!!だった。もったいつけつつも仕事を引き受けてくれたダ・ポンテに対する目の輝きがまた「ぱぁぁぁぁ!!!」と音が出そうなくらい明るくて闇が無くて、良かったねぇもう!!みたいに肩振るわせて観ました(笑)。
 「感想を」と呼び止めるモーツァルトを振り切って「レッスンがあるんでね!!」とその場を駆け足で去っていってしまう姿、実際サリエリ先生は史実でも色んな人のレッスンを見ていたそうで、二幕後半で語られる「後継の育成」や「音楽自体の隆盛」に真摯に取り組んでたと読んだことがあるので(といっても読みかじりなため出典思い出せない)、きまり悪くてその場から逃げたってだけじゃなく、実際忙しかったんだと。

 コンスタンツェと買い物三昧な生活を送るモーツァルトに「悪評が立ってるぞ…!もっと堅実な嫁さんをもらうべきだったんじゃないか」と忠告するダ・ポンテ。その次の「余計なお世話だ! 君なんか結婚したこともないくせに!!」に対する返答がまさかの「まだ運命の相手に巡り会ってないだけだ!!」で、「え、ダ・ポンテ先生運命の相手とか信じてるの?!!!!!」と心の中で叫び気味にツッコんだ(笑)。まぁこれまでの浮名も毎回本気で恋をして〜というよりは、「目が合ったら口説く(目が合ったらバトル開始!!のポケモンかい/笑)」みたいなノリに見えるし、ダ・ポンテにとっては100人分相手がいようと「恋」と呼べるものはそのうち数件だったのだろうけど。。しかし恋して結婚ってイメージはどちらかというと現代寄りの目線な気がするなぁ、、と、まぁダ・ポンテの場合背負う家も無いから実質自由なんだろうけど。。むしろ資産家の娘をたらし込んで拠点にしようとか思ってもおかしくなさそうだったけど、それはそれで非現実的だったり付属してくるかもしれないあれこれが煩わしかったのかな。。

M15 恋に落ちたダ・ポンテ

 と、広場に(おそらく二人を見つけて)やってきたフェラレーゼ嬢と視線がぶつかり、コミカルな演出(バラ色に変わる照明、しゃららんと鳴るウィンドチャイム/笑)と共に恋に落ちちゃうダ・ポンテ先生(下手側からだと、ほわぁぁと瞳孔開き気味になる海宝さんの美しい横顔が堪能できて楽しいです)。
 「そいつ人妻だぞー」「音は取れるが大根役者だぞー」と遠くからモーツァルトやサリエリ先生達が忠告するのも(ここもまたコミカルで客席から笑いが/笑)耳に入らず、みるみるうちに惚れ込んじゃうダ・ポンテ。確かフェラレーゼと見つめ合いくるくる回って歌うデュエットがこのナンバー。

M16 私の歌を書いて

 「えーー!フィガロの結婚20回も観てくれたのー?!!」とびっくり喜ぶダ・ポンテ先生と寄り添って歩くフェラリーゼ嬢に、なんか色々重なって笑。。
 「伯爵夫人のアリアを聴いていると、自分のことのよう」と打ち明け、「これまで一番欲しかった愛が得られない経験をしたんじゃない?」と切り込んだ質問。「私に歌を書いて欲しい。あなたの目で殻を脱がせて」と頼むフェラレーゼ。
 一幕の登場時からずっと、このフェラレーゼ嬢割と一貫して目が笑ってなくて、なんなら美しい鷹のようで、物理的距離は詰めまくるけど、冷たい氷の壁を相手との間に一枚隔てて話す女性、って感じだった。「人から人に渡り歩いて、欲しいものを得ていく」ってところは実はダ・ポンテと似たもの同士ながら、笑顔で相手の懐に人なつっこく飛び込んで行く感じのダ・ポンテとはちょっと違って、常に取引を持ちかけるような、線を引いて踏み込ませないようにしつつ威圧していくような感じがあって、そういう演出だとしたらズバリ。井上小百合さん、初見だったけどお顔の美しさと冷たくて硬い雰囲気似合ってた。
 そんなフェラレーゼが確かおそらくほぼ唯一笑顔を見せるのがこのM16で、ダ・ポンテにすがるような眼差しで、「あなたなら、私の内面をちゃんと見抜けるんじゃないか、解るんじゃないか」みたいな表情で「歌を書いて」って頼むんだよね。嘘で武装した彼女の鎧をどのくらい彼の洞察力で壊せるか試してるような、期待もあるような。

M17 ただ一つ 信じるもの

 フェラレーゼとの契約を劇場に持ちかけたダ・ポンテに「やりすぎだ!!」と反発するモーツァルト。「政治家にでもなるつもりか?!」「でも力を持てばそれだけ自由に活動できる…!!」。改革案って他にどんなことを載せてたんだろう。閉鎖的で固定された演出家/歌手/作曲家だけじゃ無く、もっと広くいろんな人員を加わらせるべき、とか、演目への制約の削減とかかなぁ。。
 「彼女はただ音が正確に取れるだけ」「歌に心が無い!!」とバッサリいくモーツァルトに、「いるよね音取れるだけの人〜〜〜〜!!!」とうんうん心の中で頷く私。対して「彼女が歌うたびに僕は感動を覚える!!」というダ・ポンテに、「そのフレーズも私も言ったことある〜〜〜〜!!!」となり、なんだか劇場の外で繰り広げられる舞台ファンの会話と親和性が。。

 結局衝突はどんどんヒートアップし、「君となんか、出逢わなければ良かった!!」と吐き捨てるように言ってしまったダ・ポンテを残し、酒場を出ていってしまうモーツァルト。

 一番言われたくない言葉、今もずっと引きずってる言葉…再びダ・ポンテの回想が始まり、確かここでオルスラとの初恋の辛く苦い思い出が現れる。夫から虐げられても神の救いを信じ、ただひたすら祈って耐えるだけの彼女に、「こんなところ逃げよう」「金なら僕がなんとかする」「僕なら君を幸せにできる」と迫るダ・ポンテのなりふり構わない必死さと、純粋な青くて若い眼差しが美しくて、胸が苦しかった。。。ダ・ポンテからの、手練手管とは無縁な幼い接吻に最初は戸惑うんだけど、オルスラ途中でしがみついてるんだよね。。。本心ではダ・ポンテに惹かれてただろうなぁ。「神様がお認めにならない」、「近づかないで」、「あなたになんか出逢わなければ良かった」。。。信心深いオルスラにとって、道を外れた行いに自分を誘おうとしたダ・ポンテはどこまでも罪な存在でしかなくて、一瞬でもぐらついてしまった自分への罪悪感と嫌悪感で、「出逢わなければ」って言葉が出てしまったのかなと。「あなたは、、、むごい人だ!!」の震えた涙声まじりの青年ダ・ポンテの表情を見るには上手(かみて)。下手とセンターしか座っていなくて声のお芝居だけでもうるうる胸を掻きむしるような切なさだったけど、叶うものならこの場面のためだけでも上手座ってみたい…って思えた。

M18 この静かな夜に

 この一件から、ダ・ポンテは本心を隠して言葉を「手段」にするように割り切るようになったのかなぁ。。。オルスラとの別れと重ねながら、「思い交わせず分かり合えない、大切な人はみな」と(ゲネ動画後半でピックアップされていたのはここな気が)、自分を捨てて行ってしまったモーツァルトを思い出すダ・ポンテ。

M19 行ってらっしゃい、待ってるから

 仲直りの予行演習()を自室で繰り広げるも勇気が出ずに右往左往しているモーツァルトを、コンスタンツェが励ます曲。
 ここのコンスタンツェがほんっっっっっっっっと素敵な女性で、いい女で、なんていいパートナーなんだーーー!!!と劇場出た後も繰り返し反芻するくらい良かった。。
 あなたが一番いきいきするのは彼と創作しているときでしょ、仲直りして来なさい、待ってるから、と静かに歌う青野さんコンスタンツェの、地に足着いた感、華奢なシルエットながらもちゃんとモーツァルトを照らすようなあたたかい包容力が良かった。ダ・ポンテとの創作の場でいきいきするモーツァルトに注がれていただろうコンスタンツェの、羨ましいと愛おしいが合わさった眼差しを、次回の観劇ではちゃんと注目したいなぁ。

M20 カタログの歌

 遅くまで酒場で執筆するダ・ポンテの元にモーツァルトが現れ、仲直りする2人。
 ここだったか、ひょっとしてフィガロの制作場面だったか忘れたけど、モーツァルトから初恋の思い出を聞かれて「物心ついたときから女の子はよりどりみどりだったから」と答えるダ・ポンテの、ばりばりの説得力と(笑)、げっそりげんなりした「はいはい(-_-)」がめちゃくちゃリアルで面白くて周りのお客さんと一緒に笑ってた(笑)。
 ラスト手前まで書き上がったドン・ジョバンニの脚本に、早速曲をつけていくモーツァルト。ドン・ジョバンニの絶倫ぶりと、それを茶化した「カタログの歌」という発想に大笑いするモーツァルトの明るさがカラッと爽やかで湿っぽさが無くて、なんだかダ・ポンテの暗い心の底を照らすような力を感じて、無邪気に楽しくオペラについて話す二人が眩しかった。
 このときのピアノを聴いているダ・ポンテの表情がまた、「あぁ、やっぱり君は解ってくれるんだ…君には伝わるんだ…そしてなんて楽しく心弾ませる旋律なんだ!!」と思っていそうに見えて、その「伝わる喜び」を噛み締めるような姿に再び胸が熱くなった。
 ラストシーンをどうしたらいいか分からない、と悩むダ・ポンテを、「女に振り回されて破滅する人生?もうほとんど君じゃん。好きに書けよ!!ダ・ポンテ!!」と励まし、背中を押す壮ちゃんさんモーツァルトが「これこそ正に最高の相棒!!」という感じで、自分もマスクの下で泣き笑いに。200%いい意味で、だけど、なんかちょっとスポ根系文化部漫画に通じる爽やかさがあって、めちゃくちゃ好きな場面になった。話が飛ぶけど、息子にもこういう友達が出来たらいいなぁ…史実のモーツァルトはさておき、この作品で描かれている、壮ちゃんさん演じるモーツァルトみたいな出逢いが待ってたら素敵だな…となんか願ってしまった。

M21 僕の中のドン・ジョバンニ

 まるで君じゃないか、と言われつつも、「俺なんかドン・ジョバンニに及ばない」とダ・ポンテが葛藤する曲。舞台後方二階で柴原直樹さん演じるドン・ジョバンニが映えまくるスタイルと頭身で華麗にフェンシングを決めていて、 かっこよ?!!!となりながら前方の海宝さんと視線を行ったり来たりさせて忙しい。
 オペラについてほぼほぼ知識のない私が付け焼き刃でギリギリ知った「ドンジョバーーーーーーンニーーーーー」の低−く始まるナンバーを海宝さんが凄まじい声量と美しく力強い響きで歌っていて、前方から押し寄せる声の圧に快く毎回吹っ飛ばされる。海宝さんxオペラといえば、朝ドラ『エール』。また観たい…NHKのサイトとか行けばまだ今も見られるかなぁ。。。どなたかご存知の方、教えてくださいm(_ _)m

M22 もう飛ぶまいぞ、恋の蝶々

 これ検索すると、大抵は「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」って訳が出てくるんだけど、「恋の」は意訳なのか、この公演用に敢えてなのかわからず。

 『ドン・ジョバンニ』ウィーンでは不評。「暗い」「戦時中にふさわしくない」「勧善懲悪が良かった」。頼みの綱のヨーゼフ2世からも、もっと明るい作品が良かったと言われてしまい、愕然とする二人。
 宮廷チームに迎合するような発言をしてモーツァルトを失望させるダ・ポンテ。「あんな傑作一生に一度書けるか書けないかなのに!!」。
 自由奔放だけど明るく朗らか♪な場面が多かったモーツァルトが、爆発する感情を必死で抑えつつ悔しさを滲ませて打ちひしがれる姿と、それを苦しそうに見つめながら「でも次に繋げなきゃ意味ないだろ」と声をかけるダ・ポンテ、再び喧嘩別れ。壮ちゃんさんのモーツァルトの、魂がぼろぼろに泣いてるようなお芝居が刺さって苦しくて、二人のすれ違いもやりきれなくて、しんどかった。。
 
 ここだったか若干前後して別の箇所だったか、フランス革命勃発。
 バスチーユ陥落の号外を耳にするモーツァルト夫妻の顔がすごく複雑なの、市民の立場としては抑圧からの解放に希望を感じる一方で、宮廷や貴族達特権階級をお客さんとしてきた経緯を感じると「これから生活どうなるの?」って不安が両方押し寄せてたからかなと。。
 
 程なくしてヨーゼフ2世も崩御。折に触れて「モーツァルトは良い。心が慰められる」と言っていた陛下は、臨終の瞬間ぎりぎりまでモーツァルトの音楽を愛していて、「楽譜と楽器さえあれば、時や場所を超えて人を励ます音楽ってなんて力を持っているんだろう」と改めてはっとした。演奏の腕とかは勿論最低限必要だけど、モーツァルトがたとえ宮廷の中にいなくても、彼の音楽は何度も陛下の心を支えて来たんだなと。。
 八十田勇一さんのヨーゼフ2世、一幕での登場から崩御直前まで徹底して独特の間と喋り方で客席に笑いを起こし続けていて(笑)、期待を裏切らない安心感ながら、脚本面での好意的な描き方と絶妙に噛み合って、「芸術に理解ある理想の皇帝」そのものだった。プログラムでご本人は「人間的には浅い人だったんじゃないか」という解釈を話されているけど、客席で観た私の印象では、たとえ彼が崇拝していた過去の皇帝をなぞっていたにせよ、十分懐の深い、徳のある皇帝像で好ましかった。

M23 君は何をしてきた?

 ヨーゼフ2世の崩御と同時に宮廷から追放されたダ・ポンテが、サリエリ先生にすがり、そして跳ね除けられる曲。「どうか取り次いでください。同胞じゃないですか」「同胞?!君を同胞と思ったことなど一度もない!!」。陛下の顔色を伺って右往左往したり、とんちんかんな脚本指導をしちゃったり、前言撤回して仕事の依頼をしては指切り発言()を指摘されてあわあわし、くるんと回っちゃってた可愛いサリエリ先生の印象がここまで強かったけど、実は「名は残せずとも」「後に続く者たちへの道を作る」ことを胸に、広い意味で音楽の隆盛に向けて地道に歩んできた生き様があることが分かる。「ユダヤ人?!そんなこと、どうでもいい!!君はこれまで何をした?何を残した?自分のことも知らない愚か者に私はなりたくはない」とキッパリ線を引いて拒絶。ばっちさんサリエリ先生の真っ直ぐで張りのある力強い声が、内容の厳しさと相まって冷や水のようにダ・ポンテに浴びせられるのが見応えありだった。
 ダ・ポンテ側では、内心どこかで凡人と見くびっていたサリエリ先生から自分の生き様がいかにスケールの小さいものかを指摘され、「君の名は残らない」と断言され、ショックだっただろうな。。「自分が」認められること、「自分の」名を残すことだけを考えてきた彼にとって、後続だのイタリア音楽自体の発展だのを考えることなんかおそらく思いもよらなかったことで、かといって今からでもその道に進むかと言ったら、まっぴら御免だっただろうし、進む道も見ている次元も異なる二人が印象づけられる。

M24 パパパの二重唱

 宮廷を追われ、再び鞄一つで彷徨うダ・ポンテが、シカネーダーと魔笛制作中のモーツァルトを尋ねる。
 「パパパだけで歌ったら面白いんじゃない?」「可愛い!!」と盛り上がる一座のみんな。

M25 僕が拍手するんだ

 こんな大衆演劇で終わる君じゃない、僕と一緒にもう一花咲かせよう!!と誘うダ・ポンテに、「もう拍手は要らないんだ」「世界の全てを僕が
音楽にして、僕が拍手するんだ」と静かにモーツァルトが返す曲。
 歌唱披露の映像を観た時は正直ピンと来なかったので、本編で聴いた時のハマり具合が強烈な印象で涙だった。。
 「拍手こそ欲しい」「聴かせたい」ダ・ポンテと対照的に、「拍手は要らない」「音楽で描きたい」境地に達してしまったモーツァルト。「なんて自由な魂なんだ」と眩しくて、きっとその眩しさはダ・ポンテも感じているように思えた。。届かない高みにダ・ポンテを置いて昇ってしまったことへの寂しさ、心底音楽を愛していて、自分に正直な音楽を奏でることを迷わず最優先にできることへの憧れ、絶対的な隔たりを目の当たりにした辛さと、それでも憧れちゃう気持ちみたいのがあったんじゃないかなと。。
 そんなの負け犬の遠吠えだよ(だったかな)、と、ダ・ポンテこそ負け惜しみのような台詞を言って出て行く際、彼の背中に放たれる「さようなら。また遊ぼう!」が辛くて切なくて、モーツァルトの寂しさも感じて、ぽろぽろ溢れる涙を拭いて観てた。

M26 街角の女の子

 落ち目の男に用は無いの、とフェラレーゼからも見放されるダ・ポンテ。結局彼女の望んだ「本当のフェラレーゼを見抜くこと」は最後まで叶わず、「私を何も解ってない」「私こそサンマルコ広場で毎日歌っていた、少女だったのに」と明かされる曲。
 ここまだ咀嚼が追いついておらず、もうちょっと私には時間が要るのだけど、現時点では「結局ダ・ポンテも、他の人同様フェラレーゼの上辺だけしか見ていなかった」、「関わる人は基本利用する、人から人へと渡り歩く生き方という点で似たもの同士だった」、「何かを与えることより、何を手に入れられるかにしか興味が無い二人だった」という点ですれ違ってしまったってことなのね、と理解。。
 咀嚼追いつかないその2としては、「花から花へ」の下剋上人生を送ってきたフェラレーゼの歌が、「心がない」って評されてしまってたのはなんでなんだろうと…。どちらかというと、技術は未熟だけど表現力だけは凄みがある、という方がなんとなく想像しやすくて(実際ダ・ポンテも、魂と音楽が溶け合うよう、だったか、彼女の歌に惹かれた理由を語ってたし)、たまたまだけど、ちょうど同時期に読んでた一条ゆかり先生の『プライド』(漫画)を思い出して面白いなぁと感じた。
 誰にも心を開かないフェラレーゼだったから、オペラでの歌も無機質に聞こえてしまってて、ダ・ポンテだけは似たもの同士だったから何か感じとるものがあったとか??井上さんのお芝居で混乱というより、台詞や設定と私の理解力のギャップが生んでるモヤモヤに思えるので、ブリリアでこの疑問が解けるのを楽しみにしてます。

M27 時代は変わった 君はもう終わった

 第一幕で『フィガロの結婚』がオペラを変えていく際に歌われていたのと同じメロディを街の人が歌い、ダ・ポンテを追い込む歌。ウィーンにたどり着くまでのしあがって来た場面を綺麗に巻き戻しでなぞるかのような演出で、外套が失われ、お金も荷物も奪われ、イカサマがバレて殴られ蹴られで、文字通り地を這うダ・ポンテ。
 こういう…這いずり回って惨めになる役、舞台で観たかったんです…(穏やかな笑顔)。

M28 レクイエム

 放浪先でモーツァルトの訃報を聞き、訃報を聞いてなお、負け犬だと罵るダ・ポンテ。俺は終わらない、こんなくそみたいな世の中で、絶対にのしあがって、俺を認めさせてやる…!!!絶対に俺の名前を残してやる…!!!とまだ頑なにしがみつく姿が哀れでぼろぼろで、どうやったら彼を救えるのか…と初見では観ながら途方に暮れた。
 ここパイプオルガンとしてのシンセサイザー(?)だったのだと思うけど、ちょっと音が電子ーーー!!!な感じがすごくて、スピーカーの問題なのかシンセ側なのか、もうちょい自然にするには?!と一瞬真剣に知りたくなった。。教会でパイプオルガンは実際反響しまくるのだろうけど、うーーん。。。座る場所だったのかなぁ。
 ここだったか、この一曲前だったか、彼がヨーロッパ中を彷徨った様子が後ろのスクリーンに地図で映し出され、トリエステを経由してパリ、ロンドンへ移るのが、もうその距離がすごくて、彼の執念がいよいよ痛々しく、よれよれで歩いていくダ・ポンテの前屈みの姿勢が残酷なまでにみすぼらしくて、再び、「こういう、こういう場面を舞台で観たかったのです…!」ってなった(なりませんでしたかファンの先輩方…!と唐突に呼びかける)。

M29 悲しみたずさえ 時はめぐる

 ロンドンに着いたダ・ポンテ。もはや行き倒れ寸前のところを、ナンシーに拾われ、家に連れ帰ってもらい、「あなたはそれで、どこへ行くの?」に、ついにわーーんと泣き崩れる。
 この泣き姿がまた、「海宝さんの舞台で観てみたかった」トップ3。あんなに言葉を巧みに操っては欲しいものを手に入れてきたダ・ポンテが、疲労困憊で、意地を張る気力も無くて、空腹で、辛くて、やりきれなくて、もう当時それなりに年齢を重ねていたはずなんだけどいじらしくてかわいくて、一緒にマスクの中で声を殺して静かに泣きまくった。音楽も良かったんだよね、穏やかで、それこそ鎮魂歌のような。
 「スープ飲む?鶏とセロリのスープ!すぐ作るわね!」の、ナンシーの邪気の無さがまたとても沁みて、因幡の白兎が弘法大師に救われるようなあたたかさを感じた。

 毎度細かいところを気にしちゃうシリーズ、「これナンシーとダ・ポンテ何語で話してんだろう。英語が公用語としてヨーロッパに広まるのってもっと後なような??」とちょっと気になった。プログラムによれば、どうも実際にはナンシーとの出会いはトリエステで、二人でロンドンに渡ったそうなので、なるほど、長距離彷徨った話と、ナンシーとの出会いを少しフィクション側に調整したのね、とのちに納得。

 行き倒れのダ・ポンテを引きずるナンシーを手伝う、ロンドンの青年が再び柴原さんなんだけど(確か)、可愛いピンクのばらを一輪手にしてて、あぁ本当は好きなお嬢さんをこれからデートに誘いに行くところだったのかな…なんて思ったりした(笑)。

M30 思い出して、ロレンツォ

 冒頭のニューヨークのシーンに戻る。
 「私が読みたかった、コジ・ファン・トゥッテのことが(この回想録には)書いてない。素敵な思い出だったはずよ。」ダ・ポンテに当時を「思い出して」とナンシーが語りかける曲。
 田村芽実さんの高音の柔らかさ、優しい響きが、第一幕冒頭の海宝さんの老ダ・ポンテと張り合うレベルに美しくて、耳だけじゃなく体に柔らかい歌の流れが染み込むようだった。

M31 コジ・ファン・トゥッテ

 老ダ・ポンテからありし日のダ・ポンテにその衣装のまま戻り、結末を話すダ・ポンテとモーツァルト。「君なら(行き詰まって困っている僕に)どうしたらいいか分かるだろう?」と目配せして、両手でコミカルにピアノを弾く仕草をするダ・ポンテがとっても粋で良かった♪ 
 サリエリ先生やそのほかのみんなも次々後ろに出てきて、「世の中なんてそんなもんさ♪」と大団円的にコジ・ファン・トゥッテの、多分フィナーレをみんなで歌う。

M32 この静かな夜に

 プログラムに載ってる歌詞が本当に素晴らしくていっそ載せたい!!けど著作権的に無理なので、気になる方は是非買って読んでみてください。。
 ダ・ポンテが最後まで憧れ、人生の煌めく瞬間(オペラの成功だけじゃなく、純粋な創作の楽しみも)をくれたモーツァルト。彼との時間を懐かしんで、愛おしそうに見つめる海宝さんの眼差しと、その時間の輝きをそのまま表したような歌声の透明感が本当に素晴らしくて、自分の口元が綻ぶのを感じながら幕、でした。

 休憩中、帰りの電車、帰宅後の隙間時間に思い出す端からメモりまくった感想をひたすら詰め込んで投稿。
 これから他の方の回想、反芻、感想、考察を楽しみに読みにいきます!!!!

 最後に、大切なお時間でここまで読んで下さった方、ありがとうございました!!

参考にしたもの

公演プログラム
ゲネプロ動画

https://m.youtube.com/watch?v=O1KU8mDxvgk

アルテス 電子版 ロレンツォ・ダ・ポンテ『回想録』訳●西本晃二
http://magazine.artespublishing.com/web/ロレンツォ・ダ・ポンテ『回想録』

https://m.youtube.com/watch?v=Ljr7mjtScpc


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?