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手湿疹と看護師のお姉さんの話

梅雨の湿気は、人体にも様々影響する。
この時期は、指が痒くて仕方ない。表皮の下に、大小多数の水疱が現れるからだ。

いわゆる手湿疹と言うやつで、20年程の付き合いになる。こいつが一時期、勢力を急拡大した。
社会人になり、一人暮らしを始めて間もない頃だった。

両手十本全ての指が、水疱で埋め尽くされた。水疱ができた部分を、慢性的な痒みが支配する。掻いても我慢して放置しても、いずれ水疱は潰れた。ぐじぐじと汁が出て、乾燥すると硬くなり、またすぐ水疱が現れる。何度も何度も繰り返すうち、皮膚は人間らしい柔らかさを失った。

硬く破れにくくなった皮膚の下でひしめく水疱たちは、内容物の出口を失い、その鬱憤を指の内部へぶつけ始めた。
指の内部がどうなっていたか直接は見ていないが、爪は全てボコボコになり、指は全てパンパンになり、やがて手のひらや手首にも侵食が始まった。

腫れた指は曲げると痛み、触れると痛み、何もしなくても痛かった。
仕事で一日中キーボードとマウスを操作するので、いかに接点を少なく触れるかに神経を使った。

両手が常に痒くて痛い。何をするにも苦痛が伴った。

見た目もグロく、精神的にも辛かった。

24時間痒いので、夜も痒すぎて寝付けなかったし、寝られても睡眠の質は激悪だった。

薬を塗って綿手袋をしていたが、新品の手袋は腫れた指だと通りにくくて、その後も着けている間中、手袋が刺激になってとにかく痛かった。

何件もの皮膚科にかかったが、同じような薬を出されるだけで、何も解決しなかった。期待して足を運んで、今度こそと薬を塗り続け、やがて絶望する。そんなことを繰り返した。

その内の一件の病院で、忘れられない出来事があった。


その病院では、アレルギーや感染症の検査をしてくれたのだが、結局何も解決しなかった。
私は精神的に参っていたので納得できず、どうしたらいいのかと訴えた。お医者様も困っただろう。ちょっと心無い言葉をぶつけられた、と感じた。

ぶわわっっ―――と涙が出てしまった。投げられた石でダムの壁がひび割れて、そこから崩れて堰き止めていたものが噴き出してしまった。

止まらなくて、しゃくりあげながら、頭の中がぐしゃぐしゃになった。お医者様も立ち合いの看護師さんも困った顔をしていたけれど、私も困っていた。色々困っていた。

すると、別の部屋から来た看護師のお姉さんが私の手を取り、「ちょっとこっちでお薬塗ろうか」と連れ出してくれた。

採血室のような部屋で腰掛けて、私はそのお姉さんに手を撫でられていた。薄く薬を塗りながら、落ち着いた笑みを湛え、穏やかな声でポツポツと話しかけてくれる。

大変だったね。
辛いよね。
不安だね。

いたわりの気持ちを、嗚咽の止まらない私の頭に注いでくれた。


やがて涙が止まると、お姉さんはにっこり笑った。




それからも手湿疹の猛勢は続いたけれど、半年くらい経つと領土を縮小し始めた。
今も指や手のひらには年中水疱が見つかるが、乾燥した季節なら、1匹だけの時もある。梅雨からしばらくはあちこちで集団発生するが、悪化させないよう気をつければ、共存できるようになった。

(私の場合、野菜や肉、魚、豆腐など食材に触れると一気に悪化する。ビニールやゴムの手袋をしていてもダメなので、なるべく初めから切ってあるものを使うようにしている。同志の参考になれば。)


もう手湿疹は体質だから共存していくしかないと諦めているけれど、私がそう受け入れられるようになったのは、あの時お姉さんが私にかけてくれた気持ちのおかげだと思っている。

人間誰しも、どっかかんか疾患を抱えるものだ。人体は細胞や細菌やウイルスなんかが複雑に共生して動いているのだから、エラーを起こすのはもう仕方ない。

肝要なのは、エラーを起こした自分の身体への寛容さなのだろう。

寛容さを保つには、心の余裕が不可欠だ。当時の私には、それが足りなかった。辛い、辛い、辛い、そればかりが主張して、支配していた。お姉さんは、その辛さを認めてくれて、宥めてくれて、だから昇華できた。そういう事だと思う。

梅雨の時期、水疱が増え始めるといつも、あの時のお姉さんを思い出す。
お姉さん、ありがとう。

ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございました!あなたにいい事が起こりますように。 何かにもがいて苦しい人へ。その苦しみを、ちゃんと吐き出してください。ここで待っています。 https://www.lively-talk.com/service