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「車の爆音」から再び考えるスピノザ先生の教え

先週、休みの日に家でパソコンをずっとしていたところ、腰が痛くなりはじめ、体も動かしたくなったので、家の近くを散歩しに出かけました。

その日は、ちょうど天気も良く、気温も涼しく最高の秋晴れだったので、散歩も気持ちが良くて、普段よりも遠くまで歩いていました。

「気持ちがいいなー」と気分よく散歩をし、横断歩道の赤信号が切り替わるのを待っているとき、ちょっとした出来事に遭遇。

僕の右側に車が一台、窓を全開に開けて、同じく信号待ちで止まっていました。

何気なしに運転手を見ると40代後半から50代前半くらいの、ちょっとこわおもての男性だったんですが、その方が急に爆音で何かの曲をかけだしたんです。

たまにこういう何かの曲を爆音で流しながら走っている車を見かけますが、僕はこういった車が苦手で、遭遇する度に「うるさいなぁ」と不快な気分に普段なります。

「せっかく気分よく散歩しているのに最悪だ」と思ったのも束の間、聞こえてくる爆音は、なんと僕の大好きな「B'z」の曲だったんです。

B'zとわかった瞬間に、数秒前までの不快な気分が一転、「あの人は僕と同じB'zが好きなんだ!」うれしい気分に一瞬で切り替わりました。

そのまま車は青信号になり走り去っていきましたが、このときにオランダの哲学者スピノザが「エチカ」で言っていたことが、再び体現することができました。

「エチカ」の中でスピノザは、「物事自体には善悪がなく、組み合わせで善悪になる」という考えを説いています。

以前に、別のブログでこのことについて詳しく記事を書いているので、興味のある方は読んでみてください。

ざっくりと、どういったことか説明すると、水は人間には生きていく上で欠かせないものですが、過度に水を飲み過ぎると体に悪影響を与えます。

つまり、水単体には善悪という概念はなく、水と組み合わせる「水が不足している人間」には善いもの、「過度に水を摂取している人間」では悪いものになる。つまり組み合わせで善悪が生まれるということです。

さきほどの体験に話を戻すと、「爆音」という単体(空気の振動により鼓膜が振動している現象)には善悪はなく、僕という人間の「知らない曲か好きな曲か」という組み合わせで、気持ちの捉え方に変化が生まれたことになります。

この考えは、仕事や日常のあらゆるものに使える考えで、自分が何か嫌だと感じることがあったりしたときに、自分の「何」と、その「原因」との「組み合わせ」が嫌と感じているのか考え、組み合わせを変えることで、嫌なことから好きなことに変換することはできないか?好きとならないまでも、嫌ではなくなる状況に変えることができないか?

そういったことを考えると、普段の生活の状況がガラリといい方向へ導くことができる可能性を秘めています。

世の中のすべての物事に対して、いい組み合わせに変えることは現実的には不可能ではありますが、一旦、組み合わせを変えることができないか考えることで、問題解決をすることできる場面もあるかと思います。

スピノザの教え「世の中の善悪は組み合わせの結果」という考えをもって生活してみてください。結構おもしろいですよ。



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