ペンギン・ハイウェイと仮想

最近、ペンギン・ハイウェイという映画を見た。

映画では、「海」と呼ばれる空間の切れ目が非現実を作り出し、「ペンギン」を引き連れたお姉さんが、「海」に立ち向かう。

「海」「ペンギン」は、脈絡もなく突然日常へ現れてきて、徐々に日常を壊し、そして、気づけばいなくなっていた。「ペンギン」は、空き地にひょっこりと出てくる。この「ペンギン」によって、町の人々は、いつもとは違う非日常が始まったことを知る。

この「ペンギン」こそが、私の考える仮想に最も近い存在といえる。

それは、仮想を簡単にいうと、「現実を構成する諸条件をキャンセルすること」だからだ。

町の人々は、「ペンギン」のいない現実を、日常として受け入れていた。そこに、「ペンギン」が現れることで、「ペンギン」のいない現実という条件がキャンセルされたということになる。

この「ペンギン」のいる現実が、町の人々にとっては、仮想となる。

ここまでは、簡単な話だったと思う。しかし、ペンギン・ハイウェイには、もう一つ、仮想の概念が出現しているのだ。

そのもう一つの仮想の概念というのが、「海」と呼ばれる空間の切れ目である。

細かな話は省くとして、映画内では、「海」に入ると、家が浮いていたり、「ペンギン」が空を飛んだりする。これも、現実ではありえない非日常を作り出している。やはり、「海」も仮想を作っている。

では、「海」が作る仮想は、「ペンギン」が作る仮想とどのように違うのだろうか。それは、「海」の構成にヒントが隠されている。

「海」は、外部から見ると、水の玉のような形で、その中に現実とは全く違う世界がある。これは、「海」が現実と接する表層を持ち、その内部に仮想を内包しているということができる。

ここに、「ペンギン」とは違う仮想のあり方が提示されている。

「ペンギン」が作り出した仮想は、「現実を構成する諸条件をキャンセルすること」だったのに対して、「海」が作り出した仮想は、「現実を構成する諸条件がそもそも違う」という仮想を作り出している。よりわかりやすくいうと、

現実 ∋ 「ペンギン」が作り出した仮想

現実 ⊅ 「海」が作り出した仮想

となる。

人は、二つの仮想を見るとき、「ペンギン」が作り出した仮想を、一つの現実の中で仮想を体験している。しかし、「海」が作り出した仮想では、現実と対比されうる別の現実を認識(分離)しているのだ。

この二つの仮想の対比から見えてくることは、仮想が、現実と呼ばれる全体の枠組みと、それを構成する諸条件によって成り立っていることである。

「ペンギン」は、現実という全体の枠組みの中に存在する一つの条件である「ペンギン」のいない現実をキャンセルして、仮想を作っている。

それに対して、「海」は、そもそも現実と呼ばれる全体を変えることで、現実とは比較されない独立した仮想を作り出している。

これが、仮想の構造であり、ペンギン・ハイウェイは、両方の仮想を描き出し、徐々に組み合わせていくことで話が展開されるため、今までのアニメとは違う世界観を作り出せたのだろう。

ちなみに、お姉さんの「おっぱい」が、現実か仮想か、これは誰にもわからない。



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