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疑問を持つことの大切さ

ごきげんよう。
考えることが好きな、
しろひつじです。

大抵のことには意味があります。
他者に説明ができる成り立ちや、やり方や、効果や、理由が。

意味がないことには不安を覚えるものです。
「意味わかんない」
「それどういうこと?」
「それ何の意味があるの?」と
知りたい言葉が出ます。

それでいいのです。
それが人として本来の反応だろうと思うのです。

でも、
今の日本の学校教育は、とりわけそこを育てていないように思います。
こういうものだから丸のまま覚えなさい、と。
そのまま言うことを聞く子どもが「いい子」である、と。
黙って上の言いなりになる人間を作る軍事教育のやり方が、まだそこにある。と思えてなりません。

かつてわたしは丸のまま覚える子どもでした。
言うことをそのまま鵜呑みにする
「いい子」でした。
分数のわり算もそういうものとしてすんなり受け入れました。
本当なら、意味を知って納得することで初めて、その考えを自分のものにできるはずだと、今ならわかります。

そう、今なら言えます。
「自分で道理を考えることは必要だ」と。
「本来自らの意思を持って行動ができるはずだ。逆に、意味や道理を考えられなくなると危ない。疑問を感じられないのは、危ない」と。

よほど自分をしっかり持っていないと、何かに心をさらわれてしまう。

何も考えずに、何も疑わずに、ただ流されるままに行けば、簡単なのかもしれない。
衝突を避け、面倒から逃げ、煩わしいことから離れていけば、楽かもしれない。

でも。

気付かないまま思わぬところへ流れ着いてしまう恐れがあることを
知っておくべきだと思うのです。
知らないうちにとんでもない悪事に加担しているかもと疑うことも必要だと感じるのです。

おかしいな。これってどうなの?まずくない?と考える隙を与えない。
疑問を持つことを許さず、
意見することを押さえ込み、
自分で考えることを否定し諦めさせる。
考えなくさせるのは、裏に悪意がある証拠ではないかと。

疑問を感じ深く追求するのは、悪意のあるものにとっては不都合なこと。

全てを疑って生きるのはしんどいですが、全てが自分にとって善とは限らないことも事実。

そう考えることも必要ではないでしょうか。

考えることを止めないで。
周りに流されるまま行かないで。
自分の頭で考える力が大切であることを、肝に銘じよう。
どんな立場であっても、どんな事であっても、広く情報を集め、自分の頭でその意味をよくよく考えて行動しよう。

自分の意志で、確かな信念を持って、今ここに存在しているという芯のある人間でありたいと思うのです。


今日はここまで。
読んでくださってありがとうございました。
皆さまが、明るい未来へと歩めますように!

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