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書く、ということ

最近noteでは「特別な経験がないと面白い話は書けないのか」と言う論争が飛び交っている。で、文章力のある猛者がそれを否定しまくっている。

どんなことでも好きに書いたら良い。ほとんどの人がそう言っている。

それはそうだし、当たり前のことなんだろうけど、果たして本当にそうなんだろうか、とぼくは考えてしまう。

ぼくが文章を書く理由は「自分のため」が大前提にある。が、書いてネットの世界に投じた瞬間誰かしらの目に止まる可能性があるわけだ。そして少なからず承認欲求があって誰かに褒めてもらいたい気持ちがある。

だから、少しでも面白く書きたいと思っているし、話を少しだけ誇張したりもしてしまう。特別な経験の方がインパクト大だし、真新しい。

だけど日常にそうそう落ちているものでもないわけで。たくさんの人に褒めてもらえるほど世の中は甘くないし、とっても世知辛い。あぁ残念。

じゃあ、どうしろっていうのさ。

「特別な経験」をしていない人がほとんどだと思うけど、日常の切り取り方や目線を変えて、その事柄を見てみると人とは違った文章が書けるんじゃないかと思う。

ただ散歩しているのと、すれ違う人の動きや話を聞いたりするのとでは雲泥の差だし、自分の価値観以上の情報が仕入れられるときだってある。

文章を作ることだけじゃなく、自分の人生にも応用できそうだ。

自分だけの世界に固執しすぎると世界がとっても狭くなってしまう。
だから、様々な視点と意見を自分の中にドバドバ入れていって、違うと思ったものは捨てて、良いものだけ有り難く頂戴すれば良いんだと思う。

自分の人生がハードモードだなぁと思っている人は、普段は通らない道や街に行ってみると違った世界が見えるかもしれない。ついでに「特別な経験」ができたら儲けものだ。

ぜひぼくにも、いつかその話をおすそ分けしてほしい。


さまざまな人に出会うために旅をしようと思っています。 その活動をするために使わせていただきます。 出会った人とお話をして、noteで記事にしていきます。 どうぞよろしくお願いいたします!