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8年間美大にいて思ってた事


4年間働いた仕事を退職しました~。

「副手」という役職で、大阪芸大のデザイン学科にて授業の補助や事務していました。

学科授業の補助・学科の運営に関する事務全般を担いますが、教授と学生間のクッション役とも言えます。僕も含めて殆どの副手は当学の卒業生で、3年間を任期として就労します。(自分は一年延長させてもらいました)

副手の職務自体は空虚でしたが、それはそれでよかったです。教授も学生も無視して自分の好きなことを好きなようにやらせてもらえる甘さが自分の目的には適っていたからです。


このエントリーでは学部時代と合わせて8年間、美大という世間からすれば特殊な環境で過ごしてきてなんか思ってたことを書きました。タイトルがウザくてすいません、別に物申すとかじゃないです。

ほとんど備忘録のようなものですが、美大生や学生にとって何か気づきになれれば、と思って書いてみます。


先月大学の卒業式がありまして、僕は或るゼミの証書授与に同席していました。そこでゼミの教授が学生にした話が頭に残っています。

その先生は農家の出だそうです。幼い頃、収穫の繁忙期になると両親は朝から夜の遅くまで、殆ど寝る時間以外は農作業に勤しみます。兼業のため、日中は会社にも行っていたそうです。先生はそんな農作業を手伝いながら「こんな一日中働くような仕事は将来しないぞ」と考えたそうです。

時は経ってデザイナーとなり、授業のある日中は大学、夜は22時まで事務所で仕事をするようになりました。それも30-40年間になるでしょう。「当時の両親より長い時間働いている」ことを思い、あることに気がついたそうです。

「糧(かて)の為の仕事であれば、労働時間に関わらず情熱を注げる。」糧とは米の量と書きます。この言葉には食物という意味に加えて、[精神や生活のためになる必要なもの]という意味があります(このへん凄く教師っぽいですよね)。そのための仕事であれば、仕事は[生甲斐]となるでしょう。それはどんなに長くても、どんなにキツくても、どんなに不安定でも、強いられる労働ではなく、有意義な人生そのものであると言えるでしょう。(※意訳多!間違ってたらごめんなさい〜)


自分の学生時代を思い出しました。デザイン学科に入ったくせにデザインのことは知らないし興味もない学生時代でした。周囲のデザインに情熱を注いでいる友人をみて、羨ましくも悲しかった。要領よくある程度のことまではこなせても、あるレベルから身が引けてしまう自分に対して、馬鹿正直の一本槍で壁にぶつかっていく友人の様に、能力では触れられない距離を感じたからです。


必ずしも仕事を生甲斐にすべきだ、とは思いません。よく「好きを仕事にすると辛い」なんて聞くし、生甲斐と仕事を分けたって、却って効率が上がるものかもしれません。それに仕事が生甲斐じゃない人だって沢山いるし、どんな仕事だって始めたら楽しくなってくるでしょう。


ただ、自分は仕事を生甲斐にすることを選びました。デザインには情熱を注げなかったけど、今やってる事にならこの人生賭けられるか、と思ったからです。

「leap of faith=信心の跳躍、思い切り」ですね。別に何がいいかなんてわかんないし、答えは人によるし、でも人にはまかせらんない。じゃビビってないで信じきって(faith)やるしかない(leap)って感じでしょうか。どのみち世界にまだない何かを作る仕事が平坦な道なわけがない。


自分が副手になった目的は3年間で絵で食えるようになる事でした。4年間かかったけど、なんとか首の皮1枚つながりました。別にいまが答え合わせの時じゃなくて、これからもずっと不安定だけど、とにかく一つ一つ、楽しんでやっていきます。4年間、大阪芸大さまお世話になりました。




そんな私と相方のアートユニットWHOLE9がヒカリエでのグループ展に参加します。笑

僕らは作品の展示と合わせて初日と2日目である、4/8(金)4/9(土)に終日ライブペイントをします。お久しぶりに東の都で描けるので、がっつりキレキレなとこ見せようと思っています、ぜひぜひ覗きに来てください!

【10人の現代美術作家 × 平野啓一郎「マチネの終わりに」作品展】

会期:2016.4.8(fri)-4.18(mon) 11:00~20:00

場所:渋谷ヒカリエ 8/ CUBE 1 , 2 , 3


#マチネの終わりに

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