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【質問箱回答】批判的な意見の捉え方

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メッセージとご質問、ありがとうございます。

新卒だからあーだこーだ…いくつか思い当たる節がありますが、ひとつ最初に申し上げておくべきは、ご忠告やアドバイスをしてくださる方の多くが持っていたのは善意か疑心だった、ということです。
あからさまな悪意や嫌悪から色々と声をかけてくる人は少なかったように思います。

就職した方が安定する、経験が積める、楽できる…

でも、やはりどんなに良かれと思って投げかけてくださるアドバイスでも受け入れられない場合もあります。別に現時点で安定が欲しいわけでもないし、経験なら就職するだけが道ではないし、そもそも楽したいとは思ってない…

「理解されないなら今はそれで良い、仕方ない」

おそらく、お互いにまったく別の価値観を持って生きているんです。どんな人でも話し合えば分かり合える、なんて幻想だと思っています。多分、私がその方々の価値観を理解できることもなければ、その方々が私の価値観を理解できることもないでしょう。

分かり合えないなら、仕方ありません。

そっかーいろんな考え方があるんだなあ、と受け止めはしますが過度に気にしないのが精神衛生上ベターな対応でした。それでもモヤモヤしてしまうことも多くありましたが、落ち着いて考えればすぐに思い出せます。「いや、そもそも私は元から少数派だな」と。

新卒でいきなりフリーランスになるなんてなかなか無謀なことする人、周りを見ても多数派とは思えません。元からマイノリティーなのに周りの人が全員理解者なわけないです。というか、もしみんなが理解してくれる社会だったら新卒でフリーランスになる人はもっと多いはず。

うん、理解されないのは仕方ないです。それがノーマルな状態、と考えるのが妥当です。

理解されないことが特別悲しいことと認識するから悩んだり困ったりする。基本的に理解されないのが普通、理解していただけたらそれはすごーくラッキーなこと。…と考えることで、負の感情に押し潰されることなく次のステップに進めました。

それに、そもそも理解されることが一番大事なことだったっけ…?

自分が幸せに働けていれば一番大事なことは満たされている。優先したいことが優先できてるなら、ほかの小さな問題は気にすることもない…と言い聞かせていました。

次のステップ「どうすれば批判されない?」

もちろん認めさせることが主目的になってはいけませんが、あらゆる行動を起こすにあたって他人から認めてもらうこともときに必要になります。

新卒フリーランスに対して風当たりが強い理由を探ってみたところ、いくつかの要素がありました。

・新卒=未熟の印象
・会社の仕組みをしならい、社会を知らない
・逃げ癖がある
・マナーがなっていない
・仕事に対する責任感がない
・インフルエンサー商法や情報商材に頼りがち、盲信する
・視野が狭い
・すぐに稼げる方法に飛びつく
・言ってるだけで行動しない

…こんな感じでしょうか。
他にももっとあるかもしれませんが、私が見つけられたのはこれくらいでした。

批判ポイントは裏を返せば自分の行動を見直すポイントにもなります。
ああこんな風に思われてるのね、と嘆くだけでは何にもならないので、せっかくなら活用してしまった方が得だな、と思いました。そうすることで結果的に特に何も批判するところがない、という状態に持っていければラッキー、と。

感情的になるのはある意味自然に近い状態ではありますが、それと同時にとんでもなく体力と精神力を削ります。体力も精神力もあんまり自信がないので、ある程度感情を発散させたらあとは理性さんに論理的な解決をお任せします。

理性さんは勝手に「どうしたら現状が良くなるのか」を俯瞰して考えてくれるので、感情さんはそのプランをyesかnoかで答えるだけ。…という仕組みを自分の中で勝手に作りました。

悪意ある批判

ただ…たまに、思わず眉間にシワがよるほどの批判をいただく…というかぶつけられることもあります。…批判というかもう悪口に近いようなやつですね。
通りすがりに叩かれるときもたまーにありましたが、基本的な対応としては「お前よりも幸せに生きてるぞ〜!いえ〜い!」と言えるように生きるようにしています。もっと言うと、そう言える生活をするためには何が必要でどうするべきなのか、を具体的に考えます。

ちょっと性格悪いですが、悪口を言ってきた人のSNSは思い出したときにチェックします。そして自分はその人よりも幸せに生きているかどうか確認します。

別に本人にそれを伝えるわけでもなければネットに晒すようなこともしないのですが、自分の中で「悪口を言われた」という事実をネガティブなことで終わらせないようにするのが大事だと思っています。

「悪口を言われた。でも今は私はあの人よりも幸せ」と(無理矢理でも良いので)ハッピーエンドをくっつければ、悲しかった記憶も幸せなリアルに結びつきます。逆に、いま悲しい気持ちでいても「ここからハッピーエンドにもっていくぞ!」と奮起する力が湧いてきます。
まだまだハッピーエンドになっていない事柄もありますが、ハッピーエンドへの途中経過の状態です。

私の人生はハッピーエンドで終わる

それでもやっぱり悲しかったり悔しかったりむかついたりすることもあります。

これは私の妄想ですが、「わたし会議」というのを脳内で開催します。そこにはあらゆる有識者がいるイメージで、円卓を数人の私で囲っています。

議題はいつも決まって「私をハッピーエンドに連れて行く方法」。
最初は現状報告会から始まります。事実の確認と、しっちゃかめっちゃかになっている感情の整理。紙に書き出したり声に出して話します(結構時間かけてゆっくりやります)。
次に有識者(とは言っても実際は自作自演)の発案。何をすれば私が幸せになるかを提案します。提案内容はどこかの本で読んだ受け売りもあれば、ただの思いつきのこともあります。人から聞いたアドバイスであることもあります。
続いて現場担当者の意見も聞きます。比較的理想論を言いやすい有識者の案を実行する上で、実際的に必要なものや事柄を挙げて、現実的に可能かどうかを判断します。無理そうなら「無理」と正直に言います。
そして最終的に今後の方針を決めるのは議長である「私」です。採択された案はそのまま実行に移されます。

…と、いう手順を踏んでいると、いつの間にか悲しい気持ちはどこぞへ消えていました。幸せになるための過程にいる、という意識があれば大抵の批判は起承転結の「転」に見えてくるので、さーてここからどう展開させようかな、とむしろやる気になります。私、単純ですね笑

認識の仕方で世界は変わる…と思う

…と、思っています。実際、そうだなと思うことが多いです。

事実よりも、認識が大事。

批判されることそのものは、あんまり幸せなことではないかもしれません。でも、それを「悲しいこと」と認識するのか?或いは「自分の糧になること」と認識するのか?

心の底から「自分の糧になるものが転がってきたぞ!」と思えるようになってから、大抵のことは怖くなくなりました。無理して言い聞かせる必要はありませんが、少しずつ。そう思えるようになって良かったと思っています。

この回答が、少しでも何かのご参考になれば幸いです。ご質問ありがとうございました…!


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