「最後まで伸びる」子どもに育てる褒め方

子どもが何かで成功する姿は、親にとってとても嬉しい瞬間です。家庭教師である私にとっても、一緒に勉強する生徒が前よりも良い点数を取ってくると、嬉しくなります。

例えばあなたのお子さんがテストで95点を取ってきたとしましょう。クラスでも1位でした。親であるあなたはきっと「95点も取れたね!すごい!」「クラス1位だね!頭良くなったね!」などと誉めてあげるでしょう。

子どもは嬉しくてにっこり笑顔。次のテストでも誉めてもらえるように頑張ることでしょう。

ところが次のテストでは60点。クラス内での順位は真ん中ほどでした。

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結果や能力を褒めることのデメリット

実は、子どもが出した「結果」や能力に対してのみ誉めてあげることは、あまり良くないことがわかっているそうです。

結果や能力にフォーカスされた誉め方を続けると、「この点数を取れたのは、自分の能力が高いからだ」と認識します。すると、前述のストーリーのように低い点数を取った時、努力すればできるようになる可能性が高いにも関わらず、「自分には能力が無いんだ」と思ってしまうのです。

こうした経験が重なると、いつしか努力することを辞め、挫折してしまい、自己肯定感も下げてしまいます。

一度100点満点を取ったのに、次は低い点を取ってしまうという出来事は、珍しいことではありません。計算の単元は得意でも、図形は苦手かもしれません。数学は得意でも、英語は単語のスペルすら怪しい、ということもあります。中学の時は学年1位を取っていたのに、高校に入ったら下から数えたほうが早い、なんて状況もよくある話です。

学校のテストや入試のようなペーパーテストは、子どもの能力の一面を測るだけのはずです。システム上、みんな同じ内容のテストを受け、点数と順位を付けているだけです。それはどこまで行ってもシステム上の、ごく狭い範囲の中での相対評価です。子ども一人一人の能力や人格を全て表しているものではありません。

こう考えると、本来は学校のテストの点数に一喜一憂すべきではありません。それよりも、目標を設定し課題や必要な努力を洗い出し、実行し、結果が返ってきたら分析し、できなかったことは復習をする、ということをできる方がずっと良いはずです。本来は、テストを通じてこうしたサイクルを自分で考え回せる能力を身につけるべきなのです。これは持って生まれた能力と関係なく努力によって身につけられるばかりか、身につければ一生活かせる能力になります。

しかし、結果や能力にフォーカスされた評価を受け続けると、

(それまでと比べて)悪い結果を得た時、挫折してしまう

ということが起こりやすくなるのです。

私の、高校時代の挫折ー学年1位から赤点生徒へー

私は中学時代に学年1位を取りました。1位は1回だけでしたが、ほぼ毎回学年のtop10に入っていたと思います。そして地元で1番の進学校と呼ばれている高校に入学しました。

高校時代は、いつも学年の真ん中くらいの順位。赤点も取ったことがあります。

中学時代に成績が良かったことや、高校入試で合格できたことで、私は無意識のうちに「自分の能力が高いからだ」と思っていたのかもしれません。少し考えればわかることなのですが、高校には地元中学で成績の良かった人たちが集まってきます。仮に100の中学校から入試を突破して集まって来れば、今度はその100人の中で1〜100位まで順位が付くのです。

私が高校入学後、このことに気づき、「テストの結果は良い時も悪い時も自分の努力の結果である」と考えを変えていれば、もう少し違った高校生活になったかもしれません。高校時代はいつも、授業にぎりぎりでついていくような感じがして、苦しい思いをしました。

以前投稿したnoteでも、私が高校時代に赤点を取った経験を書いています。ぜひ読んでみてください。

努力できる子になる褒め方

結果や能力の評価は重要です。我が子の得意不得意を見極めることも大切です。ある結果が持つ意味をしっかりと伝えることが必要な時もあります。しかし、能力について本人に何か伝えることは、しっかりとシチュエーションを選ばなければいけないと考えています。

私は、プロセスを評価するように意識しています。具体的には、努力に対して褒めるようにするのです。

「難しい計算もできるようになったね」
「昨日間違えていた問題も、今日はパーフェクトだね」
「考え方を説明できるようになったね」

などと、元々はできなかったけれど、本人の努力によってできるようになったことを指摘してあげるのです。言葉の選び方が難しい時もありますが、本人の能力に依存しない褒め方をするように心がけています。

テスト結果には成長材料が詰まっている

テスト期間に頑張って勉強するだけでなく、テスト結果もできるだけ活用するようにしています。良くも悪くも動かぬ結果を突きつけられ、勉強した記憶も新しく最も冷静にテストの話をしやすいからです。

勉強のやり方や目標設定、かけた時間、テスト範囲や学校の先生が言っていたところから問題は出たのか、基礎レベルの問題は取れたのか、など1つのテストをとっても見直すべき点はたくさんあります。

ただ単に点数だけに注目するのでは、毎回点数の上下に一喜一憂することになりますし、得意不得意の能力に依存することにもなります。

私は生徒のテストが返却されてくると、
「やったことはしっかりできていたのか?」
を重視しています。やってないことはできていなくても仕方ないと考えます。もちろん、知識を組み合わせ応用を利かせて解けていた時はそのことを指摘し思いっきり褒めます。

問題とすべきなのは、やったはずなのにできていない、という場合です。なぜできなかったのか?実は理解できていない部分があったのではないか?復習できていなかったのか?などと考えながら、普段使っているノートも見せてもらいながら、どんな勉強をしていたのかを分析します。

主体は生徒、「振り返り」で生徒自身が考える

最近では、私が分析し色々と指摘するだけでなく、生徒自身にも考えてもらい自分で反省(良い点も、悪い点も)を言語化してもらうことに取り組んでいます。例えば、

「今回のテストへの取り組みは、自分で点数をつけるとしたら何点?」

とざっくり聞いてみると、自己評価を高くつけやすい子と、低くつけやすい子に分かれます。もちろん、なぜその点数なのか理由を聞いていきます。生徒の反省を聞き、私の感想も伝えます。点数に注目するだけでなく、私が授業ごとに毎回出す宿題シートを見返してどんな取り組みをしたのか、やったことはできていたのかなど、一緒に振り返るのです。

勉強そのものを教える時間ではありませんが、ある意味で最も大切な能力を身につけるための時間だと考え、テスト後にはこうした時間を作るようにしています。

この振り返りは私も始めたばかりです。最近、生徒によって言語化レベルが異なることや、そもそもの勉強へのやる気によっても振り返りの質が変わりそうだということなどがわかってきました。生徒の状態によっていくつかのカテゴリーに分け、振り返り方を調整するのが良いかもしれないと考えています。


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