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教えることと、成績を上げることは、微妙に違った


こんにちは、家庭教師の佐野湧樹です。

家庭教師を始めた時

私が家庭教師を始めたのは、大学2年生の時でした。建築学科の課題が増えた時期で、バイトとの両立がしんどいなと思っていました。働く時間を短くして、でも同じだけ稼ぐには時給を上げるしかない。そう思って、学生のバイトとしては比較的時給の高い、家庭教師をやってみることにしました。もともとやってみたいと思っていたので、ちょうど良いタイミングかなと思いました。よく聞かれるので書いておきますが、私は基本的に各ご家庭と個人で契約を結びます。仲介業者にも登録はしていますが、そちらからの案件はほぼありません。

幸運にもすぐにあるご家庭と契約することができ、高校生の生徒さんに教えることになりました。

できるようにする、とは?

始めてすぐに、手応えと壁を感じるようになりました。

私にとっては、わかりやすく教えることはそんなに難しくありませんでした。どこでわからなくなるか、大体想像がつくからです。私は現役で理系の国立大学に合格しましたが、特別頭が良かったり勉強ができたわけではありません。小学生の時は勉強なんか大嫌いでしたし(そのことはまた別に書こうと思います)、中学では頑張りましたが高校では良くても真ん中よりちょっと良いくらいの成績で、特別上位にいたわけではありません。振り返ってみれば、多くの人がつまずくところで私もしっかりとつまずき、苦手を一つずつ潰していったように思います。なので、「苦手な人がどこでわからなくなるか」はなんとなくわかります。

逆に苦労したのは、しっかりと生徒本人が自力でできるようにすることです。どんなに私がわかりやすく教えることができて、わかった!と感じてもらえても、そのこと自体は実はあまり意味がありません。私の仕事としては大切ですが、生徒本人のためには、自力でできるようにしてあげることのほうがよっぽど重要です。

極論ですが、理解なんかさせなくてもテストに出るとわかっている範囲を超スパルタで丸暗記させれば点数は取れます。

もちろんこんな教え方は本質的ではないですし、長い目で見れば本人のためにはなりません。理解を伴って覚えてもらうことが重要です。

苦労する2つのポイント

何かを身につけ自分でできるようにするまでの道のりは、人によって違います。覚え方、かかる時間、つまずくところ…ある程度の傾向はありつつも人によります。

できないものをできるようにする時、特にそれを人に指導する時、2つのポイントで苦労します。

  • 自力でできるようにする、ということが伝わらない

  • 「できた」の感覚が人によって違い、年齢が上がるほど他人からの修正は不可能になる

1つ目について、私は生徒にこう伝えています。

「わかったと思ったら、すぐにもう一度自分でやってみること。ノーヒントで、答えを見ずに解けたらできるようになっているということ。普段の勉強でも自分で、ここまでやってほしい。」

こう言い残して次の週、宿題にしていた問題から何問か解いてもらいます。完璧に全部できることはほぼありません。何かの科目はボロボロだったり、全体的に少しずつ間違えたりします。毎週毎週、完璧に仕上げるのには結構高いレベルの緊張感と意志が必要です。

なぜこうなるのかというと、2つ目のポイントが関係しています。人によって、「できた」の感覚が違うのです。1回やってみて間違えても答えを見て納得すればできたと思う人もいれば、もう1回くらいはやり直すけれど正解できたかは気にしない子もいます。最初から諦めて答えを写してやったことにする子もいます。

この原因は色々と考えられます。例えば学校では、できるまで繰り返すというよりは、間違えたら赤ペンで正解を書くという指導がされていると思います(これが悪いとは思いません、現在の集団授業の限界です)。また、子どもは生まれてきた時、ちょっと言葉を発するだけで親にとても喜ばれます。でもそれは最初だけで、親から見れば年齢とともに褒める基準は上がっていきます。幼稚園児で足し算ができたら天才児かと褒められるでしょうが、小学6年生で足し算が危うかったら親はきっと怒るでしょう。子ども自身も、もっと頑張って褒めてもらおうとするのですが、それと同時に「頑張ったのになんで認めてくれないの?」という気持ちも持ち始めます。

本人の性格や環境、価値観に基づくことなので、これは仕方がないことです(結構周囲の人間の影響は大きいと思っていますが)。ある意味、どうしようもありません。常に自分に厳しすぎるのも、それはそれでどうかと思いますし。

では、どうするか?

私自身は、家庭教師としてこのように考えています。

  1. 基準を示す

  2. 基準を下回った時はノーコメント

  3. 基準を超えたときは褒める

  4. 基準を超えたい!頑張ろう!と思えるように、動機付けをする

基準を示すと、かなりコミュニケーションを取りやすくなります。志望校や取りたい評定(通知表での5段階評価等のこと)によって、毎回のテストでの目標点数が決まります。おおよそですが3を取りたければ60点、4を取りたければ80点です。それが基準となります。

基準を上回れば褒めてあげます。下回った時はノーコメントです。例えば、60点目標で50点だったとします。50点を取るだけの勉強や努力はしているのです。それは心の内で認めてあげつつも、目標は未達成なので「頑張ったね」と言うわけにはいきません。目標は最終的に到達したいゴールから逆算して決まっているので、感情的に曲げるわけにはいかないのです。だからと言って、目標未達だったことを責める必要はありません。子ども自身が一番よくわかっているからです。ノーコメントというか、「次頑張ってね」くらいの声かけがちょうど良いと考えています。

目標未達でも子どもは、

「こんなに頑張ったのに!」
「平均点は超えた!」
「難しいテストだったんだよ!」

と言ってきます。大人から見れば、はっきり言って論点ずらしです。でも、子どもの気持ちももっともです。私も、そりゃそうだよね、頑張ったよね、と思います。

こういう時は、一通り、何も言わず子どもの主張を聞いてあげてください。「そうなんだ」「うんうん」と聞くだけで良いです。認めることも、責めることもしてはいけません。

そして、

「〇〇点を取れるだけの勉強を頑張ったことはわかったよ。私も褒めてあげたいんだよ。ところで〇〇(子どもの名前)はどんな成績を取りたいんだっけ?」

と、その子自身の目標やゴールを確認します。

「目標は達成できていなくてもその点数を取る分くらい頑張ったことはわかっているしその部分は褒めたい。でもあなたが決めた目標を尊重したいから、基準を変えるわけにはいかないんだよ」

と諭してあげてください。大抵は、正論を子どもにぶつけてしまって喧嘩になります。そうなると勉強に向かう気持ちも失せます。ぜひ少しだけ時間を取って、認めも責めもせずに聞いてあげて、それから子ども自身の目標を再認識させたり、必要な努力のレベルを自覚させてあげてください。遠回りに見えるかもしれませんが、実は最短で軌道修正ができます。

書いていて思いましたが、こういうシーンはビジネスの場面でも頻繁に起こり得そうですね。

目標未達成の時、先に進むのか?

ここで一つ問題が残ります。

私は、生徒が自力でできるようにすることが重要である、と言いました。では、基準とした点数を達成できなかった時、どうするのか?ということです。

できるまで繰り返すのか?それとも次に進むのか?

受験生なら、できるまで繰り返します。受験生以外で難関高・大学を目標としていないなら、未完成でも次に進みます。

受験生は、その時やっている勉強を完璧にしながら進めなければいけません。受験までの日数はどんどん減っていて、もはや積み残しは許されません。完璧に仕上げながら積み上げていき、受験日までに到達できたところが、その生徒の合格ラインです。目標があるからと言って未完成な知識を積み残したまま難しいことに取り組んでも、できないばかりかかえって成績は下がる可能性があります。

受験生以外で、特に難関高や難関大学を目標としていないなら、学校の授業に合わせる形で先に進みます。本当は、しっかり仕上がるまでやるべきですが、60点程度の目標で未達成になる場合、それほど勉強のモチベーションが高くない場合がほとんどです。モチベーションの問題だけではないこともありますが、いずれにせよ留まっていたらほとんど永遠に先に進まないのです。そんな時は最低限覚えて欲しいことを抽出し、それだけは身につけてから学校の授業についていく形で先に進みます。私は、受験生になったらまた最初からだなとわかっていますが、全体的な効率を考えて、その時は先に進みます。受験生になって、勉強の優先順位が上がるのを待つしかない。優先順位が上がった時に、本当に何も知らないということの無いようにして少し復習すれば効率良く思い出してもらえるようにしておく、という戦略です。

受験生になる前の1・2年を一緒に勉強していれば、受験的な意味でどんな到達ラインになりそうか大体想像がつきます。受験生になってからの”伸びしろ”も何となくわかります。受験生になって勉強に気持ちと時間が向き成績が大きく伸びる子はいますが、それでも私の想像を飛び越えた子はいません。多分、勉強はそういうものなのだと思います。

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