見出し画像

「2位じゃダメなんですか!?」はダメなんですか?

政治には興味はないです。
謙遜ではなく、世の中という多様な個人な生存する複合的な中に生まれる多くの現象を適切に捉えて言動を起こすことなんぞ私は出来ない。
いや、それにやり甲斐を感じられるほど利口な精神を持っていない。

取り上げたいのは、「2位じゃダメなんですか!?」という蓮舫さんの発言だ。
当時これを否定する意見が多数派だった。あるいは、多数派として議論を進めようという流れが強かった。
もちろん、蓮舫さんの本意は私にはわからない、こう言語化した蓮舫さん本人しか、その発言によってどう政治を進めたかったのか、世の中にどんな変化を期待したのかは知ることはできない。どんな文脈においての言葉であったかはとても大切であるが、ここではそこには立戻らない。

「2位じゃダメなんですか!?」の発言を批判する、「2位ではダメなんだ。」という思想を多数派にしたいという曖昧な誘導は間違いなくあの当時にはあった。これに違和感を私は感じていたと記憶している。あるいは、違和感を感じていたという視座に立って何か伝え残したいという動機付けが今ある。

いつ頃かは覚えていないが、ここ数年間これを「進歩しなければならないのですか?」「絶えず発展しなければならないですか?」と恣意的に読み変えていた。
「2位じゃダメに決まってるだろ。」という意見を荒い反省くらいで甘受する多数を見て、社会的存在としての個人個人の中に固定概念とでも言うべきものを強く感じたのだ。
そう、多くの個人は「みな進歩しなければならない。」や「社会は発展、進化を続けなればならない」これを固定観念といった方が適切か、と思っているのだ。

“進歩”と同義として捉えられる技術革新によって“発展”を遂げた現時点が「ダメじゃない」社会であると認められるだろうか。
冒頭と同じく、私は例えば、反原発とか、原発容認といった議論に興味はない。
ある日の夜、表参道を歩く。開いてもいないブランドショップが煌々と照明が石畳を照らす。
これは心斎橋でも、錦町でも、金沢でも同じだ。“発展”を是とするあなたにとっては、これは企業競争における認知向上という“発展”の一部機能なのだろうか。 
1位を追求するあなたの消費行動が企業の“進歩”を進める。それが本当にあなたの“進歩”に寄与するかどうかは、気にした所で何も定義できない。
“進歩”は他の“進歩”を相互に裏打ちしている。

進歩や発展についての固定観念を「2位でダメでない」私のような少数派に押し付けるのはお節介どころか、不快な勧誘である。
「2位じゃダメ。」だという多数の人の嘲笑を買っても、私は持続可能、削ぎ落とされた生存(fundamental survival, minimalistic survival)を追求したい。「2位じゃダメ。」じゃないというのが“進歩”になると信じて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?