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ガルパン最終章2話: 知波単がバカバカしくも爽快感があるのはなぜか

この記事にはガルパン 最終章2話のネタバレが含まれています。
まだ見ていない人は劇場へ走ってくれ。


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とにかく見どころだらけだった。
OBの前でわがまま放題のマリー様、揚げた食パンの耳でもてなす河嶋家、ボコに大はしゃぎのみほと愛里寿、風紀委員のドッペルゲンガー…
挙げるとキリがないがもっともすごかったのは知波単学園だ。


「足踏み突撃って突撃なのか?」「突撃ってついてたら突撃だろ」「確かに」


ただの詭弁じゃねーか!!!!!!


知波単で唯一「危機感」の文字が辞書に入っている福田はバレー部にアドバイス乞う。
そこから新たな作戦をひらめいたと言うがどちらかというと周囲を納得させるための方法を身につけたのだった。


だがこれでいい。人間は否定形の言葉を正しく理解できないと言われている。
ヒーローショーのとき「走らないで」とこどもに否定形で注意するのではなく、「座って見てね」と具体的な指示をするのと同じだ。
突撃をやめるのではなく、別の突撃だと説明すればよかったのである。

あまりにバカバカしい。しかし不思議なカタルシスがある。

最終章より前のガルパンはどの学校も隊長格が有能でリーダーに従うことに基本的に異存がなかった。
何十人ものメンバーを統率する競技なので、それがもっとも効率的というのもあるだろう。
それゆえ福田のおかれた状況というのは絶望的だった。
周りは突撃以外の考えを持たないうえに、エキシビションで組んだ優勝校の西住みほの作戦さえ無視したのだから。
藁にもすがる思いでバレー部と話をしたことだろう。


この状況を改善するのは単に強豪校に勝つということ以上に大変だろう。


自分たちのまわりでもこういったことはなかっただろうか。
「合唱コンクールで歌わない人がいる」「文化祭の出し物がつまらないことを指摘したいが代案がない」「仕事で余計なルールや委員会ができる」といった悪習慣や悪しき改善に悩まされているはずだ。
これは個人が仕事や勉強をするよりも複雑で難しい問題であり、団体競技である戦車道では避けて通れない道である。
これまで出てきたチームはリーダーシップ、能力ともに優秀だったがBC自由と知波単もそこが欠けていた。
BC自由学園はみほたちにその脆弱性を突かれたが知波単はこれを克服している。
窪みに落とされどんな突撃も通用しないとなったとき、始めて撤退を指示した西の決断によってその克服はより確実なものになっただろう。
そのときの福田の目はいままでにないほど輝いていた。
突撃という手段ではなく、知波単に本当に必要な誇りと大洗への敬意のため勝利に向かって一体になった瞬間である。
単に西や福田が成長したからではなく、メンバーが共通の目的意識もち、対等に意見に向き合うようになったからこそのカタルシスである。


すこし話は変わるが。


「対島田戦」までのガルパンは 西住流を離れたみほが自身の戦車道を見出す。対戦校、そしてしほママ(あと役人)がそれを認めていく話だった。
最終章はリーダーが河嶋桃に変更になったがまだ目立った活躍はみられない。
河嶋桃は本人は砲手でありながら肝心な場面で外すなどスペックは高くない。
周りを叱咤激励するわけでもなければ、鶴の一声が出せるようなカリスマ性があるわけでもない。
しかし自分と他人の関係以上に他人と他人同士の関係にも気を配っている。
不良にも居場所をつくり、弟たちにお客さんとの関わりを教える、掲示やプリントの配布をHPやメールせずコミュニケーションのためとして残す。
大洗がまた廃校にならないように戦車道を強くしたいとも語っていた。
本人がリーダーとして引っ張るというよりも、とにかくコミュニティ全体を維持、改善することに熱心だ。

おそらくみほのように何か策を思いつくということは今後もないかもしれないが彼女なりの強みで大洗を支えていくことになることを期待している。


河嶋桃の性格、BC自由学園の敗北、知波単学園の成長から鑑みるに、ガルパン最終章のテーマはもしかしたら「一体多」の関係から「多対多」の関係で結束することかもしれない。
いずれにしても3話が楽しみである。

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