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米津玄師が見つめる先にいるのは誰?サンタマリアの意味とは?

「米津玄師の歌詞を因数分解して分かったこと」<第15章>

*プロローグと第1章〜14章は下記マガジンでご覧ください。

 米津玄師の視力は0.15くらいで不同視らしい。不同視とは右と左の視力が極端に違うことだ。片目だけを使う生活習慣が原因で視力の左右バランスが崩れてくるそうだ。

 米津の場合、そりゃそうだろうとしか言いようがないが、片目だけだと立体感や遠近感などが阻害され、ものが歪んだり、二重に見えたりするようだ。自宅では眼鏡をかけていると言う米津、彼の目に世界はどう映っているのだろうか?

 「見る」「眺める」などの、視覚に関するワードは全88曲中59曲で使用され、その回数は101回にも及ぶ。

米津玄師はいったい何を見ているのか?

 最も多く見ていたのは「夢」だ。シャングリラを夢見た”アンビリーバーズ”、熱っぽい夢を見てしまった”PLACEBO”、子供の頃の酷い夢を見る”Neighbourhood”など、12曲でなんらかの夢を見ている

 夢は「目」で見るのではなく脳が繰り広げるイリュージョンだ。寝て見る夢の世界でなら、空も飛べるし会いたい人にも会える。しかし、その脚本は自分も知らない自分が書き殴った酷いプロットで、思い通りには行かず支離滅裂だ。

 米津は2017年のブログでままならない夢の後先をこんな風に綴っている。

「夢の中にも居場所がないことに諦めをおぼえて、しぶしぶ面倒な生活を始める。だいたい毎日そんな感じ。」

 起きて見る夢は、希望と同義語であり目標にもなり得る。米津自身が「圧倒的に自分のことですね」と語った”翡翠の狼”。ここで口笛を吹きながら見ていた夢はもう叶ってしまったのだろうか?

 なぜか胸がチクっとして、ふと思う。
今の米津には夢があるのだろうか?

歌詞の中で視神経を通じて見ている実像は何か?

 相手の「目」を見ているのはラブソングである”orion”と”春雷”だけだ。ただ、”ブルージャスミン” では「流れる睫毛」を見ている。このたった1フレーズで、明け方の薄あかりの中、隣で眠る恋人(もしくは妻)を優しく見守る情景が浮かぶ。

 他に、見たり眺めたりしてるものは、「花火」「東京タワー」「欠けた月」「太陽」「海」「滲む雲」「落ちていく日」「お月さま」「螺旋のフィラメント」「背中」「花」「馬券」「荷物」「あなたの横顔・髪の色・頬・鼻筋」「眠るあなた」など。

 上記すべての曲名を当てられたら相当だと思うが、こうして羅列してみると、比較的遠くを見ている描写が多い。近視の人には遠くの月や花火が、水彩画のように輪郭が曖昧に見えるのだろうか?

見たいものは、「星」(Nighthawks)「花火」(打ち上げ花火)、そして「誰にも見せない顔」(まちがいさがし)だ。

 そして、目には見えない「心」を見たいと歌うのは、”懺悔の街”と”心像放映”の2曲である。

お互いが見つめ合っているのは「サンタマリア」1曲だけ

 活用形を含む「見る」「眺める」「見渡す」など様々な視覚表現を使用してる中で、凝視を意味する「見つめる」と言う言葉が述べ13回登場する。

 前述の”春雷”では「ただ目を見つめた」男に対し、女はふっと優しく笑っている。なかなかの手練れである。”MAD HEAD LOVE”はあの乱闘のような恋が、君を見つめてから始まった。欲望を孕んだ視線で見つめられる甘い緊張感に、ドギマギしてはにかむ女よりも、余裕で挑んでくる女の方が好みなのかもしれない。

「見つめる」と言う表現が、特に印象的な楽曲が「サンタマリア」である。この曲では「あなたを見つめ、あなたに見つめられ」と視線が双方向で交錯している。101回登場する視覚表現の歌詞の中で、お互いが見つめ合っている唯一の歌である。

 この曲は「前を見て生きていかなければならない」と言う米津の決意表明であり、重要な指針であることはつとに有名だ。

 一緒に光の方へ進んでいく「僕」と「あなた」の関係性はなんだろうか?恋人か?友達か?あるいはどこかに導いてくれる聖母か?

神聖なもの、穢れの無い美しい「サンタマリア」とは誰のことなのか?

 その答えが、この「見る」と言う言葉の分析・考察中に、突然私の中で明確な像を結んだ。

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サンタマリアとは今これを読んでいる”あなた”のことだ

 「俺とみんなは友達になれない」と言う米津の言葉が2人を隔てる1枚の硝子であり、面会室とはライブ会場やSNSなど米津とファンが共にできる空間のことだ。

 生きづらさや居場所を見出せない苦しみを呪いと言い、そんな孤独を抱えているあなたに、一緒に行こう、あの光の方へと手を差し出す。

 ”ふたり”でと歌うのは、米津がライブMCで15,000人のファンを前に語ったように「自分と15,000人」ではなく「自分と1人との関係が15,000通りある」からだ。

 仙人掌は咲かないし、硝子が割れることはないけれど、1本の蝋燭が灯り続け、信じることをやめられない。なぜなら、、、

あなたを見つめ、
あなたに見つめられているのだから。

 多くの人に認められ愛され、高い評価を受ければ受けるほど、「逆にどんどん孤独になっていく感覚がある」と言っていた米津玄師。

今この間にあなたがいなくなったら
悲しさや恐ろしさも消えてしまうのだろうか

 いや、ファンがいなくなり、プレッシャーや責任から解放されたとしても、訪れるのはきっと安らぎではないだろう。

 誰にも見せない右の瞳にあなたが映ることはなくても、”優しさが、見開いた目とその目を繋いで”いくのはきっと間違いない。

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<Appendix>

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