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人類の特別な意志への探求

盛夫の朝の備忘録#521

おはようございます😄

表層、中層、深層。
深層部の事。

地図を見れば、地球は繋がっている。
しかし地図は表層部しか描けない。

地表の断面図を見ると土中には地層というものがあるのがわかる。

地球を掘り下げていくと、マントルがあり更に中心部には核がある。

だが、マントルや核を実際に目にする事は、私には出来ない。
何故、マントルや核がある事が人類がわかったかは、私にはわからないが、私は疑う事なくマントルや核がある事を信じてしまって生きてきた。

先人の探求心が地球の内部にマントルや核を発見したであろうが、私は、地中構造を学校で教えられたままを鵜呑みにして信じて生きていた。

学校とは何か?
教育とは何か?
社会とは何か?
仕事とは何か?

残念ながら、全てが私個人の都合に合わせて作られていない。
でも誰かの都合に合わせて作られてはいます。

誰かとは、「集団」です。
ありとあらゆる集団組織があり、あらゆる集団組織が競い合い社会構造を形成しています。

あらゆる集団が悪いわけではありません。

むしろ、あらゆる集団組織があるから、人類は社会を創り発展してきて、現代に繋がっています。

さて、何かを始めようとした時に1人で始めたとしても、徐々に1人ではどうす事も出来ない状況になり、他の人とチームを組み活動範囲が拡張していきます。

個人から集団に変容していきます。

集団になると、組織化していき、役割分担が発生します。

集団組織とは、組織を生物化する事で、機能を拡張していきます。

そうすると、集団組織は「看板」を持ち名前をつけて活動していきます。

村、町、都市、国、企業名、団体名、など集団組織は、あらゆる場所に存在し活動をしています。

個人が、集団を支えていますが、集団は個人をアッサリと切り捨てる事が多くなります。

代表者ですら、集団の思想にそぐわないと切り捨てられ代表者が変わります。

基本的に、あらゆる集団組織を形成しているのは、思想と目的です。

さて、話を戻して、残念ながら私個人の為に都合良く社会や仕事は存在していません。
私が、社会や仕事に合わせる必要があります。

私個人の為には、社会構造は出来ていないのです。

先程から述べている様に、あらゆる集団組織の為に、社会構造は都合を合わせています。

何故か、何処かの集団組織に入る様に社会構造は出来ていますし、それが嫌なら自分で集団組織を立ち上げるか、個人で活動をやるかの3択になっています。

とはいえ人は、初めから集団に属して産まれてきます。
家族です。

人は、産まれてくるところから集団に属して産まれてきます。

男女が結び愛、子を授かり「家族」という集団から、私達の人生は始まります。

社会構造は、何処にも個人の為になんか創られていないのです。

必ず何処かの集団の都合に合わせて、創られています。

さて、個人の為に社会や仕事は出来ていませんが、誰かの為に私達の社会は出来ています。

人間を支える為に、地球は出来ていません。
ですが、地球がある事で人類は誕生しました。
そして、人類は自分達の生きやすさを追求する為に、思想を創り社会構造を生み、集団を創り続けてきました。

集団が、国を創り、企業を創り、TEAMを創り、あらゆるルールを創り、枠を創り続けて現在に繋がります。

世の中は、個人の為には出来ていません。
個人の活動の為に社会は出来ていません。

社会構造は、社会構造を支える為に都合を合わせて出来ています。
その為にあらゆる集団組織があり、社会構造はあらゆる集団組織によって支えられています。

「個人の暮らし」に社会が合っていないのは、そういう構造だから仕方がないように感じます。

だから人は、常に何処かの集団に属して生きているので、人間関係に悩ませる事が尽きないのです。

何処かの集団に属さないと、生きずらさを感じるのは、社会構造の核が集団を基盤にしているから、個人の都合には合っていないのです。

行政、企業、団体、家族、全ては、個人が生きる為の仕組みと言うよりは、集団が生きる為に出来た仕組みと言った方が、自然です。

個人活動をしてて改めて感じるのは、そうした社会構造の仕組みの現象を感じてしまいます。

人類史を調べてみても、個人では生きにくい仕組みになっています。

男女が結び愛をするのは、集団を創る為の手段だからです。
家族を創るのは、愛によって結ばれた絆で、集団化して生きる為です。

こうして言語化すると、なんだか味氣なく感じますが、集団を創る事によって人類は発展してきたのも事実です。

どんな集団を創るにも、思想と目的があります。

個人が生きられるのは、あらゆる集団が存在しているから、個人が生きられるのです。

人は、他力で生かされています。
他力とは集団です。
集団の想いが、思想です。
集団の道標が、目的です。
歴史は、集団の足跡です。

始まりは、個人の想いかもしれませんが、歴史を見ると必ず集団化していきます。

個人は、集団にとって役割を果たす為の生き物なんだと、私は感じています。

だから人は、他人より優れようとするのかなって、私は感じて生きています。

集団化が悪いわけではありません。
集団化によって人類は、発展してきました。

家族、民族、村、町、都市、国、企業、団体、あらゆる集団があるから、個人が生きる事が出来るし、インフラが整えられるのです。

私の為になんか、社会は出来ていません。
という事は、誰の為にも社会は出来ていません。

現代は、あらゆる集団が生き残る為に争い合っている様に私は感じてしまいます。

あらゆる集団が生き残る為に集団同士で争い合っている。

個人では生きにくい仕組みで現代の世の中は成り立っています。

結果的に巡り巡って自分に影響を及ぼす。
人類は、何処に向かっているのでしょうか?

不思議な生き物、人類と集団。
食べて飲んで排斥して生きる人類に何か特別な意志があるとするならば、私は「人類の特別な意志」を知りたい。

そう想って私は生きています。
私は、まだ旅の途中です。

私が生きているのは、偶然です。
その偶然を、私は奇跡だと感じて生きています。

だから感謝の想いが湧いてきます。
愛は、とてつもなくデカいです。
愛を感じて生きています。
愛を感じていつか死にます。

私が生きている間に、「人類の特別な意志」を知れたら書きます😊

それが出来ない時は、次の世代に託します😊

いつか知れるといいな、人類の特別な意志を😊
あるのかないのかわからないですが、私は「人類の特別な意志」があると信じて生きています😊

愛の存在に氣付いた時から、私の人生は変容を始めました。

ありがとうが循環する世界が好きです😊

最後まで読んで頂きありがとうございました😊

皆さんに感謝しています😊
皆さん御自愛ください😊

日日是好日😊
2023年5月6日(土)
松合より😊

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