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吹いて奏でて楽しむ!


今年は私の人生において最後の吹奏楽コンクールなんだなって思うとなんか感慨深いものがあるんだよなぁ。

吹奏楽始めたのは中1の頃で、私の通ってた中学校はなるべく部活は入ろう!!的なところで、
運動できないし、かと言って絵とか上手くないし
ピアノはしてて唯一、音楽だけはかじってるつもりだったから吹奏楽部入ったんだよね笑

色んな楽器体験したんだけど上手くいったのがサックスとクラだけで、サックスの先輩好きじゃないからってめちゃくちゃ私的な理由でクラ選んで今までずっとクラ一筋でやってる笑

めちゃくちゃ上下関係厳しくて、理不尽な理由に呼び出しくらって沢山泣かされたのも今じゃいい思い出。
廊下で先輩見かけるやいなや背筋伸ばして挨拶してた。できるもんなら教室から出たくなかったもんなぁ笑
どんだけでかい声で挨拶しても聞こえない!とか言われて返してくれないなんてこともざらに。笑
こんなんいじめやろ!と同級生みんなで部活辞めようと試みたことも笑笑

でも結局辞めることはなく吹奏楽部であり続けた笑
やっぱり音楽好きだったし何よりクラを吹くこと自体は楽しくてここで手離したくない!!ってのがあったから。中3では部長も任せて貰って自分なりに色々試行錯誤して頑張ってたんだよね。
痛い目に沢山あってもう高校では吹奏楽なんて続けない!!とか思ってたから中3の夏が人生最後のコンクールって思ってて、毎年あと一歩で手の届かなかったゴールド金賞を取りたかった。

でもその思いが強くなればなるほど吹奏楽が嫌いになっていっていつしか自分を苦しめるものになっちゃってた。いくら頑張っても向上しない自分の技術とみんなを引っ張ろうと頑張れば頑張るほど結果1人で空回りしてるだけな現状がきつくて吹奏楽なんて辞めたいなんて思ってた。でも唯一自分が熱中できるもので自分のプライドに従うようにとにかくもうがむしゃらだった。
この時の音は今思うとどこか固くて痛い音だったなって思う。

そんな中で耳を塞ぎたくなるようなお知らせが届いたんだよね。

感染症の流行を防ぐため
吹奏楽コンクールを中止する。って。

当時はまだわからないことだらけのウイルスで
みんな恐れてたからこーなるってことは
どこかで覚悟してたけどいざ目の当たりにすると
上手く飲み込めなくて上手く消化できなくて沢山泣いた。朝からホームページ見て泣いて、先生から告げられてもう1回泣いた。誰かを責めることが出来たらもう少し楽だったのかなとさえ思うけどほんとにこれで活力失っちゃってこれからなんのために吹奏楽続けるんだろう?ってなってた。

そんなときに何気なく見てたSNSで

音楽は競うものじゃなくて楽しむもの

っていう言葉を見つけてこれだ!!ってなった!!

まだ吹奏楽が大好きだった頃の感覚をじわじわと思い出して来た。

自分の音が誰かの音と重なり綺麗なハーモニーになる。
自分の音が誰かに必要とされてる。
顔も違えば性格も違うそんな仲間とひとつの音を音楽を作りあげる吹奏楽がだいすきで、そして何よりも
その音を受け取ってくれるお客さんの幸せそうな笑みにやりがい感じて吹奏楽をだいすきだと胸を張っていた頃の感覚を思い出した。

その日から吹奏楽に対する努力は自分のためでもあり誰かの幸せのためでもあって楽しみながら技術を向上させるってことができるようになった。この頃はきっと柔らかくて優しい音になってたはず!

誰かに笑顔を届けたい。

その一心で吹奏楽してる!!

で結局高校でも吹奏楽続けちゃって、、
もう二度と出ないって思ってたコンクールにも出れて
もちろん出るからには上目指したいから努力するけど
努力を苦と取らず楽しむことができるようになってた。

今は副部長って立場でコンサートマスター的なのも任されてて最後のコンクールどーしてもゴールド金賞取りたくてよし!やってやろう!!って気持ち!笑

でも忘れたくない。

音楽は競うものじゃなくて楽しむもの

吹いて奏でて楽しむ。

誰かの幸せに繋がる音楽を作り上げたい。

自分が音楽に頼りながら生きてる人間だから
そこら辺の人より音楽に救われる感覚はわかってるつもりだから、もっと多くの人に音楽の温かみを知ってもらいたい。

私の努力が誰かの幸せに誰かの心の支えになれたらいいなって思いながら今日も部活頑張ってきました!!

だいすきです。吹奏楽。

今年で最後なんて悲しすぎる。

吹奏楽をしない生活が考えられない😢

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