タイプ9であるとはどういうことか

はじめに

私はエニアグラムの枠組みにおいて、タイプ9を自認している。

タイプ9はのほほんとした雰囲気を持つ穏やかな性格タイプだと言われる。言っておくが、タイプ9であることは決して「楽」なことではない。当然だが、タイプ9も他のタイプと同じように「囚われ」を持っている。それによって発生する困りごとは、他のタイプとは一線を画す「筋金入り」の困難だと言えよう。この記事では、そんなタイプ9の困りごとについて述べようと思う。

タイプ9の困りごと1:自分自身を認識できない

人間は、自分自身の顔を直接視認することはできない。タイプ9は筋金入りだ。例えば彼らは、鏡を見てもなお「それが自分だ」という実感を持ちづらい。実感をもって自己を認識することは、タイプ9には「許されていない」のだ。

タイプ9であることの囚われは「自己を持つことへの恐怖」だと言えよう。「あなたはどう思うの?」と聞かれて頭の中が真っ白になるということを、タイプ9の人なら経験されたことがあるかもしれない。これはどういったメカニズムだろうか?

勘違いしないでほしいことがある。それはタイプ9が、「自分自身の意見を持つことによって集団から見捨てられたくないから、人に従うのだろう」ということだ。それは多分タイプ6のことであって、タイプ9の心理ではない。むしろ、タイプ9が自分の意見を持てないのは、彼らが「何者にも干渉されたくない」という心理を持つところからきている。

「この世に生きることとは、外の世界・内の世界での出来事に対する絶え間ない反応だ。僕はこれに加担したくない。」

これが、タイプ9であることによって発生する囚われの最も平易な描写である。タイプ9は、出来事に干渉することも、出来事によって自分自身に情動を起こさせられることも全て、恐れてしまう。タイプ9の囚われは、自身がこの世に存在者としてあること(実存すること)と真正面から対立する。この対立する二者を安定状態に持っていくにはどうすればいいか。タイプ9がたどり着くのは、自分自身の感覚を徹底的に意識から消去するということである。こうしてタイプ9は何者も侵害せず、何者にも侵害されない生き方を歩むようになる。彼らは自分自身の心の声に惑わされることもない。自分自身が何かを欲することによって生まれる声も、彼らの心の安定を乱すものたりえる。であるなら、彼らは自分自身の欲求さえも意識から消滅させる。「未熟な涅槃」を実践しようとするのだ。

タイプ9の困りごと2:怒るのが怖い

ここでいう「未熟な涅槃」、つまり、自己を持つことによって発生する情動をひたすら消滅させることには、さまざまな問題がある。この涅槃は「未熟な涅槃」であって「涅槃」ではない。いわば「ごり押し」であり、要するにタイプ9の囚われとしての「涅槃」「自己の消去」は、自己の意識の部分からの除去にすぎないのだ。

精神分析学の用語である「抑圧」は、これをよく表現できる言葉だと思う。精神分析学では、人間の精神は意識できる部分(意識)と意識できない部分(無意識)からなると説明される。そして「抑圧 repression」は、自分自身を脅かす欲求や情動を意識の部分から締め出して、無意識の領域に押し込めることを言う。

タイプ9は、これを「自己」まるごとに対して行う。まあ、当然、完全に抑圧できるものではない。押し入れにものを押し込め続ける人を想像していただけるとわかりやすいかもしれない。タイプ9は心の押し入れに「自分のこと」を全て押し込める。新しく発生する欲求も情動も、全て突っ込む。こうして、部屋はすっきりと保たれるであろう。しかし、やがてその重みは、ふすまを突き破り、ある時全てが部屋に雪崩れ込む。これが、タイプ9の怒りである。

その怒りは制御不能だ。「発狂」という語で説明できるかもしれない。この時タイプ9は、自分自身の「自己」が決して消滅しておらず、自分がそれらを浅はかにもずっと保持し続けていたことに気づき、その愚かさを悔やむ。もう二度と繰り返さないと誓い、今度はより頑丈なふすまを備えた押し入れへと、自己を押し込み始めるのだ。

タイプ9の困りごと3:世界との融合・共苦

タイプ9も生の感覚を求める。しかし、その在り方は他と比較して非常に変調したものであるかもしれない。タイプ9には、自分自身を感じることが許されていない。ではどうするか。彼らは世界を自分自身の肉体とする。彼らは世界の喜びや苦しみのほうを主な関心事とし、それに一喜一憂する。

タイプ9は、地球の裏側の苦しみとも接続することができる。さらに言おう、それしかできない。タイプ9のこれらの共苦(ショーペンハウアーの言う「Mitleid」)は、彼らが自分自身の苦しみと繋がることができないことの代償としてなされる。彼らが地球の裏側の生活困窮者の飢えに苦しむのは、総じて彼ら自身が困難な状況にある時なのだ。

このエンパシーの能力を「優しさ」と呼ぶことは可能である。実際、タイプ9の共苦に基づく優しさは頭一つ抜けている。タイプ2的な優しさとも違う。しかし、この「共苦」の優しさにも特有の問題がある。タイプ2の優しさが「自分が助けたいのは自分だ」ということを隠すのだとすれば、タイプ9の優しさは「自分が感じたいのは自分だ」ということを隠す。微妙な違いだが、お分かりいただけるだろうか。

ほとんど自傷のような感じで、タイプ9は世界の苦しみに関する情報を収集するかもしれない(これに関する言葉として、英語圏では「doomscrolling」というのがあるようだ)。それは遠い異国の戦争の映像かもしれないし、今年の自殺者数の統計かもしれない。そして、タイプ9がこうした行動を取る背後には、決して自分自身の苦しみとは繋がってはいけないという規則があるようだ。

タイプ9の困りごと4:怠惰

こうしてタイプ9は、世界の苦しみと接続し、腹の煮える思いをするかもしれない。考えてみてほしい。タイプ9が腹を煮やすのは、タイプ9が最も恐れていたことであったはずだ。腹を煮やすのは自分の反応だ。自分が反応するということは、その背後に「自己」が存在したことを示す。「こんなことは間違っている!」「ふざけるんじゃない!」と、自分が「まじになる」ことを、タイプ9は許さない。それでも煮え切らず、タイプ9が何か行動を起こしたとする。それに反発する人が必ず現れる。するとタイプ9は、「こんな人の気持ちも知らず、自分が自分のために何かしてしまったこと」を悔やむ。二度と繰り返さない。またこう思ってしまう。あの「心の押し入れ」の出番だ。タイプ9は、何かを成すことが本当に難しい。その前提となる自己の欲求を正当なものだと思えないからだ。

おわりに

タイプ9であることによる「生きづらさ」について、ご理解いただけただろうか。タイプ9は自己の存在を正当なものと思うことが本当に難しい。しかし、一つでも自分自身の正当な部分を見つけることができれば、タイプ9の精神は大きく飛躍する。私はその糸口をようやく掴むことができたところだ。読んでくださったみなさんの中にタイプ9の人がいれば、私はあなたが「自分自身の正当な部分」を愛することができることを心から願っている。では。

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