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ミルクティが味方だったころ

「ミルクティって最高だよな!」

との声が聞こえたのは、コンビニ前でたむろしていた野球少年集団の前を通りすぎたときだった。きっと、練習終わりなのかもしれない。大きなバックを背負った、10人弱の小さな選手たち。みんな背の高さがばらばらだったから小学生チームなのかもしれない。時刻は夕方5時半。ちょうど西日がコンビニ前の道路と空気をオレンジ色に染めていた。私は週に1回のスーパーからの帰り道だった。

野球少年集団のなかからその声が聞こえたとき、いつも通っているコンビニ前が少しだけ特別なものになった気がした。だって私も、ミルクティのおいしさは部活終わりのコンビニで買う午後の紅茶から教えてもらっていたから。

ミルクティ自体は小学生のときから知っていた。茶色と肌色を混ぜたようなミルクティの色は、最初は「苦いのかな?」と思っていた。おばあちゃんが飲んでいた健康に良いとされるドリンクと似た色をしていたし、お父さんとお母さんがよく飲んでいて大人になってから知った味、カフェラテとも似ている色をしていた。名前はとろりと甘そうだけど、実はカフェラテのように苦いのかもしれない。

しかし、さすがミルクティ様はその思い込みをバッサリと裏切ってくれた。

「あまい!!!」そして「おいしい!!!」

飲めば一瞬で幸せに向かう味。そんな気がした。


何気なく飲むミルクティはもちろん美味しい。だけど、その美味しさをもうワンランクアップさせるには、私側の感覚を研ぎ澄ませるとなお良いと教えてくれたのが “ 部活終わりに飲むミルクティ ” だった。私は弓道部に入っていて、部活中は頭と体と精神をよく使った。弓道はあまり動く印象がないかもしれないけれど、弓を引くにはインナーマッスルが重要になるし、これが意外と疲れる。さらに、弓を引く道場と的までは28メートルあって、一度矢を放つと的まで取りに行く28メートル、道場まで戻る28メートルと、56メートルを何回も行き来しなければならない。実は体力が必要な競技なのだ。

そうして部活を終え、学校のすぐ近くにあるコンビニへ部活の同級生と向かうと、たくさんあるペットボトル棚の中で、ミルクティだけが輝いて見える。

ほしい。甘さがほしい。糖分がほしい。細胞レベルでそう言っている。

野球少年たちと同じように、私もコンビニ前で同級生とたむろしてミルクティを飲んだとき、思わず「ミルクティってさいこう~~~!!!」と声を出していた。身体を殴る、暴力的な甘さ。脳みそに直撃する、糖分の連打。これぞ無敵状態ーー覚醒に近かった気がする。


大人になった今、ミルクティはあまり飲まなくなってしまった。もちろん、仕事でへとへとになった頭には栄養になるときもある。だけどそれ以上に暴力的な甘さと糖分の連打はちゃんと攻撃になっていて、私を回復させるのではなく、消耗させる。甘さが正義だったころ。

頑張れ、少年たちよ。その甘さがきっと糧になる。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。