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最終電車に乗ってみたくなる夜

終電近くで最寄り駅に着いたとき、都心に向かうほうの最終電車のアナウンスをしている駅員さんを見かけると、「どうしようかな」という思いが生まれる。

つまり、「今これに乗って新宿とか、東京とか行っちゃおうかな、どうしようかな」という気持ちだ。

行ってどうするのか、と聞かれれば特に目的も理由もないのだけど、でも、なんでか乗っていってしまいたくなる。たぶん、衝動に近い。

最終電車、ほとんど人が乗っていない車両に乗って、夜の都心へ繰り出していく。繰り出した都心も、きっと昼間とは違って少しは静かかもしれない。行ったことがないから知らんけど。

摩天、東京。夜ともいえど、繁華街はきっと一番盛り上がる時間かもしれない。別にそこに行きたいと思っているわけではない。

ただただ、アナウンスに逆らって乗ってみたいだけなのだ。

でもよく考えてみると、もしかしたら私は、駅が1つずつ、1つずつ、閉まっていく瞬間を見てみたいのかもしれない。いつもは煌煌と電気をつけて、ピコンピコンと忙しなく動いている駅が、しんと鎮まりかえるその瞬間。

駅員さんたちも、「終わりましたねえ」とか言っているかもしれない。


それか、背徳感を味わいたいのかもしれない。人が帰路に着くその時間帯に、私は逆流するように都心に向かう。そんなことができるような、大人を感じたいのかもしれない。加えて、ここが “ 地元じゃない ” ことも実感したのかもしれない。

私の地元は23時か、もっと前に最終電車がやってくる。繋いでいるのは、何もない田舎と、何もない田舎だ。最終電車に乗ったって到着する場所は同じで、というかそもそも、最終電車に乗るという考えすら起きない。地元にいたときの私は子どもで、夜は寝る時間だからだ。そんな時間に家を出ることも、電車に乗ることもしてはいけない。

でも、東京ではそれができる。それは私が大人になって、東京にいるからだ。


「〇〇行き最終電車~最終電車~」

とはいえ、まだ最終電車に乗ってはいない。駅員さんの声を後ろに、ピコンと改札を出る。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。