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田舎暮らしが自分の最適解?

モノ少なく暮らす生活も、もう何年やってるんだろ?ふとそう思った。ミニマリストをやりだしてから、モノを減らした後、街中(繁華街)に住んだし、海外にも住んだし、そして今田舎に住んだ。


そろそろ「どこに住むのがいいのか?しっくりくるのか?」考えるころではないだろうか?と思ったのがきっかけです。


街中に住んだときは確かに便利だった。家をでて数百メートルも歩けば、コンビニはおろか、スーパーも飲食店も娯楽施設も、そして駅もあった。便利っちゃぁ便利だった。冷蔵庫も洗濯機もなかったけれど、なくても生活は出来てた。この体験は大きい。


まぁ、といいつつ、出不精のわたしにとって「家事をするために家をでる」というのはとても億劫だったのは覚えている。洗濯するのにわざわざコインランドリーに持って行って、洗濯するのは、今から考えると面倒だったし。そしてコインを用意するのも面倒だった。


今だったら、paypayとかなんとかで支払いできそう(最近はコインランドリー利用することもなくなったので、支払いの仕組み変わっているのかリサーチ出来てませんw)


とにもかくにも、街中は便利。お金さえあれば、大抵のことはできてしまう。その分コストはかかってしまっているけれど、1人暮らしの生活費など華美にしなければそれほどじゃない。


では海外ではどうだろう?


海外でも「モノ少なく暮らす」ことは出来る。丁度コロナ禍でもあったので、外出する機会も減り、会食も減った。旅行だって、頻繁には行けず、各国のコロナ対応状況を確認して「安全か」そして「面倒なことにならないか」十分注意して訪問した。


残念ながら、行きたいところ、行くべきところ、滞在中に思い残すことなく全て行けたわけじゃない。それでも20ヵ国ぐらいは訪問できたのは、わたしの中で大きな財産になった。


海外生活、一般的な日本人にとってはたぶん「レアな体験」だろう。わたしも会う&会った人には海外での生活を可能な限り伝えてきた。だけど今のところ大体の反応は「ふーん。大変だったんだねぇ」程度。


海外生活に興味がない人にとっては、海外での生活などやはり一般論程度でしか関心がない。話をしていて、興味関心がなさそうだなぁと感じた時は、通り一遍の感想しか言えなくなってしまう。だって、もうその人には関心が無いのだから。


まあ、わたしの伝え方にも問題があるんだろう。伝え下手なんで、もっと興味を引く話題をポンポン振って、そういうのができたら、皆がもっと興味を持って、離しを聞いてくれるかもしれない。


出来てない時点で、お察しくだされ。


さて、いろんなところを転々としてきたわたしですが、そろそろ「どこに住みたいのか?」どこで慎ましく暮らしていくかをまじめに考える時期がきているかもしれない。


このまま会社に居座っていると、またどこか違う新天地に住むことになるだろうとは思う。「海外に行くと、どこ飛ばされるかわからない」謎の理屈があるけれど、その理屈に既に乗ってしまっているw


このままいくと会社の都合でいろんなところに行かされる。
それはそれで行った先で楽しそうではあるけれど…


なんて言うか。自分の意思がないというか。すみません。これもわたしということです。


そして今、田舎暮らしを満喫中w


いや、厳密に言うと自ら望んだ田舎暮らしをしているわけではありません。会社都合で田舎に住んでいる。それだけです。


でもですね。


田舎に暮らしていて思ったんですが、こっちの方がなんか「しっくりくるなぁ」って思ったんです。


街中に暮らしていた時、毎日のようにすれ違う多くの人波。海外でも、幸い人の多い所に住まわせてもらったので、人との関わりは、言葉通じなくてもコミュニケーション能力が低くても、それなりにありました。


だけどやっぱりどちらもそうですけれど「人が多いなあ」って感じるんです。煩わしさというか。別に人が多いから必ずしも会話しなきゃなんないわけでもないし。個を保っていれば人と会話することなど皆無。


都会にいても孤独は充分感じられますw


そういう諸々含めて、人が多いと、いろいろやんなきゃいけないコトって、多いと思うんです。


その中で暮らしてくときは当然それに従わなくっちゃいけない。そのルールの中で、面白おかしく生活することも大事です。そうじゃないと「社会性」がドンドン失われていくでしょう。


それがないと、いい大人としてちょっとどうかなと。


とはいえ、それを斟酌して受け入れて、実行していくのって、結構疲れるんですよねぇ。まぁ、田舎にだって、ルールはあるししきたりやしがらみがあるでしょう。そこは、受け入れなきゃならない。でもしんどいなぁ…。


んで、今何を考えているかというと。


「もっと人のいない、トコロに住みたい」です!


気の迷いかもしれません。あまり深く考えてないから、後で後悔するんでしょう?きっと。賛同なんか得られませんよ!生活どうするんですか!


。。。ご批判は色々あると思います。


分かっています(いや、わかっているつもりになっているだけです泣)。


海外から帰ってきて1年くらいが立ちました。日本も海外も(先進国ですが💦)そうですが「やろう」と思ったことは、大概できるし、やれる。都会なら大体できますが、田舎だとそうはいかない。そして海外も。


それでも「やれる」選択肢は多い。

電車が走っている。
大きなショッピングセンターがある
商店街がまだ残っている
人の集まる酒場がある
(言えないような)ところもある


そう、今までのところは自分で「取捨選択をやろうと思えばできる」ところでの生活でした。自由不自由あるけれど、それでも「選択肢は、ある」んです。

選択肢がある中で、自分で選んでコトをおこす、生活するって、案外ここ数年の中で磨かれてきたコト。割と順応してきた方じゃないかなぁって思うんです。

その中で自分で制約を設けて過ごしてきました。でもそれって「自由度がある中での自分の選択」なんですよね。ちょっと制約がゆるいというか、ハードルが低いとか、なんというか。


海外生活は「日本語通じない」「文化が違う」「習慣が違う」中で生活を余儀なくされました。それでも生き残って、帰ってきた(まあ、現地での野垂れ〇ぬつもりはありませんでした…)


ある程度、それをやりきって日本に帰ってきたんですが、次の目標がないまま、ちょっとダラダラとなし崩し的な感じで過ごしてきてしまいました。我ながらちょっと情けないです・・・。


らしくないよね。


ということで、日本国内ではありますが、もっと制約がある中に身をおいたときにどういう反応を示すのか確かめてみたいなぁと思いっています。


具体的には「人が流出している地域、あるいは人が帰ってこない地域に住む」です。


限界集落、なんて言葉、聞いたことありますよね。
そして、わたしが住んでいる県では、未だに帰れない人がたくさんいる地域があります。


この一年、いろんなところにいって、いろんな状況を実際に耳にし目にしました。この状況が、いつまで続くんだろう…。今まで住んでいた人たちの気持ちを思うと何かやれることはないのか?


もう、人生、後半生。


おそらくこのまま結婚もせず、家庭も築けず、ひとりで生きて、ひとりで朽ち果てていくだろうということは想像できますw 人づきあいも下手だし、人に好かれるキャラでもない。ならば、自分の好きなように生きれれば、それでいい。


「己の信ずる道を歩めれば、それでいいじゃないか」


誰かが言ったけど、本当にそう思う。ただ実行に移せない、情けない自分がいることも知っている。想いを実現するには何がいるんだろう?


焦る必要は全くないけれど、自分の想いはぜひとも実現したい。

あそこか、あそこに住もう!漠然と思っている。


わたしと付き合いの長い人たちなら、なんとなく「あ、やっぱりそこだよねぇ」って思うところです。


具体的な話は、また、今度。


それでは、また。


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